黒き巨体
「イェェェェェェァァァァア!」成功だ。狂化したチャチャはものの見事に暴れ回ってくれていた。
そして俺も、チビを胸にしっかりと抱きしめ、人獣の残党を次々に血の塊へと変えた。
どうせ生き残り連中、正直それほど大した事はない。あとは……エッザール達がこの騒ぎに一刻も早く気づいてくれればいいのだが。
そんな最中の時だった。
俺の頭の中に、いきなり針を刺されたかのような、稲光のような痛みが。
最初はチクッとした感覚だけだったが、それはだんだんと激しさを増していった。
「なん……だ、これ」敵はあらかた退治したというのに、今度はこの頭痛か。別にさっき頭を激しく打ったわけでもなし。正直勘弁してもらいたいもんだな。
だが、この痛み……初めてじゃない気がする。ちょっと前にもあった感じが。
雑魚どもを斬り伏せ、蹴散らし、投げ捨てながらも俺は記憶の中に埋もれていた何かを必死に思い出そうとした。
そうだ、俺は確か、ひと月くらい前にも似た場所に来た。そこで俺に似た何かに出会って……
頭痛は激しさを増し、ついに斧を振る手も止まった。明かり代わりに火が燃え盛っているせいか、空気も薄くなってきた感じもする。
舌をだらしなく出し、残された空気を懸命に吸い込もうとするが……意識もだんだん朦朧としてきた。ヤバい、このままでは先に俺たちの方が参っちまいそうだ。
すると突然、ゴンともドンとも言えない大きな音が、壁と地面、さらには残された空気すらも震い、響き渡った。
音がした方へと目を向けると、そこには……
もう一人の俺? いや違う。黒みがかった肌をしているが、獣人たる毛はその身体には生えておらず、あちこちに金属の板が服の継ぎはぎのように打ち付けられていた。
それに……デカい、俺の倍近くはある背たけ。そして足も逆側に折れ曲がっている。あれで歩けるのか不思議なほどの曲がり具合だ。
大きく立った耳に太く長い鼻面。そうだ分かる。俺と似た仲間だってことは。
しかし俺を見つめるその目には眼球が存在しない。ただの真っ黒な空洞。 だったのだが……
ぽっと、その右の目の奥に、赤い光が灯った。
俺とその目が合った瞬間。背筋にぞわっとした冷たい感覚、そして……
「ガーナザリウス……?」何者かに巧妙に消されていた記憶の底から、湧き出るように口から出たその名前。
思い出した。あの時ヴェールという小さいやつに導かれ、そこで出会った、不自然に天井から吊るされていたあの干からびた存在。
あいつが甦ったのか!
「まあ、見ててよ」
突然の声に振り向くと、そこには……あのルースと背格好のほとんど変わらないあいつが。
だが奴とは正反対の深く黒い毛並み。そしてその両目には同様に黒い包帯が巻かれており、口元でしか表情をうかがい知ることができなかった。
「お前、ヴェールか……」
「思い出しちゃったか。まあしょうがないね」ルースより遥かに幼く屈託のない笑みを頬に浮かべ、あいつは俺に答えてくれた。
「お礼を言わなくちゃねラッシュ。君が真の名を告げてくれたことであのお方はまた命を取り戻すことができたんだ。いや……まだちょっと自我が無いかも知れないけどね」
気がつくと、あの激しい頭の痛みと息苦しさはウソのように消えていた。
頭痛はともかくとして……そうか、あいつが崩れていた壁を破壊してくれたからか。
「とりあえずここで見ていてよ。ガーナザリウスの戦いっぷりを」
って、お前……「あの雑魚どもはお前の手下じゃなかったのか?」
ヴェールは人差し指を口もとに当て、ちっちっとそれを否定した。
「本来ならそうなんだよね。君たちが大暴れしてくれたおかげで僕らはここから撤退せざるを得なかった。だけど一部の連中は命令を無視して、まるで野党のように好き勝手に暴れるようになっちゃったんだ。ヘタに自我は持たせないほうがいいよね……だから」
どすん! とガーナザリウスは壁に大きく開いた穴から飛び降りると、天に向かって声にならない咆哮を響かせた。
まだ喋ることはできないのか……だがその唸り声だけははっきりと空気を震わせていた。
さて……と、あいつは今度は俺が抱いていたチビを渡してと言ってきた。
まさか、交換条件でよこせとかじゃないだろうな!?
「僕はそんな卑劣なことはしないさ。確かに君の子供は我がマシャンヴァル復興の鍵だけどね。でも奪うときは正々堂々とやるさ。だから安心して。命に関わる前にさ」
俺はその言葉に渋々従った。
このヴェールという奴……ウソだけは絶対付かなさそうな気がして。