第168話 殺伐とした部屋
エレベータが開きかなめが乗り込む。階は最上階の9階。誠は人気の無さを少しばかり不審に思ったが、あえて口には出さなかった。たぶんかなめのことである。このマンション全室が彼女のものであったとしても不思議なことは無い。そして、もしそんなことを口にしたら彼女の機嫌を損ねることはわかっていた。
「どうした?アタシの顔になんかついてるのか?」
「いえ、なんでもないです」
誠がそんな言葉を返す頃にはエレベータは9階に到着していた。
かなめは黙ってエレベータから降りる。誠もそれに続く。フロアーには相変わらず生活臭と言うものがしない。誠は少し不安を抱えたまま、慣れた調子で歩くかなめの後に続いた。東南角部屋。このマンションでも一番の物件であろうところでかなめは足を止めた。
「ちょっと待ってろ」
そう言うとかなめはドアの横にあるセキュリティーディスプレイに10桁を超える数字を入力する。自動的に開かれるドア。かなめはそのまま部屋に入った。
「別に遠慮しなくても良いぜ」
かなめはブーツを脱ぎにかかる。誠は仕方なく一人暮らしには大きすぎる玄関に入った。
ドアが閉まると同時に、染み付いたタバコの匂いが誠の鼻をついた。靴を脱ぎながら誠は周りを見渡した。玄関の手前のには楽に八畳はあるかという廊下のようなスペースが広がっている。開けっ放しの居間への扉の向こうには、安物のテーブルと、椅子が三つ置かれている。テーブルの上にはファイルが一つと、酒瓶が五本。その隣にはつまみの裂きイカの袋が空けっ放しになっている。
「あんま人に見せられたもんじゃねえな」
そう言いながらかなめはすでにタバコに火をつけて、誠が部屋に上がるのを待っていた。
「ビールでも飲むか?」
そう言うと返事も聞かずにかなめはそのまま廊下を歩き、奥の部屋に入る。ついて行った誠だが、そこには冷蔵庫以外は何も見るモノは無かった。
「西園寺さん。食事とかどうしてるんですか?」
「ああ、いつも外食で済ませてる。その方が楽だからな」
そう言ってかなめは冷蔵庫一杯に詰められた缶ビールを一つ手にすると誠に差し出す。
「空いてる部屋あったろ?あそこに椅子あるからそっちに行くか」
そう言うとかなめはスモークチーズを取り出して台所のようなところを出る。
「別に面白いものはねえよ」
居間に入った彼女は椅子に腰掛けると、テーブルに置きっぱなしのグラスに手元にあったウォッカを注いだ。
「まあ、冷蔵庫は置いていくつもりだからな。問題は隣の部屋のモノだ」
かなめは口に一口分、ウォッカを含む。グラスを置いた手で、スライス済みのスモークチーズを一切れ誠に差し出す。誠はビールのプルタブを切り、そのままのどに流し込んだ。
「隣は何の部屋なんですか?」
予想はついているが誠は念のため尋ねる。
「ああ、寝室だ。ベッドはあの狭い部屋には入りそうに無いから置いていくから。とりあえず布団一式とちょっと必要なファイルがあってな」
今度はタバコを一回ふかして、そのまま安物のステンレスの灰皿に吸殻を押し付ける。
「まあ、色々とな」
かなめは今度はグラスの半分ほどあるウォッカを一息で飲み下してにやりと笑う。
「しかし……」
誠はそんなかなめの表情を見つめながらビールを口に含んだ。部屋の埃がビールの上に落ちるのが見える。
「だから……人に見せるような部屋じゃねえんだよ」
かなめはそう言うと頭を掻きながら立ち上がり、手にしたウォッカのグラスをあおった。
立ったままかなめは口にスモークチーズを放り込んで外の景色を眺める。窓には吹き付ける風に混じって張り付いたのであろう砂埃が、波紋のような形を描いている。部屋の中も足元を見れば埃の塊がいくつも転がっていた。