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第105話 『駄目人間』が『悪内府』と呼ばれる所以

 突然、嵯峨の背にしている廊下で人の争うような声が聞こえてきた。

「なんだ?」 

 嵯峨はそう言いながら焼き豆腐を取り皿に運んだ。

 西園寺家には代々多数の食客が暮らしていた。とりあえず時の当主が面白そうだと思った芸人や画家、役者や漫才師が自由に出入りする文化的なサロン。それが西園寺家のもう一つの顔だった。今日は兄弟が殿上会の帰りに護衛のSPに大量の安い牛肉を買い漁らせ、彼ら居候達にもすき焼きと安酒が振舞われているところだった。

 はじめは西園寺義基はそんな食客達が喧嘩でもしているのではと思い嵯峨の顔をのぞき見た。

 嵯峨はまるで待っていた人物が到着したとでも言うように、取り皿の中のしらたきをすすり終えると静かに取り皿をちゃぶ台に置いた。それと同時に血相を変えた醍醐文隆陸軍大臣が思い切りよく襖を開いた。

「大公!」 

 醍醐の視線は安酒をあおる嵯峨に向けられた。その目は赤く血走り、口元は怒りに震えていた。

「そんなに大きい声を出すこと無いじゃないですか。こっちは良い人間ばかりで若い世代はうらやましいって話をしてたところなのに。上の世代はいきなり怒鳴り込んできて全く……少しは『殿上会』での響子さんのことを見習ってほしいところですね。見てたでしょ醍醐のとっつぁんも。あの御仁の出来たところを」 

 そう言うと嵯峨は再び取り皿に手を伸ばす。そんな嵯峨に歩み寄った醍醐は嵯峨の前にどっかりと座り込んだ。それまで醍醐を止めようとしていた食客の太鼓持ちが、どうすればいいのかと聞くように西園寺義基の顔を見た。彼は手で食客達に下がるように命じた。

「バルキスタンのイスラム民兵組織が機動兵器を保有しているのはなぜなんですか?」 

 自分自身を落ち着けようと嵯峨の前に置かれた燗酒の徳利を一息で飲み干すと、醍醐はそう言って嵯峨に詰め寄った。

「西モスレムの支援の規模から考えたら少ないくらいじゃないですか?M5が32機、M7が12機。そのほかもろもろで102機。まあこのくらいの兵力を確保していなければ、カント将軍の首を取っても同盟加盟国が出兵してきたらあっという間に押しつぶされるでしょうからね」 

 嵯峨はそう言うと取り皿に肉を置いていく。目の前のかつての主君から放たれた言葉に醍醐の顔はさらに赤く染まっていくのが分かった。

「ほう、良くご存知ですね。ですが私の情報では彼らは機動兵器を所有していないはずだった……まるで誰かが用意してやったみたいじゃないですか!」 

 醍醐の顔は信じていた人間に裏切られた人間の典型的なそれだった。

「まあ情報機関が情報をつかめない。よくある話じゃないですか。まあ現実を見てくださいよ現実を……目で見たリアルが全てですよ」 

 そう言って嵯峨は怒りに紅潮している醍醐をなだめるように一瞥した。しかし、その口元に浮かんでいる皮肉めいた笑みはさらに醍醐を怒らせるだけだった。

「じゃあどうやって彼らは機動兵器を手に入れたと言うんですか!」 

 醍醐は思わずちゃぶ台を叩く。その姿に西園寺はただ愛想笑いを浮かべるだけだった。

「まあ裏ルートと言っても俺が抑えている線ではそんなに大掛かりな密輸組織は無いですし……。彼らのバックにいる西モスレムも、今回のバルキスタンの選挙にはカント将軍が仕切ると言うのはいかがなものかと言う前提つきで治安維持軍を送っているくらいですからねえ……」 

 そう言いながら嵯峨は肉に溶き卵を丁寧にからめている。

「外から運んだわけではないと言うのなら……答えは自然と決まってくるんじゃないですか?」 

 嵯峨の言葉に醍醐は有るはずの無いイスラム民兵組織の機動兵器の出所を思いついた。戦乱を拡大させて選挙を無効化するためにカント将軍が敵であるイスラム民兵に兵器を贈った。そして醍醐はその情報を秘匿していた嵯峨の敵意を悟ってどっかりとちゃぶ台の隣に座り込んだ。

「カント将軍も馬鹿じゃない。今回の選挙が反政府勢力により妨害されておじゃんになりましたよー、これは私達のせいではありませんよー、と。そう言う逃げ道で政権に居座る。なかなかの策士ですな」 

 そのまま安い牛肉を口に放り込んだ嵯峨はまるで隣に怒りに震える醍醐がいないとでも言うように肉を噛み締めていた。

「なるほど。では何故大公はその事実をご存知なんですか?しかもかなりの精度で情報を入手されているようですが……」 

 そう言って醍醐は食い下がる。嵯峨は口に入れた肉を十分に噛んだあと飲み込んでから醍醐の顔を見つめた。

「ああ、いろいろとおせっかいな知り合いが多くてね。そんなところから俺のところまで情報が漏れてくるんですよ。まあ、今回の件についてはだんだん最悪な予想屋の言ったことが的中しそうですが」 

 嵯峨は箸を再びすき焼き鍋に向ける。

「今回の事実で私の情報の精度が劣ることは分かりました……ですが……。この情報を伏せていたと言うことは我々とは情報を共有する余地は無いと?」 

 今にも嵯峨の胸倉をつかみかねない勢いで醍醐は白髪の混じり始めた髪を振り乱してそう叫んだ。

「それをうちに言うのはお門違いですよ。お仲間のアメリカ海軍のお偉いさんに聞いてみてごらんなさい。おそらくイスラム民兵の飛行戦車のパイロットの名簿まで送ってくれますよ」

「そんな……米軍が?我々は利用された……」

 怒りに引きつる醍醐の顔。嵯峨はまるっきりそちらを見ようともしない。西園寺は黙ったまま箸をちゃぶ台に置いて二人のやり取りを見つめている。

「国家の間に友情なんてありはしませんよね。軍人だったらそんなの常識でしょ?アメちゃんとしては甲武軍を引っ張り出して同盟の関係に傷をつけるのが今回の作戦の主目的でしょうからねえ。なかなか考えた作戦じゃないですか」

 嵯峨はそう言って悠然と肉をほおばった。その様子を見ている時間に比例して醍醐の顔が赤く染まっていった。

 信じていたすべてに裏切られた男。それが今の醍醐だった。

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