第42話 フラスコ
夕方。
ファクトリーの件がひと段落したところで、僕はとある女性の家を訪れていた。
カーテンを閉め切った、薄暗い部屋。スクリーンの灯りだけが部屋を照らす。
部屋にいるのは4人。男女2人ずつ。
「ご苦労様です皆さん。では次に、現状皆さんにとって、クラスで最も脅威な存在を教えてください」
アイマスクで目を隠した女性、ユリアさん。この家の主である。
ユリアさんは椅子に座り、僕たち3人は彼女の後ろに立っている。
スクリーンに映される白黒映画を視界の端に置きながら、僕たちは会議を続ける。
「拙者のクラスはクイーンクラスらしく、友好的で人畜無害な奴ばかりだ」
黒髪一つ結びの男――日本人のシンイチ=カムロがまず話し始めた。
僕は手元の資料に軽く視線を落とす。
クイーンクラス 特記人物 A級0人 B級4人 C級4人
全クラスで最も特記人物が少ないクラスだ。
「現状、リーダーで指揮を執っているジョセフが強いて言えば驚異的だな」
「彼は警戒人物のリストには居ませんね」
「うむ。だからこそ、異様とも言える。まったくノーマークの男があっという間にクラスを掌握したのだからな。能力値は全て上の下、非の打ち所のない非凡な男子じゃ」
「わかりました。わたくしも彼については警戒しておきましょう。次、マモンさん」
マモンさんは「はい……」と消え入りそうな声で応える。
「ぼくのクラスは野蛮な人間ばかりで、警戒すべき人物が多すぎます……」
キングクラス 特記人物 A級1人 B級1人 C級10人
特記人物の数は全クラスで1番だ。
「でも、やはり1番はシノ=ハリー」
シノ=ハリーはA級指定の人物。そして、ヴィヴィさん、ユリアさんと共に新入生代表に選ばれた天才だ。
「まだクラスを掌握とまではいきませんが、すでに血の気の多い人物はボコされて彼女の下についてます」
マモンさんは手に持ったウサギのぬいぐるみに釘をブスブスと何度も刺す。これは彼女の癖で、常にこれを貧乏ゆすりのように繰り返す。もう慣れたが、最初の頃は不気味で恐ろしく感じたモノだ。
「ふふ、流石ですね。シノさん」
シノ=ハリーと面識があるユリアさんはシノさんの活躍が嬉しいらしい。
「それともう1人」
マモンさんのクマのついた瞳が初めて起きる。まるで、ここからが本題と言わんばかりに。
「ローレライ=カラーイーズ。あの女も危険です」
ローレライはノーマークの人間だ。これにはユリアさんも首を傾げる。
「詳しく聞かせてくれますか?」
「いえ、まだそこまで深い話はできません。恐らく近々、大きく動くと思います。それから報告したいと思います」
「わかりました。では次に、わたくしのクラスについてですが。エースクラスの掌握は終わりました。やはり優等生のクラスだけあって苦労がないです。一番驚異的な人物は、そうですね……わたくしでしょうか」
「お! お姫様がボケるなんて珍しいなぁ」
シンイチが茶化す。
「ふふ。たまにはわたくしも冗談の1つも言いますよ」
冗談ではない、と僕は思う。
エースクラス、詳しく知らないが、ユリアさんより恐ろしい人はいないだろう。
「一番驚異的なのは順当にA級指定のジン=ワイルダーさんですね。すべての能力値が異常です。ただ、当人はやる気が無く、基本的に手を抜き、目立たないよう過ごしています。彼の本気を引き出すのは苦労しそうです」
そこまでユリアさんが評価するとは。そのジークという人物、要注意だな。
「では最後に……アランさん」
「はい」
僕の担当はジャッククラス。
A級指定3人 B級指定2人 C級指定2人
A級指定人物の数はトップのクラスだ。
「一番危険なのはヴィヴィ=ロス=グランデで間違いないでしょう」
微笑みながら平然と嘘をつく。
「A級指定を3人も抱えるとは、同情するぞ」
「むしろやりがいがあって楽しいよ。君は逆に物足りないんじゃない?」
「如何にもだ。1人ぐらい分けてほしい」
シンイチは腰に差した刀を撫で、ため息をつく。
「A級指定の3人、同時に監視するのは難しいと思ってましたが、どうやら上手くやっているようですね」
「はい。A級指定の3人とは同じファクトリーになれましたし、友達にもなりました。監視は難しくないです」
「そうですか」
ユリアさんは手に持ったカップをはじめて机に置いた。
「本当に、一番脅威なのはヴィヴィさんなのですね?」
さすが、勘の鋭い人だ。
「はい。間違いないです」
「そうですか」
ユリアさんは意味ありげにこちらを一度振り向くが、すぐにまた正面を向く。
「我々
「今年の新入生は特別、優秀な錬金術師が集まりました。ゆえに、
もう飽きるほど聞いた文言だ。これを改めて言うのは、僕に対する牽制かな?
そこでちょうどスクリーンに映された映画がエンディングに入った。
「ちょうどいいですね。では始めましょうか。まず、主人公がトイレに入った回数は?」
毎度恒例の試験が始まった。
いつも会議中映画を流し、会議と映画が終わった後で映画に関する質問をするのだ。
これは洞察力、記憶力を測るための試験である。
「シンイチさん」
指名されたシンイチは余裕の面持ちで、
「4回だ」
「他2人も同じ意見ですか?」
「「はい」」
「正解です。では次、ヒロインのキャサリンが銃を撃った回数は? マモンさん」
「13回です」
「他2人も同じですか?」
「はい」「おう」
「正解です」
こうして淡々と質問は続いていく。
主人公が人を殴った回数は? 車に乗った回数は? 劇中で死んだ人間の数は?
そんな質問に次々と答えていく。
イタリアギャングの映画なので、物騒な質問ばかりだな。
「では最後に、主人公の歩数は?」
「うげっ!?」
「……むぐぐ」
シンイチとマモンさんが露骨に顔を逸らす。
「3842歩」
僕が言うと、ユリアさんは「素晴らしい」と手を叩いた。
「やはり優秀ですね。アランさん」
「お褒めに預かり光栄です」
僕とユリアさんは笑みを交わす。どちらも本心では笑ってないけどね。
話はここで終わり、それぞれ退室していく。
シンイチとマモンさんが退出し、僕も退出しようとしたところで、
「アランさん」
ユリアさんに呼び止められる。
「イロハ=シロガネさんに関わることで、なにか特筆すべきことは起きませんでしたか?」
おっと、ついに直接その名を出したか。
すでに彼の色彩能力についてと、虹の筆については報告している。他に特筆すべきことと言えば……。
僕が思い起こしたのは四季森でのこと。
僕はあの時、トレントにやられたフリをして、窮地に追い込まれたA級指定の3人がどう動くかを見た。
そして、彼――イロハ=シロガネ君の本気を見た。
いや、アレを本気と呼ぶのかわからない。人が変わったようだった。
人が変わってからの彼の動きは素晴らしいものだった。僕やシンイチの本気にもついてこられるであろう動き、さらに虹の筆を使ったトリックプレー。
変わる前に足を突き刺したあの謎の行動も気になるところ。
あの時のイロハ君は、イロハ君であってイロハ君じゃなかった。危険な何かを孕んでいた。
「いえ特には。色彩能力は特別ですが、それだけですよ。脅威ではありません」
そう言ってはぐらかし、次の質問が来る前に退室する。
ユリアさん、ごめんね。僕はね、不変が正しい道とは思わないんだ。
イロハ=シロガネはこの停滞する錬金術世界に必ず石を投じる。それを邪魔させはしないよ。
変わりゆく世界を、僕は見たいんだ。