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神の巻

大和(やまと)の地は焼け野原だった。

黒炭(くろずみ)と化した家々の周りには、焼け出された(たみ)(たむろ)している。
皆、生活の場を失い放心の(てい)だ。

首や胴体など、身体の一部が切断された死体が路上に散乱していた。
剣や弓を握り締めている事から兵士だと分かる。

少し離れた小山の上に、その光景を眺める人影があった。
青藍(せいらん)の鎧を(まと)い、手には鮮血に(まみ)れた剣が握られている。

荒い呼吸で睨み付ける様は、まさに鬼神のそれだった。

「生き残りの兵はおりません……彦火火出見(ひこほほでみ)様」

彦火火出見と呼ばれたその若者は、小さく頷くと目を閉じて呼吸を整える。

「そうか……これで世を乱す蛮族(ばんぞく)も最後だな」

吐き出すように彦火火出見が呟く。

饒速日(にぎはやひ)御神(おんかみ)より騒乱平定の任を受けてから幾年月……苦難の道も、ようやく終わりだ」

そう言って若者は、背後の家来を(かえり)みた。
何百という兵士が、(こうべ)()れている。

「御神の御託宣(ごたくせん)では安芸(あき)吉備(きび)など六国(りっこく)が諸悪の根源との事。この大和の地を制圧した今、世の平穏は保たれましょう」

側近らしき兵士が、片膝をついた姿勢で労を(ねぎら)う。

「そうだな。御神の命に従い、此処に居を構えるとしよう。祭殿にて饒速日の御神を(まつ)り、我も名を神武と改める」

そう言い放つと、彦火火出見は(きびす)を返し、馬に(また)がった。

「ははっ、御意(ぎょい)にございます……神武天皇様!」

平伏(へいふく)する群勢を前に、若者は天を(あお)いだ。

「本当に、これで宜しかったのですね……御神よ」

絞り出すようなその言葉を、聴き取れた者はいなかった。


*********


「どういう事か説明してもらいましょうか……饒速日(にぎはやひ)

(まばゆ)いばかりの日輪(にちりん)を背に、高台に()した女神が問い掛ける。
凛とした声は、心身が凍りつく程の威厳に満ちていた。

「説明と申しますと……?」

床に(ひざまず)く饒速日と呼ばれた男神(おがみ)が答える。
痩身の体からは、(おびただ)しい瘴気が溢れ出ていた。

「私は、民心を平定せよと指示したはず。ですが、あなたの代行を務める彦火火出見は、力に任せて国を制圧してまわっています。そのため兵士はおろか、農夫や女子供まで命を落とす結果に……あなたのやっているのは、単なる殺戮です」

女神は、強い口調で言い放った。

「貴方に八握剣(やつかのつるぎ)を託したのは間違いでした。あれは高天原(たかまがはら)でも最高位の神器。一度手にすれば、人と言えど神と同等の力を得られるものです。導きの神具として授けたのですが、貴方はそれを殺傷道具として使用した。そのせいで今、八握剣には数え切れぬ程の憎悪と怨念が蓄積しています」

男神をまっすぐ見下ろしながら女神は続けた。
落ち着いた中にも、言い逃れを許さぬ響きがあった。

「これは心外。私めは、お言い付け通り騒乱を収めただけの事。現に彦火火出見が統治した国は、いずれも一糸乱れぬ秩序が維持されております」

わざとらしく目を丸めて饒速日は言った。

「それは、武力により民を支配しただけ。そのために幾千もの人命が奪われました。人の命を犠牲にして良いなどと言った覚えはありません」

「では、一体どうせよと……」

「国々に優れた統治者を置き、民を導くのです。親和と友愛から共に助け合う事の大切さを学ばせる。彦火火出見もそのために選びし者のはず……」

「あまいっ!」

饒速日は、女神の言葉を遮り声を上げた。

「恐れながら、貴女は人間というものをあまりに知らなさ過ぎる。怠惰と暴虐を好み、己れの欲の為なら身内はおろか神さえも(ないがし)ろにする……それが世の民です。それが人間という(やから)です。どれ程優れた統治者を置こうと、生来の本性は変えられない。唯一変えられるとしたら、それは力によってのみ可能。有無を言わさず従わせる事こそ、世の秩序を保つ唯一無二の手段なのです!」

男神は立ち上がると、目に狂気を宿して激白した。
自らの言葉に陶酔し大仰(おおぎょう)に手を振る様は、神と呼ぶにはあまりにかけ離れた存在に見える。

その様子を黙って見ていた女神は、やがて静かに目を伏せた。

「……饒速日、貴方こそ人間の本性を宿した存在そのものに見えます……全ては任命した私の責任ですね」

そう言うと、女神は神殿の奥に向かって手を上げた。

ほどなく、剣を(たずさ)えた数名の男神が現れる。

「貴方を拘束します」

女神の言葉に、饒速日は鋭い眼光を返す。
もの言いたげな表情だが、結局一言も発しなかった。
男神たちが促すと、特に逆らう事無く素直に応じた。
そのまま、神殿奥へと引き立てられて行く。
途中、一度だけ歩を止め振り向いた。

「今に覚えていろ……天照(あまてらす)

その顔に浮かんだ不気味な笑みに、気付いた者はいなかった。

誰もいなくなった神殿で、女神──天照大神(あまてらすおおかみ)は、小さくため息をついた。


*********


「天照様、大変です!饒速日が姿を消しました!」

槍を手にした男神が駆け込んで来る。

「それで、八握剣(やつかのつるぎ)は!?」

報を受けた天照大神が、厳しい口調で確認する。

「そ、それが……奪われてしまいました」

その一言で、女神の表情が一気に曇る。

神武天皇に事の次第を説明し回収した神器は、姿形(すがたかたち)を神鏡に変え保管していた。
仮の姿を与える事で、力を封印したのだ。

事実を知らされた神武天皇は(ひど)く驚愕し、そして深く思い悩んだ。
(だま)されたとはいえ、多くの人命を奪った罪は決して軽くは無い。
天照大神は自決しかけた天皇を思い(とど)まらせ、余生を国の平和のために使うよう説いた。
その命に従い、天皇はその後身命を投げ打って民に尽くしたのだった。

天皇の清く純粋な心を知った天照は、天皇崩御の後、八握剣に更なる封印を(ほどこ)した。

神鏡を元の姿に戻せる者を、神武天皇のみとしたのである。

こうすれば、仮に神鏡が他者の手に渡っても、誰も八握剣を手にする事はできない。

それが、たとえ神であっても……

「さらにもう一つ……悪い知らせがございます」

報告に来た男神が、より険しい表情で続けた。

「今しがた、占術師より報告がありました。それによると神武天皇の転生人(まわりびと)が、今より二千五百年の後に現出するとの事です」

女神は言葉を失った。

それはある意味、神器を奪われる事以上に深刻な問題であった。

神武天皇亡き後、封印により八握剣は永遠に日の目を見る事は無い筈だった。
だが今の報告では、未来において天皇の転生人が現れてしまうという。
それはつまり、神鏡を元の姿に戻せる(すべ)ができてしまう事に他ならない。

「まさか、饒速日はそのために!?」

ハッとした顔の天照大神に対し、男神は苦悶の表情を浮かべた。

「はい、それが……奴めが【転生の儀】を行なった形跡がございました。恐らくはご推察の通りかと」

男神の返答を、女神は遠くに聴いていた。

【転生の儀】

自らを後の世に転生させる秘術である。

人間が輪廻転生する確率は極めて低い。
たとえ転生出来たとしても、その者に前世の記憶は無く、新たな人格として生きる事になるのだ。

だがこの秘術を使えば、前世の記憶を保ったまま生まれ変わる事ができる。

あやつとて八百万神(やおよろずがみ)の一人。
神武天皇の転生の件が、耳に入ったとしても不思議ではない。
今、八握剣は饒速日の手にある。
仮の姿である神鏡を元に戻すため、神武天皇の転生人を利用しようとするに違いない。
あやつが【転生の儀】を行なったのが何よりの(あかし)だ。
恐らく、神武天皇の転生人と同じ時代に転生するつもりなのだろう。

もし、それが成功したとしたなら……

異常なほど人間を嫌悪しているあやつのこと。
八握剣を用いて、また無益な殺生を始めるのは火を見るより明らかである。
転生人のいる時代で、罪も無き多くの命が奪われてしまう。

それだけは、何としても防がねばならない。

何としても……

暫しの黙考の後、天照は静かに顔を上げた。

「占術師に伝えよ。これから【転生の儀】をとり行うので準備せよと……」

女神の言葉に、控えていた男神の目が大きく見開く。

「……天照様……それは、一体……!?」

絶句する男神を前に、女神はゆっくりと立ち上がり頷いた。

「饒速日の後を追い、私も転生人となる」

「し、しかし……それでは……」

男神の狼狽ぶりは目に余るほどであった。

無理も無い。

一度(ひとたび)転生を行えば、その時代からその者の存在が消失してしまう。
つまり天照大神という女神は、その瞬間からいなくなってしまうのだ。

さらに転生した時代では、自らがどのような姿で生まれ変わるかも予測できない。
男か女か、若者か年寄りか、まかり間違えば年端のいかぬ幼児かもしれない。

【転生の儀】で指定できるのは、時期と場所のみである。
神と言えど、それ以外は運に任せるしかなかった。
そのリスクを冒してまでも、女神は強行するつもりなのだ。

「後は任せましたよ」

そう言い残し、天照大神は神殿の奥に消えて行った。


*********


伊邪那美仄(いざなみ ほのか)の話を聞き終えた皆の顔は、どれも呆然としていた。

あまりに荒唐無稽過ぎて、思考が追い付いていないのが分かる。

「……そ、それって……つまり……」

辛うじて口を開いたのは(たける)だった。
さすがに動揺を隠し切れないのか、うまく言葉が出てこない。
その様子を半ば面白がるかのように、仄は片目を(つぶ)ってみせた。

「そ。私の前世は天照大神……今の私は《神様の生まれ変わり》ってわけ」

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