第122話 ロマンの香り漂う海
「誠さん」
不意に声をかけられた誠は更衣室を出てあたりを見渡す。そんな誠の肩を叩いたのがひよこだった。
「ひよこさん、何ですか?」
さすがにいろいろあった一日で、心地よい疲労感のようなものが誠を包んでいた。
「これ拾ったんだけど、西園寺さんにと思って……あの人、いつも追い詰められているように見えて、これを耳に当てればきっとその心も落ち着きますよ」
ひよこが差し出したのはピンク色の殻を光らせる巻貝だった。子供のこぶし程度の大きさの貝は次第に朱の色が増し始めている日の光を反射しながら、誠の手の上に乗った。
「良いんですか?」
いかにもひよこが好きそうなきれいな貝を手にして誠は彼女を見下ろした。詩をこよなく愛するひよこにふさわしいプレゼント。誠はそのチョイスに理系人間であまり歌心などには関心のない自分と見比べてひよこの心配りをうれしく感じた。
「今日の素敵な休日をくれたのは西園寺さんなんで……そのお礼としてあげてください。たぶん誠さんから貰うと西園寺さんもうれしいと思うから」
ホテルの駐車場に向かう島田達を見守りながら誠はひよこに渡された巻貝を耳に当てた。
潮の音がする。確かにこれは潮の音だ。いくら詩心の無い誠でも少しの感動を覚えていた。
「何やってんだ?」
背中から不思議そうなかなめの声が聞こえた。誠は我に返って荷物を抱えた。その際、耳に当てていたひよこからもらった貝を思わず落とした。
「なんか落ちたぞ」
そう言ってかなめが誠の手から滑り落ちた巻貝を拾い上げた。
「こりゃだめだな。割れちまってるよ」
少しばかりすまないというような声の調子のかなめのかなめがいた。誠は思わず落胆した表情を浮かべる羽目になった。
「アタシに渡そうとしたのか?」
そう言うと、珍しくかなめがうつむいた。
「ありがとうな」
そう言うとかなめは自分のバッグにひびの入った巻貝を放り込む。何も言わずにかなめはそのまま防波堤に向かって歩いていく。
「良いんですか?」
「お前の初めてのプレゼントだ。大事にするよ。下手にブランド物のバッグを送られたりするよりこっちの方が百倍嬉しいくらいだ」
かなめはそう言うと誠を置いて歩き始める。誠は思い出したように彼女を追って走り出す。追いついて二人で防波堤の階段を登って行った。誠もそれに続いて階段を駆け上った。