バカも風邪をひく
「ぶへーっくしょい!」
今回の旅から帰ってきてからというものの、とにかく変なくしゃみが止まらない。
つーかこんなにひどいのは生まれて初めてかも知れねえ。もう朝から何十回もこの調子だ。鼻水まで止まらなくなってきたし。
「あのね、それおっ母から聞いたことあるよ、バカって病にならないんだってさ」
ジャノはそんなこと話してくれた。つまり俺はバカじゃないってことか。
しかしこれ以上食堂を鼻水まみれにするわけにもいかないと思って外に出たんだが……
寒い。いやいつも以上に寒い! なんかスーレイにいたときより……いや、前代未聞の寒さじゃねえのかこれ!? ってほどに身体中をキンキンとした冷たい風が通り抜けていった。
「ぶぎゃーっくしょん!」
また一発デカいくしゃみを飛び散らす。 なにかケンカか事件でも起きたのかと思ったのか、方々の家の窓がガラガラと開いて、街のやつらが俺のことをじっと見つめていた。うん、なんかすまねえ。
あ、そういえば……と、今日は仕事頼まれてたんだっけか。確か川の整備を、いやそれ昨日やったろ? 今日は芋の仕分けじゃなかったか?
あれ違う、いま何曜日だ?
思い出せない。俺はそんなに物忘れひどくなかったはずなのに、昨晩どんなメシ食ったのかもイマイチ頭の中が霧に包まれているみたいだ。
おまけに頭の奥底がすげえ痛くなってきたし。じわじわと。
なんだっけこれ二日酔い?
ジールが飲んだくれた翌朝にいつもそんなこと言ってたけど……俺は酒なんか飲めないし。
そんな痛みが今度は関節にまで広がってきた。やめろ……寒さと頭痛と関節の痛みと、あれ、俺がなんで?
「どうしたんだよラッシュ、今日は俺に稽古してくれるって約束したろ?」
「え、そうらっけ?」フィンが木の棒を手に走って来た。今度は鼻詰まりがひどくなってきた。ロレツが回らにゃい。
「……なんでジールのマネなんかしてるんだよ。ラッシュが言っても全然可愛くねえし」
「そうだよ、兄貴朝からずーっとこんな調子」
俺の背中にめちゃくちゃ重くなったジャノが飛び乗ってきた。こいつさっきっからだんだん重くなってないか? と思ったら、今度は熱いって飛び退いたし。
「なんかすごいよ、身体があつあつになってる!」
「マジかよ、ラッシュちょっと頭だして……ってうわなんだこの熱!」
フィンと二人して驚いてるんだが。オーバーだぞお前ら。
とはいってもフィンの剣の稽古は怠るわけにはいかにゃい。さっさと裏庭で済まし……え、俺なにしに外に出てるんだっけ。
……歩くたびに背筋がゾクゾクとしてきた。おまけに木の棒も重い。振るたびに身体が古い戸板みたいにギシギシと軋む音をたててそうな、まあとにかく身体も言うことを聞かなくなってきた。
「ヤバいよラッシュ。今日は休みにした方がいいんじゃね? 鼻水だってすごいし」
「あれ……チビはろこにいっら?」
「やっぱりおかしいよ、昨日の朝からチビのやつ熱出して寝かせてるって話してたじゃん。ねえ、ラッシュ聞いてる?」
フィンの声が山の向こうから聞こえてきているようだ。遠い、遠くて全然。
……にゃ。
……………………
………………
…………
「どうなんだよ先生、ラッシュの様子」
「ガハハ! 大したことねーさ! おおかた水風呂にでも浸かってたんだろーが。悪い気にあてられただけだ!」
気がついたら俺は食堂のテーブルの上に寝ていた。しかしなんだこのでけえ声……昔聞いたことあるような。
「ラッシュ、水風呂になんて入ったっけ?」
「ンなもん……はいって……ねえよ」
そんなことをフィンと話してると、突然俺の頭をゴツゴツした手がかき回してきやがった。
「そういえばバカ犬。お前ずいぶんときれいになってねえか? 髪の毛もサラサラだし」
見上げるとそこにはラザトの奴と、この丸々太った赤い鼻のハゲオヤジ……は……
あ! こいつ医者とか言うやつだ!! 間違いない!
っていうか俺じゃなく、いつも親方のところに来て酒飲んでバカ話していた医者!
月に一度親方のこと診てた覚えがある。そう、死ぬ前も……
「そういえば、スーレイで女装させられて身体中きれいに磨かれたんだよね?」
「マジか……だから帰ってきても全然部屋が臭くなかったってことか!」
え? え? いったいどういうことだそれ?
「ガハハ! そういうことか。つまりはラッシュ。お前全然身体洗ってなかったからそれなりに免疫が出来てたのかもしれないぞ!」
「ああ、それにこのバカ犬は剛毛だったしな。サラサラな毛になったことで風通しが良くなって……あとは分かるな」
「ってことは……ラッシュが熱出たのって、身体をきれいにしたから?」
「ガハハ! そういうこった!」
ラザトはバカみてえに笑い転げていた。フィンも込み上げてくる笑いをどうにか抑えていた。
「おとうたん……なんでねてるの?」
すっかり回復したチビが、不思議そうな顔でのぞき込んできた。
「んー、つまり温泉に入ったから……なのかな兄貴?」
くそっ、もう二度と風呂なんかしねえぞ!