第126話 『不死人』ならではの鍛え方
「ブゴっ!!……」
嵯峨の右のあばらに骨が砕けた痛みが走り、木製の薙刀で切り払われた体は白壁の土蔵に叩きつけられた。肺に肋骨が刺さって痛みが上半身を支配し、口元からは潰れた肺から流れ出た血がだらだらと流れ落ちた。後頭部は土蔵に打ち付けた傷みで潰れ、砕けた頭蓋にしびれるような痛みが走るのを感じていた。
嵯峨はその痛みに耐えながらもなんとか立ち上がろうとするが、上体を持ち上げることもできずにその場でかすかに息をするばかりだった。
「
そう叫び声をあげて縁側から飛び降りて駆け寄ってきたのは彼の義娘となったばかりの日野かえでだった。誰が見ても瀕死の重傷を負っている嵯峨に思わず駆け寄ろうとするのは人として当然のことのように見えた。
「ふー……来るんじゃないよ。これからが本番だ。これで斃れる様じゃ二流だ……一流にはなれないよ」
嵯峨惟基は視線を目の前で木で作った薙刀を構える妙齢の女性を前に木刀を杖代わりにしてよろよろと立ち上がった。何度となく同じ状況は体験してきている。そして、何度も同じように立ち上がり、同じように蹴倒された。それでも嵯峨は剣の師匠である彼女にただ一太刀でも浴びせることを考えていた。いつかそれができる日が来る。それだけを考えていた。
「無理ですよ!そんな!いくら義父上が不死人でもその状態では回復が追いつきません!その状態、普通の人間なら死んでますよ!」
悲鳴にも近い義娘の言葉に口元だけで笑いを返そうとするが、喉の奥から吐き出される大量の血にむせるとそのまま膝から崩れ落ちた。嵯峨の意識が一時途切れたことをもって今回の稽古は嵯峨の負けに決まった。
今日もまた剣の稽古は一方的な結果に終わった。薙刀の女性は留め袖の襟を正しつつ嵯峨を見据えていた。
「ここまでね。残念とかは思ってないわよね。当然の結果、まだまだ新ちゃんは未熟ってこと。せいぜい精進しなさいな……そんな事じゃ司法局実働部隊なんて遼州同盟の中枢を担う組織の長なんて任せられないわね」
紫の小紋の留袖にたすきがけしている女性、西園寺康子は静かに薙刀を下ろした。
かつての遼帝国の栄光時代を築いた外戚カグラーヌバ・カバラの三女であり、嵯峨の実の母の妹、つまり嵯峨惟基にとっては叔母に当たる人物である。西園寺家に嫁いだ当時は秘匿されていたが、遼州系の移民の中でも稀有なほどの法術の適正を見せ、『甲武の鬼姫』と呼ばれることもあった。法術が公然の事実として語られることになった『近藤事件』以降は法術の使い手としても知られるようになっていた。
力の使い方、剣の使い方をすべて彼女に学んだ嵯峨にとっては、彼女は天敵と言えるような存在だった。嵯峨の見立てではおそらくあの『人類最強』を自称するクバルカ・ラン中佐でも康子相手には苦労するほどの強さを持っていた。
血まみれの義父を抱きかかえていたかえでが自分の体が黒い霧に覆われていくのを感じて思わず抱えている義父を突き飛ばしていた。それが不死人が致命傷を負ったときに起きる再生を行う特有の『
「なんだよ……縁側まで連れて行ってくれるんじゃないのか?いきなり放り出すなんてひどいじゃないか……まあ、俺自身この状態になってる自分を想像するとね。怖がるのも無理は無いか。普通じゃ有り得ない光景だもんね……こればっかりは俺もどうしようもないんな」
言葉を話すことすら辛いと言うように体勢を立て直そうとする義父からその不気味な霧、『瘴気』は発生していた。折れ込んだあばらが次第に元の姿に直り、額や右肩から流れている血も次第に止まっていった。
「今日も凹殴りか……お互い不死人同士、せめて
嵯峨は悔し紛れにそう言うとかえでに手を取られて縁側に腰かけた。
「そうなるには何千年かかるかしら。その日が一日でも早く来るのを待ってるわね。でも、ちょうど東和に暮らしているんじゃないの。良い師匠が二人も身近にいるのになんでそんなに成長が遅いのかしら。むしろそちらの方が心配だわ……サボってるのね」
息も切らしていない康子の言葉に嵯峨は痛みに耐えながら苦笑いを浮かべた。
「二人とも戦うことが嫌いなんですよ。義姉さんとは違う……あなたは戦う人だ、ランは軍人だが戦うことは大嫌いだ。『不殺不傷』を座右の銘にしているくらいだからね。もう一人は……こちらはあくまでも民間人。剣を子供に教えることは有っても本式の剣術なんてする気は端からありませんよ」
次第に治っていく傷跡を見ながら、嵯峨は負け惜しみのようにそう言って苦笑いを浮かべた。
「民間人と言うことなら私もそうなんですけど……」
康子はふざけた調子でそう言った。
「『甲武の鬼姫』がどの口でそんなこと言うんですか。そんな理屈義姉さんには通用しませんよ。政治を闇で操る『闇宰相』と陰口を叩かれている人がね」
嵯峨は治り行く自分の身体を見ながら皮肉めかして康子に向けてそう言った。