第154話 非情な者同士の会話
老紳士の前にある嵯峨の表情は彼を知る人ならば見たくはない表情だった。それは敵意を示す前に嵯峨が見せる警告のような意味を持つ表情だと知られていたからだった。口元が引きつり、瞬きもせずに上目がちに相手を見上げる。それを知らない人でもこんな悪意に満ちた表情を向けられればひるむに違いない。
「地球至上主義のスポンジ頭には理解できないかも知れませんがね……いや、地球至上主義なんぞではなく白人至上主義者でしたかあんたは。あんたの国とこの国が同盟を組んで戦争をするなんて……前の戦争で割を食った俺から言わせると狂気の沙汰だ。利害を同じくするとはいえ、あんたを戦友と呼ばなくちゃならない事実には我ながらほとほと呆れ果てますよ」
そう言った嵯峨の言葉に合わせるかのようにドアがノックされた。
「入りたまえ」
静かなカーンの言葉に白いジャケットのウェイターが現れる。嵯峨は首を振る。
「彼は客とは呼べない存在でね。悪いね、無駄足を踏ませてしまって」
ウェイターが言葉を発するまもなくカーンは彼を追い返した。
「でもまあ、あんたのスポンジ頭のスカスカな情報網には今回は感謝しているんですよ。あんたから盗んだ情報は今回の作戦で色々役に立った。おかげであんたの好きな『遼州の秩序』と言う奴は守られたわけだ……いや、あんたの理想とする『秩序』じゃなく、俺の理想とする『秩序』の方を守ったんだからあんたは負けたのかな?」
そう言うと嵯峨は挑発するようにカーンの前で足を組んで反り返り口元を緩めた。そのような嵯峨を見ながらカーンは表情も変えずにコーヒーを飲み干した。
「なに、常に大局を見据えながら行動するならば今回は手を引いた方が利口だと踏んだだけだよ。勝ち負けは別の場所でつけよう。野蛮人の似非公爵殿」
お互いに相手を罵倒する言葉を吐きあう二人。嵯峨の視線もカーンの視線もお互いを憎みあうものの瞳の光を帯びていた。
絶対に和解できない不倶戴天の敵。お互いにそう思っているとカーンは考えていたが、目の前の大柄な遼州の野蛮人の血を引く男がそうは思っていないと感じて顔をしかめた。
「感謝しているなら態度で示すべきだとは思わないかね?似非公爵殿。私の情報網から盗んだ知識をどう生かそうが君の勝手だが、盗みは犯罪だよ。君の盗みには起訴する裁判所が存在しない以上、私は君を責めるつもりは無いがせめて礼の一つも欲しいものだね」
カーンはベーコンをナイフで切りながらそう言って笑った。
「礼ですか?じゃあ、ありがとうございます……と言えとでも?それは御免ですね。あんたも俺も礼を言われるほど立派な人間じゃい。そもそも前の戦争であんたと俺がした行動はとても人間にできるような生易しい非道じゃ無かった。完全に人の道を踏み外している人間同士、礼を言いあう権利などないんじゃないですか?」
そう言うと嵯峨はポケットからタバコを取り出そうとして止めた。さすがに彼も非喫煙者であるカーンの前でタバコを吸うほどにはカーンを嫌ってはいなかった。
お互い戦争犯罪人同士。あの戦争が終わった時の立場は二人とも同じようなものだった。ただ、カーンは逃げ延び。嵯峨は捕らえられて人体実験に供された。それだけが二人の違いと言えた。