第183話 引っ越しそばと『客』
「あの、良いですか?」
にらみ合う二人に突如声をかけたのは困った表情を浮かべた神前ひよこ軍曹だった。かなめとカウラの口喧嘩の仲裁をするのに必死だった誠は彼女の存在に気が付かずにいた。
「ひよこちゃん、来てたんだ。ごめんね、気づかなくて」
誠はそう言うと煙臭い喫煙所から食堂に向けて歩き出した。
「ああ、西園寺さんとベルガーさんの事ですね。あの二人が馬が合わないのは昔からですから。それより、たまたま先日の出動時の健康診断のデータを取りに本部に行ったら、嵯峨隊長にこれを持って行くように言われたので」
そう言ってひよこがスーパーのレジ袋を差し出した。とりあえず誠がそれを受け取って中身を見る。
手打ちそばが入っていた。
「本部で嵯峨隊長にこれをみんなで食えって渡されたんですけど。隊長はそのまま帰っちゃって……ああ見えて隊長そば打ちが趣味なんですよ。意外ですよね」
ひよこが誠が手にしているそばを見ながらそう言った。誠はあの『駄目人間』に『飲む・打つ・買う』以外の趣味があることに驚いた。
そこにちょうど、部屋に荷物を運び終えたカウラが現れた。
「神前が手に持っているのは、昨日隊長が言ってた引越しそばだな。誠、パーラを呼んでくれないか」
カウラの言葉に誠はそのままアメリアの部屋の前に向かった。島田をはじめ、手伝っていた面々はダンボールから漫画を取り出して読んでいた。
「パーラさんいますか?」
こういう時に頼りになるのは『特殊な部隊』ではパーラくらいしかいない。その事実を誠は嫌と言うほど知っていた。
「何?また面倒なことが起きたの?嫌よ、これ以上面倒ごとに巻き込まれるのは」
部屋の中からいつもの被害妄想に駆られているパーラが顔を出す。当然、彼女の手にも少女マンガが握られていた。
「なんか隊長がそば打ったってことで、ひよこちゃんが来てるんですけど」
パーラは呆れたようにすぐに大きなため息をつく。
「隊長はこういうことだけはきっちりしてるからね。アメリア!後は自分でやってよ」
そう言うと漫画をダンボールに戻してパーラは立ち上がった。
「サラ、それに西君。ちょっとそば茹でるの手伝ってよ」
パーラの言葉に漫画を読みふけっていたサラ達は重い腰を上げた。パーラは一路、食堂へと向かった。
「ひよこちゃん。こっちよ」
喫煙所前で突っ立っていたひよこに声をかけると、パーラはそのまま食堂へ向かった。
「そばか、いいねえ」
タバコを吸い終えたかなめがいる。
「手伝うことも有るかも知れないな」
そう言うとカウラは食堂へ向かう。
「何言ってんだか。どうせ邪魔にされるのが落ちだぜ」
かなめはあざ笑うようにそう言うとそのまま自分の部屋へと帰っていった。誠は取り残されるのも嫌なので、そのまま厨房に入った。
「パーラさん。こっちの大鍋の方が良いんじゃないですか?」
奥の戸棚を漁っている西の高い音程の叫び声が響く。
「だけど……良い所ですよね、この寮。本部から近いし、こうして食事まで出る……」
周りを見回すひよこ見つめながら、誠はそのまま厨房に入った。
「誠君。竹のざるってある?」
「無いですね。それに海苔の買い置きって味付けしか無いですよ」
誠は食器棚を漁っているパーラに答えた。
「わさびはあるわ。それにミョウガも昨日とって来たのがあるわよ」
「グリファン少尉。あんまりそばの薬味にはミョウガを使わないと思うんですけど。ネギがあるからそれだけで十分ですよ!」
誠もそばにみょうがを入れると言う話は聞いたことが無かった。
「だから冗談よ!知ってて言ってんの!ネギでしょネギ!」
西に突っ込まれて、サラは微妙な表情をしながら冷蔵庫から冷えた水を取り出した。
「まだ早いわよ。じゃあ金ざるで代用するから。あと神前君は手伝うつもりが無かったら外で待っててくれない?」
パーラは慣れた調子で大なべに火をつけた。邪魔になるのもなんだと思い直して誠は食堂に戻った。
「はいはい!邪魔ですよ!」
今度はサラがそばを手に食堂に腰かけようとしていた誠を追い立てる。
「追い出されたのか?」
何度も食堂の中を振り返りつつ誠が渋々廊下に出た。廊下と階段の間の喫煙所でタバコを吸うわけでもないひよこが笑っていた。
「とりあえずお水を」
食堂からお盆を持って出てきたサラからひよこは冷えた水を受け取った。
蝉しぐれが無言の喫煙所に響き渡る。誠とひよこは黙ってそれを聞き入っていた。