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シィレにて

忘れてた。いま俺たちがいる場所なんだが、珍しく野営なんかじゃない。俺の家とよく似た……いやそれ以上に広い酒場だ。
もちろん俺は飲めないからひたすらメシを食い続けているんだけどな、なんせここに来るまでに一昼夜、数切れの干し芋しか口に入れてなかったもんで。
チビと一緒に肉の詰め物と色とりどりの野菜のゴロゴロ入ったスープらしきものをひたすらに。つーかこれすっげ美味いんだわ。汁の色は薄いけど味はしっかりとついてるし。
「あ、これポトフっていうんだ。うめえだろ、この店の名物なんだ」
隣でイーグがそう説明してくれた。あ、コイツもここで働いてたのか?
「ちゃうわ、ここはマシューネ領。つまりはリオネングとはもう別の国なんだぞ」
知らなかった……つまりは国が変わればメシの味も変わるってことか。
「ラッシュは食事でしかモノを見てないしね」嫌味なんだかイマイチわからないが、テーブルの向かいでジールがフォローしてくれた。
「はいな、おかわり持ってきたよ、たくさん食べてね!」
ロレンタと同い年くらいのまだ年若い女が、大きな深皿に入ったポトフとかいうメシを持ってきてくれた。
あれ、でも俺たちおかわりなんか頼んでねえぞ?
「マティエ様の仲間でしょ? お代は気にしないで」
なんて燦々とした笑顔で言ってはくれたんだけど……

え、マティエ様!?
なんだよ、マティエ「様」って!
そのことを聞こうかと思ったら、当の本人は別の席でなにやら屈強な男たちと共に談笑してやがるし。
「知らなかったのラッシュ、マティエって以前はここでマシューネ王直属の騎士たちの指導やってたんだよ」
知らねーよそんなこと、あの石頭そんなに偉いやつだったなんて。
「シィレの角なし羊って名前で呼ばれてたんだ。その強さはこの国じゃ知らないやつなんていないほどにな」なんて遠目でマティエを見ながらイーグが。
「お前もここで働いてたんじゃなかったのか?」
「斥候な。けど俺っちは死神みたいなモンだ……」そういうなりイーグは寂しげな顔をして黙ってしまった。
そうだな、俺もこいつと似たようなモンだ、だからあえて詮索することはしないのが吉ってやつだ。

「おねえたん、おいしい?」
「んだよねー、めちゃくちゃうめえよなこれ!」チビはといえば、ほぼ同じ精神年齢のジャノと二人で顔をメシでぐしゃぐしゃにしながら話しているし。けどあれほど人見知りのひどかったチビも、こうやってジャノのことを姉ちゃんと呼ぶようになってきたし、少しずつ成長してきてるのかな、なんて思うと……

ちょっと、寂しくなってきた。
周りは結構賑わってきてるし、俺も少し外の風に当たりたくなってきたので、ジール達に気づかれないように裏口から。
だが……いや、マティエか? ドアの外にいたのは、暗くてよくわからなかったが、確かにあいつだった。しかもいつも以上に気難しい顔をして。まあこの顔には慣れてるから別に構わないけど。
「ちょうどいいとこに来た……」岩壁のような大女は、俺の元へずいずいと距離を詰めてきた。
酒臭くはない。なんなんだよまたしてもコイツ。ケンカのリベンジか!?
「は、恥を忍んで、お前にお願いしたいことがある……」いちいちトゲのある物言いはいつもとは変わらないな。

「この国を離れるまでの間でいい、私と結婚していることにしてもらえないか?」

「ふぇ?」
突拍子もないお願いに、腹の底から変な声が出ちまった。

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