諦めたいこと。蜃気楼に夢を見た。
人の気持ちはわからない。
未踏の領域というわけではない。
不知の領域なのだ。
知り得ないことをどれだけ知りたがったところで、消耗するだけ。
行動の理由なんて、自覚できているかも怪しい。
もし本人もわからないのなら、その動機も経緯も未来永劫、不明だ。
私が知りたくて知りたくてたまらなかったこと。
そのすべては、神のみぞ知る。
人の身体には感覚器官が備わっていて、情報は脳に伝わって処理される。
己の感覚、感性という二重のフィルターを通してしか、何をも知覚できない。
自分の目で見たことだけが事実。
見えるものしか信じられない。
そんな台詞を聞いたことがある。
確かにそれはそうだろうが、あえていうなら“自分”を信じるしかない。
世界を知覚する手立ては、他にない。
共感さえ、ただの主観的観測なのである。
他人の考えていることは私にはわかり得ないし、私の考えていることは他人にはわかってもらえない。
「あなたの考えを完全に理解するなんて、できないからねえ」
友人は言った。
ちゃんと弁えているつもりだったが、それでも私ははっとした。
うっすらと膜を貼った期待を、針で裂かれたみたいだった。
私は全然諦められていなかったのだ。
どこかで、わかった気になれる時がくると思っていた。
こんなに近しい人とも理解し合えないなんて。
それは仕方ないのかもしれないけど、なんだか寂しいと思った。
それで、私は無謀にも理解を試みた。
完全には無理でも、せめて推測する力がほしかった。
私は諦めが悪い。
何年費やしたのかもわからない。
思い返せば、他人は何を考えているのか、そればかり気にする青春時代を過ごしたと思う。
どう思われるかを気にしたわけではない。
重要だったのは、私がどう思うかだ。
周りの目を気にするほど要領はよくなく、ただ単に理解不能な心の機序を知りたがるばかりで。
どうしてそうも知りたがるかって、それは脆い自分を守るためでもあるし、みんなが当たり前にこなしていることを会得して、同じ感覚を味わってみたかったからでもある。
臆病さと、羨望と。
それだけを理由に、ぜんぶ懸けてもいいくらいだった。
ただ私にはひどく間の抜けたところがあって、どうやら前提を間違えているらしかった。
というのも、人というのは言っていることとやっていることがちぐはぐだ。
私としては、それは「本音と建前」というか、体裁が悪いから本心を言葉にしないのであって、かつ本心は行動に表れるからだと思っていた。
これが誤りだったのかもしれない。
彼らは本気で、矛盾を体現しているのかも。
言っていることは嘘ではないし、行動も嘘をつかない。
本音を自分でもわかっていないのではないか?
だから当然言語化もできず、得体しれずの何かは言葉という不確実なツールによって捻じ曲げられ、私の知覚フィルターを通してさらに変容し……
つまり、そこには何もなかった。
出発点から取りこぼされているものに、私は触れようと足掻いていたわけだ。
頭を痛めながら見つめたそれは、虚空だったといえよう。
知ることは叶わない。
腑に落ちてしまったら、熱意もさめた。
日常にありふれたこの矛盾は、幾度となく私を混乱させてきた。
同時にどうしようもなく魅了した。
美しさすら感じていた。
それが人間らしさなのだろうと思って。
まったくもってお門違いな幻想だったみたいだ。
だって、実体すらなかった。
「好きの反対は無関心」
有名なフレーズだが、私は、愛と無関心は両立しうると思う。
愛情と無関心を同時に感じることがあるからだ。
心から私を心配し、大切にし、そして私の心情よりも自分の欲求を優先させる。
嫌だというのにやる。
自分がそうしたいというだけで。
そのほうがいいという理屈で。
刃物を突き立てられながら、そこに包帯を巻かれている気分だ。
それが相手の思いやりであると、感謝するには相応の余裕がないといけない。
無関心だというのは、自分の行動で相手が喜ぶのか、はたまた傷つくのか、そんなことはどうでもいいということだ。
「善」と信じていることを、相手がどう受け取るか気にする人ばかりではない。
思い込みを疑ってみることができるなら、そもそも常識の範囲で生きていないかもしれない。
わからないことだらけだ。
知ることは快楽で、未知は好奇心を煽るもので、私にとってここまでの道程は、むしろ楽しげな状況ともいえた。
苦境を乗り越えながら頂を目指す登山家のごとく、ときに咽び泣きながら人の心を追い求めた。
だけど、「何もないのでは?」と思ってしまった以上、諦めるのが賢明かもしれない。
頂のない山は山ではない。
平地を登る登山家はいまい。
何かあると期待できるから楽しいのであって、何もないなら人生の浪費だ。
それなら、もう少し益のある道楽に注ぎ込みたいところ。
残る課題は、駄々っ子も押し黙るほどの執着心を鎮めてやることだろうか。
長いこと世話になったもので、別れとなると寂しくて仕方ない。