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ネネルとズパさん

ーリオネングにラッシュ一行が戻ってきた数日後。
ほとんど誰も立ち入らなくなった中庭の小部屋で、一人テーブルに広げられた木の板に目をくまなく通す少女、ネネルがいた。
その板には大きめのマス目が刻まれ、人を模したいくつかの駒が置いてあった。
頬杖をついた顔を上げると、鉛色の雲の切れ間から、梯子にも似た陽光が差し込んできた。
「……上手くいったようだな」そうつぶやく彼女の口元に、わずかな笑みがこぼれ落ちる。

「あ〜、こんなトコにいたんですかいネネル姫。ずーっと探してたんですからね〜」
間伸びしたその声には疲れすら見てとれた。小部屋のドアを開けてフラフラと、今にも倒れそうな足取りで入ってきたその存在。
「ズァンパトウか。ここをよく見つけることができたな」
あまりにも痩せこけていた……その姿形はまるで人の姿に似た枯れ木そのもの。
以前城内に侵入し、ラッシュたちと死闘繰り広げた、ナシャガルの成れの果ての姿にも似ている。
「ストーップ! もうネーミングセンス最悪な姫さんの枷は解けたんだからね。ボクの今の名前はズパさん! だから今後とも憶えてお……ってちょっとやめてぇ!」
ネネルの手のひらサイズにまで小さくなったズパの身体を、ネネルは指でちょんとつまみ上げた。
「それはそうと、浄化の件……すまなかったな。私からも礼をさせてもらう」

「まったくだよ! ダジュレイの奴最後の最後にこんなことしやがるとはね。おかげでボクの身体もこの通りだし」
ズパは自らの身体を削りつつ、パデイラからリオネングに至るすべての地域の土壌を浄化していた。
「まあ、快復するまでしばらくの間はここに居させてもらいますよ、ここだったらば安全そうだしね」
「それは一向に構わぬが……お主、これからはラッシュの元につくのか?」
テーブルの上へどうにか登りつめ、塔の形をした駒を転がしていたズパの手が、止まった。
「姫さんもやっぱり気になるんですか? 彼のことが」
「当たり前じゃ。もはや故郷なぞ捨ててはおるが、曲がりなりにも妾はマシャンヴァル。血族である奴らのことなぞ全てお見通しじゃ」
なるほどね、今さら隠し事なんか……と。ズパはため息混じりに話したが、ネネルはそれに答えることなく言葉を続けた。
「良くも悪くも、ラッシュは全てを引き寄せる存在じゃ。故に妾の悩みはまだまだ尽きぬ……さて、今から話すこと、お前に聞く勇気はあるか?」
彼女の侍者の答えは予想していた通りだった「もちろんだよ」と。

くすりと微笑みを返し、ネネルは手に持っていた三角錐の駒をひとつ、ズパの隣に置いた。
「分かっているとは思うが……こちらは有利な駒を四つ持っている。ラッシュに御子、そして妾とお主じゃ」
「うぉう、ありがたきお言葉ですこと」
塔の駒をリオネング城に見立て、四つの駒を周りに配するネネル。
「正直なところ、これだけでもう故国マシャンヴァルに対する抑止の要素は全て揃っておるのじゃがな……しかし今回のスーレイの交易で、あのバカ犬は非常に厄介なものを連れてきたのじゃ」
「厄介なもの……? なんですかいそれは。宝石とか?」
ネネルは大きくかぶりを振って、小さな丸い形の駒をさらに置いた。
「……忌み子じゃ」
その言葉に、ズパは大きく首を傾げた。
「ラッシュに忌み子……? ゼルネー姫の例の御子ではなくて?」
「ああ。お前と行き違いでバカ犬にもたらされた女じゃ」
ネネルはリオネングの陣の真向かいに、ひときわ大きな城の駒を置いた。
大きさにして、ざっと九個分を占める巨大さ。
「二十数年前……人避けの禁を破って二人の余所者がマシャンヴァルに進入してきた。共に傭兵の端くれじゃ」
「あー、聞いたことあったね。獣人の女と人間の男でしょ」
「ああ。奴らはあろうことか黒衣の最後の一人を持ち出し、さらには血の泉まで浴びてしまった……」
「え、泉なんて浴びちゃったら普通は即死するんじゃ?」
ああ、とネネルは深くうなづいた。「普通なら……な。だが不幸にも奴らは半死半生ながらも生き延びていた……しかもよりによって」
「え、よりによって……ってつまり男と女なら……でも種族は違うんでしょ?」

ネネルは丸い駒をふたたび手に取り、ズパの小さな頭に乗せた。
「それが忌み子たる所以じゃ……分かるだろうズァンパトウ? この存在が非常に危険なものであるということを」
「……その事を知ってるのは、他に誰が?」

ネネルは目で制した「言わなくても分かるだろう?」と。
ズパは明滅する目でネネルを見、そして動かない唇で全てを語った。
「つまり、本来ならこの世界に居てはならない存在か……ラッシュはえらいモン連れてきちゃったね」
「ああ、ともあれこの国は守るべき厄介者をさらに増やしてしまったということじゃ……この先ただでは済まされん。場合によっては……」
「場合によっては、なんです?」

ネネルは盤上のマシャンヴァルに相当する駒を、その手でぎゅっと握りしめた。
指の隙間から流れ出た黒みがかった彼女の血が、瞬く間にリオネングの駒に染み込んでいく。
「さすれば妾も、エセリアの姿を捨ててこの国を護らねばならぬじゃろうな……」
「姿を捨てる!? リスクを承知の上で? ……いや、そんなことまでしてこの小国を護る価値はあるっていうのかい、ネネル姫?」
「ふっ……ズァンパトウよ。お主の目はただのガラス玉か?」
えっ! とズパは慌てて自身のつるりとした顔をぺたぺたと確認し始めた。
「この世界にはな……我が生命、いやあらゆるものを犠牲にしても護りたい存在があるのじゃ」
ネネルの血に染まった駒を、彼女はまた元の場所へと置いた。

ぺろりと、ピンク色の舌が掌の血を睨める。
「お主が奴に惚れ込んだように、妾もまた……欲しているのじゃ。新たなる聖女をな」
「聖女……それってつまり……ラッ」
それ以上は口にするな、と無言の圧力がズパを覆った。
「マジですかネネル姫……そんなことしちゃったら、姫の命が……」

「だから言ったであろう。この生命を犠牲にしても求めたいとな」

きらりと、ネネルの掌から流れ出た血が陽の光に反射をした。

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