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第33話 風邪風邪クライシス③

 気づいたら、砂浜の上に立っていた。
 目の前には広大な海。空には輝く太陽。しかしまったく太陽の熱さも砂の熱さも感じない。そのおかげでああこれは夢なんだなとわかった。

「だいふく!」
「昴くん」

 背後から二人の声。よく聞きなじみのある声だ。
 振り向くと、水着姿のかるなちゃまとハクアたんがいた。

「かるなちゃま、ハクアたん……!」

 かるなちゃまは黒のフリル付きの可愛らしい水着。ハクアたんは白の大人っぽいビキニ水着だ。
 かるなちゃまは俺の右腕を抱き、ハクアたんが俺の左腕を抱く。

「ほら、早く海に入ろうよだいふく! バナナボード乗ろ!」

「私は日焼け止めオイルを塗ってほしいな~」

 両腕に感じる二人の胸の感触が、布団みたいなのはきっと俺の想像力の限界なのだろう。おっぱいの正確な感触を再現できない自分のイメージ力の無さに呆れる。

 これは夢。夢の中ならばなにをしても許されるはず!

 俺は二人の腰に手を回し、抱き寄せる。

「よーし! たっぷりオイル塗って、たっぷり泳ごうな~! ビバドリーム!!」

 ああ、なんて素晴らしい夢だ。一生醒めなければいいのに。
 と思った矢先、景色が途端に崩れはじめた。

 ちくしょう。どうやら終わりみたいだ。現実の景色が見えてくる……。


 --- 


「あ、あの……いい加減にしてもらえませんか……」

 目を覚ましたら、なにやらいい香りが鼻を突き抜けた。
 甘くて、爽やかで、どこか気品のある香り。
 目の前は真っ暗で、鼻先には(やわ)い感触がある。

 俺の両腕はなにかを抱き寄せていた。両手をスライドさせ、なにを触れているか確かめようとすると――

「んあっ!?」

 俺の両手の指は、裂け目のようなとこに入っていった。
 なんだこの感触? ぷにぷにで、柔らかくて、裂け目のあるモノ。おっぱい? いや、それとは違うような……。

 でも間違いなく人体だな。この手触り。

 ていうか、俺の鼻先にあるのがおっぱいじゃね?
 ていうか抱き寄せてるの人間じゃね? 女子じゃね?

 ってことはだ。人体の構造的に、俺が触ってるのは……、

「ケツ、か」

 俺が手を離すと、目の前の女子は距離を取った。
 頼む、妹であってくれ。と願うものの、俺はすでに寝起き一発目にその声を聞いている。その後の悲鳴も聞いている。
 目の前にあるモノが女子とわかった時点で、俺は誰に何をしでかしたか大体把握していた。

「……元気そうですねぇ、昴先輩。むしろ、風邪じゃない時よりお(さか)んなんじゃないですか?」

 あのクールフェイス麗歌が、涙目で顔を真っ赤にしている。

(グー)目潰し(チョキ)張り手(パー)かは選ばせてあげます」

「……じゃあ張り手(パー)で」

 パチン! と軽快で抜けの良い音が部屋に響いた。

「嫌味ではなく、本当に調子よさそうですね」

 平手打ちをかますと、麗歌はいつも通りのクールフェイスに戻った。
 俺は左頬の赤い手形を撫で、

「そうだな。たっぷり寝たおかげで、だいぶ楽になった。明日には復帰できるだろうよ」

「一応、色々と買ってきたのですが無用になりそうですね。すでにアオ先輩が必要な物は買い揃えていたようですし」

 麗歌もゼリーとか病人が食えるものを買ってきてくれたようだ。

「それでもくれると助かるな。治ったあとでも食べられるもんばっかりだ」

「ええ。別にいいですよ」

「ところで、綺鳴はどうしてる?」

「昴先輩のところへ来たがっていましたが、あなたからのメッセージを見て諦めたそうです。ナイス判断でしたよ、昴先輩」

「当然の判断だよ。アイツに風邪うつしたら俺は俺を許せねぇ」

 もしアイツに風邪をうつしたら立ち直れない自信がある。

「それでは、もう遅いですし帰りますね」

「ああ。見舞いサンキューな」

「いえいえ、昴先輩にはお世話になってますから。ああそれと、最後にお姉ちゃんから伝言です」

「伝言?」

「今日の配信、音声だけでも聞いてください……だそうです。もちろん、難しかったら聞かなくて大丈夫ですよ」

「いや聞くよ。どっちみち見るつもりだったしな」

「……無理はしないでお願いしますよ」

「かるなちゃまの配信が俺の特効薬なんだよ。熱が40度あったって見る!」

 かるなちゃまの配信を見れば病原菌なんて吹っ飛ぶぜ。

「絶対やめてください」

 呆れた口調で言い、麗歌は部屋を出て行った。
 時間を見ると18時半。夕方と夜の切り替え時だ。
 fritter(フリッター)でかるなちゃまの配信スケジュールを見ると、今日は20時から生配信するそうだ。
 俺はそれまでに飯を済ませ、さすがに三種の神器ではなくスポドリを手に配信を待つ。

 今日はパソコンではなく、スマホで寝転びながらの視聴だ。

 20時になって配信が始まる。

『きーん、こーん、かーん、こーん! 起立、礼! こーんばーんーはーっ! エグゼドライブ6期生の月鐘かるなです!』

 今日はゲーム配信の予定だ。
 この前、ハクアたんに負けたブレシスの特訓配信……のはずだったが、

『みんなごめんね~。今日はブレシスの練習をひたすらやるつもりだったんだけど、一曲だけ歌わせてほしいんだ』

 歌?

《全然いいよ~》
《むしろご褒美》

 とコメントが流れる。

「ありがと! それじゃいくよっ! カラフルラピットのファーストシーズン、エンディングテーマ! “FIGHT(ファイト) MOON(ムーン)”!!」

 この曲は……明るく、元気の出る応援ソングだ。
 俺も大好きな歌。
 以前に俺は綺鳴にカラフルラピットのセカンドシーズン、そのオープニングテーマをリクエストしたが、この曲はそれに並ぶ名曲。ギリギリまでどっちをリクエストするか悩んだほどだ。

 そうか、綺鳴は俺にこの曲を聞いてほしかったんだな。
 耳から入ってくる綺鳴の歌声が、俺の体内の病原菌を撃退していく……。

――その翌日。

 前日、風邪を引いていたのが嘘みたいに俺の体は元気になっていた。嵐の後の晴天の如く、晴れやかな気分だ。

 やっぱVチューバーってすげぇなぁ。と、窓から雲一つない空を見上げて思った。

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