第36話 シャインアクア⑤
洞窟の入口にはすでにモンキートロールの姿はなかった。
「ひとまず安心だな」
「一応、空挺は君が持っていて」
「あいあいさー」
丸まった風神丸を手に、恐る恐る洞窟から出る。
周囲を確認するが、魔物の姿はない。
そのまま渓谷を戻っていく。
「大丈夫そうだな」
「油断は禁物だ」
「はいはい」
渓谷の出口までくるが、魔物の姿はない。
「待った」
ヴィヴィは顔を青くして、川の向こう側を指さした。
慌てて川の向こう側を見るが、なにもない。魔物の姿もなにも。ただの道だ。
――だけど、なんだろう。違和感がある……。
「デッドリークラブがいない……!」
ヴィヴィの言葉で異常に気付く。
心臓が凍り付いた。
そうだ、あそこにはバカでかい蟹が居たはず――
「どこに!?」
ザバァン!!! と川から大きな水しぶきを上げ、紫の巨体が飛び出した。
巨体は俺たちのすぐ目の前に着地する。
「さっきの猿野郎とのいざこざで、目を覚ましたのか……!」
「イロハ君!」
俺は風神丸を展開し、すぐさま乗り込む。ヴィヴィもすぐに乗り込み、全速で発進させる。
「うおおおおおおおおおっっ!!」
デッドリークラブのガサガサガサガサ!! という足音がドンドン近づいてくる。
駄目だ、追いつかれる。空に逃げるしかない!
風神丸の高度を急上昇させ、デッドリークラブの追撃を躱す。
そのまま樹海の安全地帯を目指して飛ぶ。
瞬間、森の中で多くの光が散った。夜空に浮かぶ星々のように、森中が煌めいたのだ。
煌めいた場所から雷、炎、水、風の塊が飛んでくる。
「魔物の遠距離攻撃か!! クソ!!」
空挺レースで培った回避能力を活かし、攻撃を躱していく。
「やるじゃないか!」
危機的状況だからか、ヴィヴィは心底嬉しそうな声で言った。
「空挺レースの経験は無駄にならなかったみたいだな……!」
あともう少しで橋の場所まで戻れる――というところで、剃刀のような風が風神丸を切り裂いた。
「うおっ!!」
風神丸に穴が空いた。そのせいか、コントロールが効かなくなった。
「徐々に高度が落ちてる!!」
「頼む、もうちょいもってくれ……!」
グラグラの足場の中、なんとか樹海の安全地帯の真上まで戻る。しかし、そこまで行ったところで風神丸に空いた穴が広がり、ついには真っ二つに破れた。
風神丸から飛行能力が失われる。
「ヴィヴィ!!」
「イロハ君……!」
俺はヴィヴィを抱きかかえ、落下する。なんとか空中で動き、木々の枝にぶつかるよう調整する。枝がクッションになり、落下ダメージを防げると踏んだからだ。
森に上空から突入。
幾多の枝に当たりながら、俺は地面に落下した。
「いってぇ!!」
全身傷だらけ、でも骨にまでダメージは届いて無さそうだ。動けるには動ける。
俺はヴィヴィを胸から離す。
「ヴィヴィ……無事か?」
ヴィヴィは苦い顔をして、右足首を掴んでいた。
「変なところに枝をぶつけたみたいだ……」
ヴィヴィの右足首は大きく腫れている。
「……置いていくんだ」
ヴィヴィは顔を背けて言う。
「ふざけるな。乗れよ」
俺はヴィヴィに背中を向ける。
「無理だ。その傷で、私を背負って帰るのは……」
「だからってこんな樹海の真ん中に、女子を置いて帰れるか」
「……」
ヴィヴィは俺の背中に体を預けた。
「――ぐっ!?」
背中の切り傷が、痛む。胸の感触を楽しむ余裕もないな。
それでもなんとか踏ん張り、立ち上がる。
一歩、一歩、ゆっくりと進めていく。
夜が明け、空は明るくなっていた。
「イロハ君……やっぱり」
「うるせぇ!」
怒りを込めて言い放った。
歩く度、ヴィヴィと密着している部分の傷が痛む。激痛が走るごとに、意識が遠のいていく。
でも絶対にここで、ヴィヴィを見捨てはしない。絶対に……!
「――溺れている友達が居たら、助けに飛び込むんだ。たとえそれで自分が溺れてもな……」
「なにを、言ってるの……?」
極限状態だからか、俺の頭の中に走馬灯のように、
「可愛がっていたペットを、火に突っ込むような真似もしない。恩人が病気で倒れたら、果物と花を持って見舞いに行くんだ……」
頭に、爺さんの顔が浮かぶ。
「――家族が死んだら、ちゃんと泣く!」
気合を入れるために、大声を出す。痛みを紛らわせるために、大声で吠える。
「俺は、誰よりも『人らしく』生きてやるんだよ!!!!」
『人らしく生きる』。
それがイロハ=シロガネの命題だ。
「さっきから、なにを言ってるんだ……?」
「知るかよっ!!」
くそ、駄目だ。意識が……。
「いた! アランさん! こっちです!!」
知った声が正面から聞こえた。
「まったく……! 集合時間になっても来ないし、家にも居ないからまさかと思って来てみれば……!」
フラムとアランだ。2人がいる。
そこで安心しきった俺は、膝の力を抜き、地面に倒れ込んだ。