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【028:チップとお捻り】

この日は図書館で早朝から本を開いた。
15時になると一通りの目的の書物は目を通したので一息つく。
受付の人からA4用紙とペンを貰い今度は自分で読んだ箇所を文章に連ねて行く。

チップ。
19世紀後半、ヨーロッパの貴族文化に由来し感謝の気持ちを示す風習が始まった。
その部分だけ聞くと良い話だねと終わるが、南北戦争後奴隷制の廃止により開放された黒人は十分な雇用機会を得られなかったのだ。
なんでいきなり南北戦争や黒人が話に挙がるのかと言うと、レストランやホテルの経営者は彼らを無給、または最低限の給与で雇いチップだけで生活させる歪な悪用が持ち込まれた。
1966年。FLSA(公正労働基準法)の改正でチップ労働者用最低賃金が導入された。当初は連邦最低賃金の一定割合と定められていたが、1991年の改正で$2.13に固定されそれ以降引き上げられていない。
チップ向け労働者。日本ではスッと頭に入らない言葉だが、現在の連邦最低賃金$7.25とは別に、チップを受け取る人向けには$2.13と定められている。
時給$2.13。
もちろん$2.13では生きていく事はできないので、現在もチップが強いられる構造が続いている事になる。
現在カリフォルニア州やワシントン州などでは最低賃金を$15に引き上げるものの、他の州は未だに$2.13の引き上げが行われていない。
ありがとう。
この気持ちを示す善意の始まりは購買者と労働者に負担を強いる形式が今でも拭えないのが現状として取り残されている。
また、ヨーロッパ貴族文化に由来し、とあるが現在チップ文化が如実に残っているのはアメリカで、アジアはもちろんその他ヨーロッパは全体に強要するまで慣習化はされていない。
つまりチップは労働の対価を客に強いる現代にも生きるアメリカ文化である。
「ふーむ」
ここで色助が線を引いたのは、感謝の気持ちを示す風習の部分だ。
チップについての知見を学んで見ると、もっと善意に満ちた構造だと思っていたので正直想像の乖離があったのは事実だ。
では日本にある「お捻り」とはなんだろうか?
歌舞伎や落語などの演者・芸人・芸者に渡す心付けの事である。
それ以外にもお祭りや神楽などの神事に対してでもあり、明治時代までは相撲の土俵にお金を投げ入れる事もあった。
日本でもお捻り文化は17世紀~19世紀に始まったと言われるが、8世紀の奈良時代には賽銭箱にお金を投げ入れる風習があった。
テレビや映画の普及によりお捻り文化は衰退すると言われるが、現在も地方のお祭りや大道芸ではお捻り文化も細々と残っているらしい。
「うんうん」
もちろんゆかりさんの教養レベルではそんな事知らないだろう。
本も読まないと言っていた。大学も通っていないらしい。
それでいて名家の出身でもない彼女は当然これらの知見なんて持ち合わせていないだろう。
では? 何故お捻りを断るのか?
「……ふむ」
仮説1.お金を貰う能力が低い。
働く能力ではなく、稼ぐ能力でもなく、勤勉な能力でもない。
相手から金を受け取る事に慣れていない。変な話だが、金が欲しいと口にしておきながらいざ金を渡すとそれを受け取れない現象だ。
お金を受け取る習慣がないのだ。だから「今までとは違う」というなんてことのないこれだけの要素で話が終わる。
例えるなら新卒の不動産営業マンがいきなり五億の案件を取ったものの、金額にビビって「いいんすか? マジでいいんですか?」と億劫になるもの。
だけどこれは違うだろう。彼女はお金欲しさにアルバイトをしていて、何よりもボクが渡そうと心付けの金額は常識的な範囲でもある。
仮説2.アマチュア。
彼女のギターは素人だ。よく音も外して演奏と呼ぶに値しない。
と言いたいが、実際に触れてみるとよく鍛錬を積んだのは理解できた。ただ、それでも素人から見て下手だとわかる演奏に変わりはない。
お捻りを貰うに値しない演奏。
これだと思うんだ。技術の話だと思うものの、本質からは少しズレているのは間違いない。
もう少し、他の理由がある。
そして、
仮説3.名前が汚れる。
芸術家として、特にボク自身は己の名前が汚れる嫌悪感はよくわかる。
だけど彼女はヴァンパイア・なんとか田中とか、適当な名前を思いつきで語る程度で未だ雅号を持ち合わせていない。
ああ、雅号じゃなくて、ペンネームじゃなくて、歌手はなんだっけか……とにかく、名を持っていないのだ。
仮説4.
「……」
ふむ。
「仮説4」
その先は結局浮かばなかった。
「ふふ」
未熟だなあ。
自分の知見の無さ。想像力の無さを改めて理解できた。
収穫無し。
未熟なりに、未熟だと把握できたとても有意義な時間を過ごした。
どうせ教養がない彼女は答えを持ち合わせていないだろう。
それなら――、
「会いたいな」

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