【014:承認欲求のバケモノ】
久慈色助から燦歌彩月へと変わった行動パターンは描く事と散歩。
この日色助は街を散策していた。
飲み物である飲料水は図書館で補充済み。それでもアイディアが欲しくて少し散歩がしたかった。
「ふむ」
街を眺める。昭和に栄えたシャッター街の商店街は味がある。
そういえばこうやってゆっくり街を徘徊するのは初めてかもしれない。
飲み屋街にはよく行っていた。
しかし街となると、最近こそ図書館にペットボトルの水の補給で立ち寄るものの昼間に歩いた記憶はない。
「あー、そっか」
もし、今後釣りをしないとなると、街の散策は良いかもしれない。
冬ならば暖を取れる。夏は涼める。良いね。街。
しばらく散歩をすると街の芸術劇場があった。
『ヴィタリス・アートフェスティバル』
~感情の焦点捉えた作品は、アナタの芸術を躍動させる~
「ふむ」
芸術を躍動させる、と。
芸術か。芸術とはなんだろうね。
未熟なボクは向き合って来なかった。現にそれはゆかりさんの言葉で気付かされた。なるほど。それは未熟なわけだ。
誰が出展しているのかと目玉アーティストの欄に見ると目が止まった。
『アルティザン・アーティスト 久慈光一出展』
『ルーキー・アーティスト 雫石望愛出展』
(おや。もしかしてあの望愛君かな? それに光一君も出してるなんて――)
そこで思考は止まった。
『プライム・アーティスト シエル・リュミエール』
見たい。
まるでゲームのコントローラーで操作されているように強制的に吸い寄せられるが、
『入場料大人・1,500円 子ども800円 幼児無料』
「……」
ふむ。
どうにかしてボクを幼児という事にはできないだろうか……。
「ばぶー」
……僅かな可能性は感じるものの、なかなかにキツそうだ。
だが待ってほしい。幼児とは一体なんだろうか? この世界に果たして幼児という言葉を定義できる人はどれほど存在するだろうか?
『※幼児(3歳以下入場無料)』
「……」
ふむ。
「ばぶーばぶー」
うむ。巡り合わせがなかった。
と、踵返した時だった。
キレイな長髪を纏う美少女が目に飛び込んできた。
「……」
「……」
バッタリと同級生に会った。
園田由美子。彼女の鋭い視線が動かない。
時間が止まったような感覚に陥るが、彼女の綺麗な黒髪が靡くので時間の経過を把握できた。
「……」
「……」
ふむ。
冷静に考えると、あまり喋ったことのない同級生の男女。
しかしボクは自慢の16cmを見せ、さらには一人でバブーバブーと鳴くのはもしかしたら異常者に見えるかもしれない。
「おっと」
くんくん、と自分の肩や腋元の匂いを嗅ぐ。
あ、怪しいかも。
いかんせん、こういう突発的な場には弱い。前もってしみんに行くなど人と会うなら乾燥機で洗濯しようかとも思うのだが。
にこーーーっと微笑みながら弧を描くように壁ぞいから出口を目指すが。
「待って」
またしても声をかけられる。
寡黙だと思っていたが実はよく喋る子なのだろうか。
「……」
と思えば、引き止めた張本人は言葉が続かなかった。
「……」
「……」
そして何度目かわからない無言の応酬。さて、どうしたものか。
次の言葉を待ち続けても会話が切り出されない。
やはり初期の印象の通り口下手らしい。
ここはなにか助け舟を――
「おっぱい――」
「ちょうど私今から――」
「……」
「……」
「え?」
最悪だ。
最悪なタイミングで最悪なワードがハモった。
「ちょうど私今から、入ろうと思ったの」
どうやら聞き流す事を選んでくれたようだ。優しい。
「一緒に観覧しない?」
控えめに言ってこれはデートの誘いかな。
なんだっけ。相場は三回目のセックスでデートだっけ。あ、逆だ。三回目のデートか。
そしてこれが記念すべき一回目としてカウントできると。
「ごめんね。ボク今、臭くて――」
「構わない」
由美子は流し目で言葉を探し、
「臭いのは好き」
うわあド変態だ。っていうか絶対ウソだよね。この前虫見るようなイヤそうな顔してたもん。
「ごめんね。お金がなくて……」
「私が出す」
またまた流し目で言葉を探してから、
「男に貢ぐのは、好き」
もうウソじゃん。無理だよ。バレバレっていうか、うん。ウソの範囲超えて頭おかしい人だよ。
「じゃあ恋人みたいに腕組んで一緒に回ってくれる?」
「ラブラブで超密着。由美子さんの大きいおっぱいぎゅって当てる感じで」
「わかった」
即答で腕を回す。
(よくわからない子だなあ)
切子さんとか由美子さんとか、ボクの周りってツンデレが多いよね。
いつかデレる日が来るのを待とう。
約束通り腕を組んでくれたラブラブ状態で入場した。もしかしたらと思ったが、由美子はきちんと大人二枚でチケットを購入した。
「ホームレスは、本当なの?」
「うん」
「……」
由美子はコミュニケーションがあまり得意ではないと思う。でも幸いここは美術館なので、会話はあまり必要ない。
ここで時間潰してシエル・リュミエールの作品を見ようと思ったが、足が動かない。
「……?」
彼女の歩くペースに合わせようかと、もとい彼女が見たいものに付き合う気だったが。
「……」
園田由美子は動かない。
なんだ? この子、もしかしてボクといちゃいちゃしたいだけで? 本当は腕組の先に行きたくて邪な考えでボクの事を……。
「……」
うーん……。
この子は匂わせて『察して』というシチュエーションが多い。別に男としてそれは構わないが、察する考察するにもヒントがなさすぎる。
「じゃあ。初めから行くね」
試しに引っ張ると、問題なく着いてきた。
平日の昼間だ。
客なんてボクらだけかとも思ったが、予想に反して大勢が居た。
まあ大勢と言っても水族館や動物園とは比較にならず100名程度だろうが、それでも平日の昼にこれだけの集客ができるなんて大成功じゃないだろうか。
平日昼。せいぜい10名前後と予想したが、それもシエル・リュミエールの名前の強さだろうか。
(可愛い靴だなあ……)
同世代ぐらいの男性が履く緑のブーツ。ショートパンツと相まってオシャレさが良い。
(あ。あのおばあさん足悪そうだけど大丈夫かな)
背中を丸めた老婆が一人で来る場所ではないと思ったが、どうやら周囲に付き人は見受けられず転倒しないかハラハラした。
「……ッ」
由美子がそんな色助の様子に苛立った時、ちょうど色助は興味を示した。
「お」
数ある絵の中から一枚、飛び込んできた。
『ヴィタリス・アートフェスティバル』
英語のバイタリティ(vitality)の語源、ラテン語でヴィタリス(Vitalis)は「命」「生命」「人生」を意味する。
そのテーマに則り数々の作品が展示されている中、リンゴが一つ描かれた作品はとても興味深い。
色助は自分の左目を覆い、右手の親指を立て中心点を図ろう――とするが、右手が動かなかった。
「……?」
「え?」
「あ、ごめんね。腕放してもらっていい?」
「……」
不満気に放す由美子はもう色助の視界に入っていない。
ふーむ。確かに、リンゴに表情がある。なるほど。なるほど。面白い。
今度は両目を覆う。かくれんぼを待つ鬼役のように、しばらくその姿で固まる。
頭の中に今目にしたリンゴの絵がインストールされた。
次に作業工程。
一番初めにペンを入れたのは何処か?
違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う違う違う違う……ここか。
中心部ではなく、汚れから。
なるほど。面白い。
従来の手法では全体を捉えた構図を確定させた後に細部の作り込みを行うものだ。
これは全くの逆。どうりで見えづらいわけだ。
初手が見えると全て視える。
この作者は何故リンゴを選んで汚れを初めに描く事を選んだか。
面白い。心が動いた。
デッサンと言えばの基本中の基本であるリンゴ。葉や樹脂はなく、また宗教的な意味合いも被さっていない。
リンゴの表情を使って作者を見出す独創力。なるほど、相応しい。
『赤いリンゴ 作・古江時子』
タイトルもいい。
赤いリンゴ。当たり前だ。リンゴと言えば赤だ。
当たり前だが――全然当たり前ではない。
リンゴは青色もあり緑色もあり、熟した赤もあるというだけの話し。
ところが我々の目の前に運ばれるリンゴは全て赤色。
青、緑、赤の色の三原色を持ち、或いはリンゴの木や葉だって連想できる。
ところがリンゴと言えば果実の赤。ボク達はそんな刷り込みをされている。
赤を表すために敢えて用いりそうな『紅』や『朱』ではなく、赤。
『赤いリンゴ』
素晴らしいタイトルだ。
「この人知ってる?」
「知らない」
「そっかー会ってみたいなー」
お捻りを是非上げたい。この一瞬。ボクは赤いリンゴの世界に入る事が出来た。
「……ッ」
ぐい、と腕を引っ張られる。不満気な様子を隠す事なく、我慢の限界に来た由美子はズカズカと目的の場所に進んだ。
(トイレか……ってそんなわけないか。一緒に入るなんてそんなハレンチな……ってあれ、でもエロ同人だったらさ。そういう時って……。昔、多目的トイレという場所でだね。その、多目的な目的を――。)
くだらない妄想も束の間、先程眺めた絵の前に来た。
『魔女の厄災』
「……」
この絵がお気に入りなのかな。
確かによく出来ている。
スカーフを被る老婆はよく描けており、細かい影やデティールなど高い技術力が伺える。
おや?
気付いたら、そこの名前。
『魔女の厄災 ヴィジョナリー・アーティスト 作・園田由美子』
「……」
我ながら気が利かない男だなあとしみじみと反省した。
さて……。
全体に目を通す。目を瞑り作業肯定が頭に具現化された。
「とても丁寧に描かれた絵だ。作品全体の圧、暗さの世界観を表現するために特筆すべきは線の細かさ」
「ただ線を重ねる工程ではない。緻密、太さと長さを細かく捻り出している。中央の老婆の表情も微笑んでいるようで、よく見たら憂いている」
「厄災の魔女、ではなく魔女の厄災。きっとこのおばあちゃんも自分の出す厄災をどう向き合うのか、答えを持っていないのだろう」
「……」
少しだけ嬉しそうな顔になり、それを隠すように真顔を作り出す。
(以外とわかりやすい子だなあ。可愛いなあ。何よりおっぱいが大きい)
「……」
「……」
動かない。
ここまで靴ペロをしたのだ。では次にと思ったが、ここから動かす気はないぞとガッチリと腕をガードしている。
いい加減シエル・リュミエールの作品を見たいのだが……動かない。
「……」
もっと褒めろって事ね。
うん。時間無制限だし、まあいいけど。
「凄く頑張った絵だと思う」
「……ッ!」
ゴホッ、ゴホッ、と咳き込むように嬉しさを隠す。
「ねえ。それじゃあこの絵の悪いところを言ってみて」
腕を回していない右拳を力強く握りしめているのが見えた。
「今夜夕飯をご馳走してほしいとか甘えたら……」
「全部出す」
ヒモ男ってこういう気分なのかな。
さて、とジッと眺めると、小さく頷く。
「ない。穴は何一つない。とても完成度の高い絵だ」
「……ッ」
無意識にパタパタと手首を動かすのはペンギンみたいに喜んでいるのはわかりやすい。
ウソやおべんちゃらは一切ない。
実際によく描けている。現に彼女はそれ相応の称号を手にしており世間では有名な画家だろう。
アクリルの絵の具を使ったアクリル画は最もポピュラーであり、初心者からプロまで幅広く愛用される画法である。
特徴としてはアクリルの絵の具は乾燥が非常に早く、さらに乾くと色が少し暗くなってしまう。
再溶解が難しく、何よりも作品の出来に段取りが求められる手法とも言えるだろう。
鮮やかな色彩を表現できる手法で、黒に特化した影や皺のきめ細かさの技術の高さは舌を巻く。
天才の称号を技量で掴み取った。そう言わしめる作品だ。
「……」
こちらの表情を伺ってくる。
ボクがどこに注目しているのか、今考えている事が筒抜けになっているのだろう。
穴らしい穴どころかいちゃもんをつける箇所を探すのが難しい。完成度の高さは圧倒的だ。
――だからだろうか?
「あなたの絵に比べたら?」
だから、完成度の高い程度の絵が描けたのが嬉しくなって――
同格だと。対等になれたと、思ってしまったのか。
平然と――この扉に入ってくるなら――!
「……」
娘の運動会を見守る温かい眼差しが変わる。
自覚があったのがイヤだった。
多分、今のボクは嫌がらせを生きがいにしているお局様(おつぼね)のような悪意の塊だろうか。
『あなたの絵に比べたら?』
――ドス黒い感情が渦巻く。
こんな災厄とやらではまるで足りない、圧倒的な悪意に支配される。
「……」
――温い絵だ。
稚拙で、醜い。
人様に見せるための絵じゃない。
自分のために描いている。
それを一瞬で見破られる。ボクだからじゃない。それなりの画に精通した人の目ならそれは一目瞭然。
それでいてシエル・リュミエール程の自己陶酔には遠く及ばない。謙遜から滲み出る凡人さが隠せない。
証拠に己の承認欲求を隠す事ができず手に持った武器を並べる技術で誤魔化した模造品。
厄災も悪意も闇をも知らない金持ちのボンボン娘が描いたうすーーい黒色は、ボクの深部に届く前に溶けて消える。
この程度では侵食できない。
世界がない。
描きたい物なんてなく、伝えたい要素すら持ち合わせていない。ただ人より優れた技術をひけらし絶賛を欲する承認欲求のバケモノ。
それならSNSでブランドバッグでも投稿していろと。
この世界に入ってくるなと嫌悪感しか生まれない。
「はぁ……」
多分、きっと世のヤリチンはこういう時に凄い絵だね! って褒めておセッセッができてヒモになれるんだろう。
――やめろ。
止まれ、色助。
ここは大人になれ。言っても良いことはない。
やめろ、止まれ――ハハッ!
なんだこの茶番。
止まる気なんてないくせに――!
「よくもまあ――こんな絵を人前に出せたね」
「……え?」
ああ、本当にヤリチンは賢いよねー。サラリーマンとかもそうだろう。ウソを並べたり、誤魔化したりと、どうもボクは未熟だ。
「こんなの人に見せてはいけない」
ただ、ここは精進する気はない。
「失礼だよ」
この日、夕飯は無かった。