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第177話 少年兵、中学生になる

「おはようございます!」

 誠はいつものように元気よくあいさつした。 

「オメエは叔父貴のところに行くんじゃなかったのか?」 

 かなめが驚いた様子でそう言った。かなめに言われてようやく自分の失態を思い出した誠が扉に近づくと、自然に扉が開いた。

「失礼します!アン・ナン・パク軍曹着任のご挨拶に来ました!」 

 きっちりと司法局の制服を着込んだアンが敬礼する。かなめもすぐに立ち上がり敬礼を返した。そしてそれを見て誠も我に返ったように敬礼をしてそのままネクタイを締めなおした。

「ああ、そうだ、僕は隊長に呼ばれているんで行ってきます」 

 そう言ってアンから逃げるように立ち去ろうとする誠に向け微笑を浮かべながらアンが誠の手を握った。

「僕もついていっていいですか?隊長に着任の挨拶も済ませてないので」 

 誠はアンの視線を受けつつランにすがるような視線を向けた。

「神前、連れてってやれ」 

 淡白にそう言うとランは席に座って新聞の続きを読み始めた。誠はとりあえず握ってくるアンの手を離そうとした。しかしその華奢な体に似合わず握る手の力に誠は手を離すことをあきらめた。

「あのー……」 

 何かを言いたげにアンが見つめてくる。確かにその整った面立ちは部隊最年少の西兵長と運行部の女性隊員の人気を奪い合うことになるだろうと想像できるものだった。

「とりあえず手は離してくれるかな?」 

 自分の声が裏返っていることに気づくが、誠にはどうもできなかった。実働部隊の詰め所を覗くと、中でかなめが腹を抱えて笑っている。

「すいません!気がつかなくて……」 

 そう言うとようやくアンは手を離した。そしてそのまま何も言わずにアンは誠に続いて廊下をついてくる。振り向いたらだめだと心で念じながら隊長室の前に立った。

「失礼します」 

 誠はノックの後、返事も待たずに隊長室に入った。

 中では難しい顔をして机に座っている嵯峨がいた。その手には棒状のものを持っている。いつものように銃器の調整でもしていると思って誠は咳払いをする。

「おう、神前か。ご苦労だったね」 

 それだけ言うと嵯峨は視線を隣の小柄な少年に向けた。アンは自分が見つめられていることに気づくとすばやく敬礼をした。

「自分は……」 

「別にいいよ、形式の挨拶なんざ」 

 そう言うと嵯峨は今度は手元から細長い棒を取り出してじっと眺め始めた。

「まず神前。今回の出動はご苦労さんと言うところかな。全部俺の筋書き通りに演じてくれた。評価を与えるとしたら満点だ。俺は十分お前さんの働きに満足しているよ。まあ、将校への昇格を上申するほど……と言うほどでは無いがな」

 嵯峨は満足げにそう言うと、まだ残っていた生八つ橋を口に運んだ。

「ありがとうございます。僕なりに一生懸命頑張りましたから」

 褒められ慣れていない誠はただ照れながらそう言うしかなかった。

「それと、アン。司法局実働部隊へようこそ。これからは神前、お前さんがアンを指導してやってくれ」

 そう言うと嵯峨は生八つ橋を飲み込んだ。

「分かりました!頑張ります!」

 アンも若者らしく、元気に嵯峨の言葉に答える。

「そこで神前。最初に言っておくことがある」

 突然話を変えて嵯峨は誠にもう少し近づくように手招きした。

「はい、なんでしょうか……」

 誠は嵯峨に誘導されるままに隊長の大きな執務机に向って歩み寄った。

「アンなんだが、アイツはここに通いながら豊川南中学校の夜間中学に通う予定なんだ。アイツ、戦争で学校なんて一切行ってないだろ?だから配属の条件としてアンが出してきた希望がそれ。まずは漢字と掛け算くらいは覚えたいんだと」

 突拍子もない嵯峨の提案に誠は驚きを隠せなかった。しかし、考えてみれば物心ついてから常に戦場に身を置いてきたアンにとって『学校に行く』と言うのは一つの憧れかもしれないと誠にも思えた。

「それと……耳を貸せ」

 嵯峨は誠にさらに近づくように言った。仕方がないので誠は嵯峨の口の近くまで頭を持って行った。

「アンは少年兵上がりだ。少年兵なんざ、ゲリラの性のおもちゃなんだ。つまり、いい大人に散々掘られまくって来たわけだ」

 先ほどの告白で誠はアンの恋心をしっかりと受け入れていた。しばらくすると嵯峨の言いたいことがアメリアの同人雑誌の中にある世界がアンの頭の中で繰り広げられていることが想像されてきて誠は顔を赤らめた。

「気を付けろよ。お前は狙われている。と言うか逆に狙ってほしがられている。そっちの気が無いのならアンとの距離感を考えろ。それだけが俺にできる助言だ」

 そう言うと嵯峨は誠の耳から口を離した。アンには何も聞こえていなかったようで、相変わらず緊張した面持ちで二人を見つめている。

「じゃあ、アンはクバルカ中佐の指示に従うこと。それと神前はここに残れ。頼みたい事が有る」

 嵯峨はそう言うと再び口に生八つ橋を運んだ。

「では失礼します!」

 元気よく出て行くアンだが、誠には同性愛の気質はまるでなかったので、アンが居なくなると安堵の表情を浮かべると同時にこれからのアンとの生活に不安を感じていた。

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