第176話 海で見た少年との『怪しい』再会
まだ時間も早く、人の気配は無かった。誠はすぐさま目の前の階段を駆け上がり、二階の医務室を横目に見ながらそのまま男子更衣室に入った。
そこには見慣れない浅黒い肌の少年が着替えをしていた。見たことの無い少年に誠は怪訝そうな顔を向ける。少年は上半身裸の状態で誠を見つけると思わず肌を脱いだばかりのTシャツで隠した。その面影に誠は今年の夏の出会いを思い出した。
「確か……アン君だったよね……君が第二小隊の新人君か?」
誠はそのまま自分のロッカーを開けてジャンバーを脱ぎだした。
「覚えていてくれたんですね。うれしいです」
おどおどとした声はまるで声変わりをしていないと言うような高く響く声だった。
「ああ、18歳になったのか?」
少年兵の正規軍での運用は戦争法で禁止されている。今日、アンがこの『特殊な部隊』に来たのは彼が成人したことを示していた。
「昨日で18歳になりました……これでようやく本配属ですよ」
少年はTシャツを投げ捨てて誠に敬礼する。あまりに緊張している彼に誠は苦笑いを浮かべながら敬礼を返した。
「そんな敬礼なんかいいよ。そうか……頑張ってくれ。僕からはそれくらいしか言えないけど」
相手が後輩らしい後輩とわかると自然と自分の態度が大きくなるのに気づきながらも誠は少年にそう言って笑いかけた。
「承知しました!」
直立不動の姿勢で叫ぶアンに誠は照れて頭を掻いた。
「そうか、それにしてもそんなに緊張しないほうがいいよ。僕も正式配属して半年も経っていないし……でもこの部隊は『特殊な部隊』で変な人が一杯いるから気を付けてね。下手に関わると痛い目を見るよ」
これまでの数々の経験からそう語る誠にアンは安心したと言うように姿勢を崩した。
「やっぱり思ったとおりの人ですね、神前曹長は。でも、人に自分の弱みを見せるのは戦場では命とりですよ。大丈夫です。僕が守りますから。それに……」
笑顔を浮かべながらアンはワイシャツに袖を通す。誠はそのまま着替えを続けた。
「それに何?」
誠は何も考えずにアンの言葉にそう返した。
「僕の初恋の人に似てるんです、神前曹長は」
ここで誠の脳内の回路がすべてショートした。『少年兵はすべて上官の慰安兵である』。これはかなめが残してくれた言葉である。つまり、かなめの言葉はアンはその初恋の青年の上官と肉体関係にあったことを意味していた。
「僕は……そう言うことは……僕は女の人が好きなんであって……」
ここでどういう反応をすればいいのか誠には分からなかった。ただ言えることは、この状況がアメリアにバレれば早速BL本の元ネタにされかねない非常に危険な状況にあると言うことだけだった。
「いいですよ、神前曹長。無理しなくっても。僕は自分が戦場でそうなってしまったことには後悔はしていませんが、神前曹長の『
ここでもまた誠は驚天動地の地平に叩き込まれた。自分に『許婚』が居るなどと言う話は聞いたことが無い。
「あの……アン君?その『許婚』って話。どこで聞いてきたのかな?」
どうせアメリアあたりが本部にアンが出頭した際に吹き込んだに違いない。誠はそう決めてかかっていた。
「いえ、司法局の本部で第二小隊の新メンバーを紹介された時に小隊長から聞きました。『神前曹長には許婚が居るからいくら恋心を抱いても無駄だ』と」
誠の予想は外れていた。どうやらアンに『許婚』のことを吹き込んだのは今度の第二小隊の小隊長になる人物らしい。誠はまだ誰が第二小隊の小隊長になるのかを知らなかった。
「『許婚』が居るんなら仕方ないですね。神前曹長の事は忘れます。でも、神前曹長は僕の誇りです。『近藤事件』そして、今回の『バルキスタン三日戦争』。どちらも神前曹長無しには解決しなかったことですから。僕のヒーローです。こんな有名人と同じ部隊に入れるなんて幸せです」
ワイシャツのボタンをとめるのも忘れて話し出すアンに正直なところ誠は辟易していた。
アンは心からうれしそうに笑う。誠は笑みを返しながらズボンのベルトに手をかけた。
ズボンを脱いで勤務服のズボンを手に取ったとき、誠はおかしなことに気づいた。先ほどから着替えをしているはずのアンの動く気配が無い。そっと不自然にならないようなタイミングを計って振り向いた。誠の前ではワイシャツを着るのを忘れているかのように誠のパンツ姿を食い入るように見ているアンがいた。
「ああ、どうしたんだ?」
誠の言葉に一瞬我を忘れていたアンだが、その言葉に気がついたようにワイシャツのボタンをあわてて閉めようとする。その仕草に引っかかるものを感じた誠はすばやくズボンを履いてベルトを締める。
だが、その間にもアンはちらちらと誠の様子をうかがいながら、着替える速度を加減して誠と同じ時間に着替え終わるようにしているように見えた。
誠はワイシャツにネクタイを引っ掛け、上着をつかむと黙って更衣室を飛び出した。誠はそのまま隊長室に寄るはずが、いつもの習慣と緊張から振り向きもせずに早足で実働部隊の詰め所に向かった。