第26話 ありがとう
「う~、さっむいな! いまは冬か」
「そうみたいですね。葉の色が白になっています」
課題を渡されると、俺たちは早々に研究所から追い出された。すでに夕方だ。
研究所の外観を見る。鋼造りのそれなりに大きな建物だ。建物の周りには真っ黒な木が並べられている。
「あの木だけ黒いのはなんでだ?」
「アレは人工的に植えた木だね。魔物避けの“タリスマンツリー”だ」
ヴィヴィが解説してくれた。
「道理で、この辺は魔物の気配がないわけだな」
「魔物避けか。アレの葉を何枚か持ってたら、魔物が寄ってこないんじゃないかな?」
アランが聞くと、ヴィヴィは「良い案だね」と採用した。
「タリスマンツリーの葉は木から離されても50分ぐらいは魔よけの効果があるはず。利用しよう」
というわけで、俺たちはタリスマンツリーから葉を何枚か拝借した。
「イロハさん、次の季節がなにかわかりますか?」
「ピンクっぽいから春だな」
「出る時、時計は5時58分でしたからもうすぐ変わりますね」
俺たちは葉の色が変わるのを待つ。
「本当に良かったのかい?」
ヴィヴィが横に立つ。
「なにが?」
「コノハ先生にホムンクルスのこと、聞かなくて」
「アイツと同じファクトリーになれば聞く機会はいくらでもあるだろ。それに、コノハ先生はあんまり俺と話したくない感じだったからな。せっかく話が運んだのに、水を差したくなかった」
あわよくば親戚のような関係になれればと考えていたが、無謀だったようだ。ジョシュア先生の言う通りだな。俺を無条件に嫌悪している。
木の葉の色が一斉にピンク色に変わった。
気温が暖かくなる。
「アラン君。歩きながらですまないが、話がある」
ヴィヴィが一度俺の眼を見る。俺は小さく頷く。アランをファクトリーに巻き込むなら、本当の目的は話しておくべきだ。
「私の真の目的は何でも屋を開くことではないんだ」
「どういうことだい?」
ヴィヴィは話す。自分が賢者の石の錬成を目指していること。ゼネラルストアはその隠れ蓑に過ぎないことを。
「面白い話だね。でも、隠れ蓑とはいえ、ゼネラルストアもちゃんと稼働させるんでしょ? そこで手を抜かないんなら、君が余った時間で何をしようが構わないさ」
ゼネラルストアの運営には手を貸すが、賢者の石の錬成には自分は関与しない。とアランはハッキリ言う。
「うん。それで構わない。他の2人も同様だ。賢者の石の錬成はあくまで私の目的であり、君たちに協力は強制しない」
賢者の石の錬成、これに関わるも関わるまいも自由、ってわけだな。
「一つ、条件がある」
アランが指を1本立てる。
「賢者の石の錬成を目指していること、ファクトリー以外の人間には言わないでほしい」
「そうだね。学生が賢者の石を目指すのは心証が悪いそうだし、私のせいでファクトリーの評判が下がるのは申し訳ない。誰にも言わないよ。ただすでにジョシュア先生には言ってしまっている」
「ジョシュア先生にも口止めした方がいいね」
「同意だ。機を見て私から話しておくよ」
アランの言う通り、賢者の石の錬成を目指していることは他言しない方がいい……とはいえ、アランがそれをひた隠しにしたがる様子には少しばかり違和感を抱いた。
話は終わり、四季森の突破に集中する。
40分ほどで四季森を抜けた。来るときに比べてあっさりと踏破できた。タリスマンツリーの葉のおかげだな。魔物との戦闘が無かったおかげでヴィヴィのスタミナもなんとかもったようだ。
「ぜぇ……はぁ……!」
それでも疲労困憊だったので、ヴィヴィの体力が回復するまで暫し待った。
「ヴィヴィさん、オーロラフルーツの種とやらを錬成するのは君でも難しいのかな?」
「まだ軽く眺めただけだけど、そう採取が難しい素材は見当たらない。ただ、知らない素材が何個かあった。明日、図書館で調べてみるつもりだ」
「手分けして調べた方がいいだろ。明日は全員で図書館に行こうぜ」
みんな頷く。というわけで明日の予定は決まりだ。
「図書館ってどこにあったっけ?」
「たしか一番通りにあったはずだよ。ここに来る途中で見かけた」
ヴィヴィは遠くに見える時計塔を指さす。
「ここからも見えるだろう、あの時計塔。あの時計塔の下が図書館だ」
「オーケー。把握した」
でかい時計塔だな。行くのが楽しみだ。
「今日はここで解散にしようか。僕、帰りに寄りたいところがあるんだ」
「ジブンもです。牛乳を買いに行かないといけません」
満場一致で解散することになった。
十字路をアランは西に、フラムは北に、俺とヴィヴィは南に行く。
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俺とヴィヴィは2人、帰り道を歩く。
ヴィヴィはなぜか、俺から距離を取って歩いている。どこか心の距離を感じるな。
「話があるんだけど、いいかな?」
「どうぞお好きに」
ヴィヴィが切り出したい話の内容……なんとなく察しはついている。
ヴィヴィは俺から四歩ほど距離を取った場所で、俺に体を向ける。
「君はトレントを単独で倒した。これに間違いはないね」
俺にとって面倒な話題この上ないが、無視するわけにもいかない。わざわざ2人きりになったタイミングで話題を振ってくれたわけだからな。
「なぜそう思う?」
無駄な問いだと理解しつつも、一応尋ねる。
「私がトレントに攻撃を受け、気を失う直前の状況を思い返せば簡単な話さ。アラン君はすでに気絶していて、フラム君は私と同様にトレントの攻撃を無防備に受けた……そしてコノハ先生はトレントには手を出していないと言っていた。私たち3人が気絶し、コノハ先生が到着するまでの間に君はトレントを処理し、その後気絶した。足の怪我はトレントとの戦いでついたものだろう?」
さすがの天才少女も俺の足の傷が自傷でついたものとは推理できなかったみたいだな。ま、俺の内情を知らなきゃたどり着けるはずもないことだ。足の傷をちゃんと見れば切り傷であることはわかるだろうが、だからと言って俺が自分でつけたとは考えないだろう。俺の剣が相手に奪われ、攻撃された。と考えた方がまだ自然だ。
「突然、覆面をつけた男が割り込んできて、俺を助けてくれたんだ。いや~、あの人には感謝してもしきれないな」
「否だ」
俺の適当な言い訳に対し、ヴィヴィは強めの語気で否定する。
「君の服を直したのは私だ。服の傷から見るに、君がトレントと激戦を繰り広げたことは間違いない。それに君の武器にはトレントと同じ臭いがあり、木屑もついていた。トレントを斬り裂いた証拠だ」
やはりヴィヴィの追及を避けるのは容易ではないか。この頭のキレと洞察力、鼻の良さ。コイツが探偵になればシャーロック=ホームズ並みに活躍できるのではないだろうか。
そもそもなぜヴィヴィに正直に話さないのか、それはシロガネという存在が俺にとってのトップシークレットだからである。
シロガネは俺の二つ目の人格だ。冷徹で無感情。そのおかげで常に感情に惑わされることなく状況を正確に分析し、最良の選択をして勝利・成功をもぎ取る。考え方も心も能力もまったく違うのだから、もう一つの人格と言っていいだろう。
二重人格である――というのはハッキリ言って異常だ。俺はできれば、平常な人間でありたい。そう見られたい。二重人格であると明かして相手に引かれるのも、または好奇心をもたれるのも好まない。悪目立ちはしたくない。
ヴィヴィの場合後者であることは言うまでもない。ヴィヴィは俺が二重人格者だとわかれば、必ずもう一つの人格に興味を持つ。俺がシロガネを表に出すことを拒否しても、あの手この手で人格を引き出す術を探す可能性がある。もっとも、俺が今まで見てきたヴィヴィという少女は相手が本当に嫌がることを強要したりしない、善悪で言えば善性の人間であると思うが、彼女の好奇心の強さが未だに未知数。強い好奇心の前には悪になることも辞さないかもしれない。
そしてもしシロガネを引き出された時、奴がどう動くか想像もできない。シロガネは強力なカードであると同時にとても危険なカードだ。ヴィヴィから余計な刺激を受けたくはない。奴が出る可能性を1%も上げたくない。
リスク面で考えてシロガネの存在は隠すべきだと結論付ける。
「ヴィヴィ。俺にも隠し事はある。今回のトレントの件はまさにその隠し事に抵触する」
「黙秘するかい?」
「黙秘すればお前は引くだろうが、俺への信頼も薄れるだろう。だから二つだけ俺の隠し事に関わらない範囲で真実を言う。これで引いてほしい」
「いいだろう」
ヴィヴィは即答する。これ以上食い下がっても得られる情報が減るだけだと勘づいたのだろう。
「『俺はお前らの前で手を抜いていたわけじゃない』、そして『二体目のトレントを倒したのは俺ではない』。この二つは真実だ」
どちらも本当のことである。俺は四季森において全力を尽くしたし、トレントを倒したのは俺でなくシロガネだ。
「……わかった。信じるよ」
上辺だけの言葉かもしれないが、ヴィヴィはそう言ってくれた。
話が終わる頃に、ちょうどヴィヴィの家の前に着いた。
「じゃあな、ヴィヴィ」
そう言って、立ち去ろうとすると――裾を引っ張られた。
「……どうした?」
振り向くと、ヴィヴィは微笑んでいた。
「真実がどうであれ、力を尽くしてくれたのは確定だ。ありがとう……そして、すまなかった」
ありがとうと言われるのはわかるが、謝られる理由はないはず。
「今日の一連の流れ、発端は私にある。君を、君たちを危険に巻き込んだことは心から反省している」
ヴィヴィの顔には申し訳なさが前面に出ている。
「勘違いするなよ。俺も他の連中も、自分の意思で四季森に入った。誰もお前を責める権利はない」
それに。と俺は付け加える。
「ありがとうと言いたのは俺の方だ」
「え?」
「今のところ、この世界はめっちゃくちゃ楽しい。体を分解されたり、空を飛んだり、自分で家を作ったり、武器を作ったり、今回の森の探索も楽しかった。まだ授業も始まってないのにこれだけ面白いことがあった。ずっと心が躍りっぱなしだ」
「……あまりそうは見えなかったけどね」
「嘘じゃないぞ。この世界に引っ張り込んでくれたお前には心底感謝している」
俺の言葉を聞いて、ヴィヴィはホッとしたような顔をする。
「嬉しいモノだね。自分が好きなモノを、他人も好きになってくれる……というのは」
ヴィヴィに言ったことは嘘じゃない。この国は、錬金術は面白い。外の世界の人間、錬金術を全く知らない人間たちに同情するほどにな。
「ところで」
俺はヴィヴィに一歩近づく。するとヴィヴィは一歩引く。二歩近づくと二歩、三歩近づくと三歩遠ざかる。
「なぜ俺から距離を取ってる?」
「……」
ヴィヴィはジトーっと、責めるような視線を向けてくる。『なぜわからないんだこの男は』とでも言いたげな目だ。
「……汗の染みた衣服は、時間を経過すればするほど菌を増やしその匂いを強くする」
「いきなりなんだよ」
「あのねぇ……!」
ヴィヴィは怒った様子で三歩近づく。
「あ」
そこで俺は気づく。鼻につく、甘酸っぱい匂い。ヴィヴィの汗臭に。
俺が一瞬、顔を歪めたのをヴィヴィは見逃さなかった。ヴィヴィはしまったという顔をして、頬を赤くさせる。
ヴィヴィは四季森で俺たちの十倍ぐらい汗をかいていた。当然、汗の匂いも俺たちとは比べ物にならない――嗅覚の鋭いヴィヴィは、己の汗臭を他人より強く鋭く感じていたことだろう。
平手打ちがくるか、それとも肘打ちがくるか、俺が身構えていると、なんと第三の選択肢、ヴィヴィは杖を抜いた。
雷を出す杖である。
……。
冗談だろ!?
「雷錬成! ヴォルト!!」
「むぎゃあ!?」
俺は全身を痺れさせ、その後10分動けなかった。