第110話 かなめの脳内に走る通信
「お父さんのことを言う時、西園寺さんはいい顔してますよ」
思わず誠は本心を口にしていた。それはあまりに自然で自分でも驚くほどだった。
「褒めても何も出ねえぞ。だから言ってんだろ!外面は良くとも家族にとってはろくでもねえ親父なの!」
そう言ってかなめの顔を見た誠は彼女の表情が瞬時に切り替わる様を見た。サングラス越しにも彼女の視線が少し鋭くなったように見えた。戦闘中のかなめの独特な気配がにじみ出ていた。
「おい、誠。カウラとアメリアのところに行くぞ、仕事の話だ」
真剣なその言葉に、誠は起き上がった。サイボーグであるかなめの脳は常にネットと繋がっている。かなめの表情から状況としてあまり芳しくない出来事が起きたことを誠は察した。
「どうしたんです?」
かなめの表情で彼女の脳に直結した通信システムが起動していることがすぐにわかる。
「『公安』が動いた。そう言えば分かる」
かなめのその言葉に砂浜の切れかけたところにあるバーベキュー施設を通り抜け、そのまま堤防の階段を駆け下りて『特殊な部隊』の集まっているパラソルの下へ向けて浜辺を走る。
司法局で『公安』と言えば安城秀美部長貴下の遼州同盟司法機関特務公安部隊のことだった。全隊員がサイボーグで構成され、その情報統制能力と局地的戦闘能力においては他の追随を許さない、『特殊な部隊』と馬鹿にされる司法局実働部隊とは全く異質な『エリート集団』の戦闘部隊だった。
誠は人を避けながら走って遠泳を終えたばかりというようなカウラの前に立った。
「すいません!」
誠はカウラの前に到着すると息を切らしてそう切り出した。
「あら、神前君。どうしたの?」
パラソルの下で日光浴をしていた家村春子はそう言って驚いた様子で振り返った。
「あわててるわね。水でも飲む?」
こちらはただ砂の山を作って遊んでいたアメリアはそう言うとコップに水を汲んで誠の差し出した。一息にそれを飲むと誠は汗を拭った。
「西園寺さんが呼んでます。公安が動いたそうです」
その言葉に緊張が走る。
「端末は荷物置き場にあったわね。カウラちゃん。行くわよ」
アメリアの声で遠泳で疲れた体を引きずってカウラが向かってくる。そう言うアメリアも真剣な顔をして母親達を見守っていた小夏に仕事を押し付けて歩いてきた。
「大変なお仕事なのね、実働部隊も。こんな日でも仕事のことが頭を離れないなんて」
春子はそう言うと隊員達が散らかしていった荷物を片付ける作業を続けた。
誠がかなめの所に戻ると、すでにジャンバーに入れていた折り畳みの携帯端末を起動させて画面を眺めているかなめがいた。
「かなめちゃん、説明を」
普段のぽわぽわした声でなく、緊張感のある声でアメリアが促す。
「特別捜査だ。令状は同盟機構法務局長から出てる。相手は『東方開発公社』、現在、所轄の民警と合同で捜査員を派遣しているそうだ。ちょうど今頃は家宅捜索をやってるところだ」
画面には官庁の合同庁舎のワンフロアー一杯にダンボールを抱えた捜査員が行き来している様が映されている。
「あそこは東和の国策デブリ地帯再開発会社だったわね。たしかに近藤資金との関係はない方が逆に不自然よ」
なぜかするめを口にくわえているアメリアが口を挟む。
「でも、いまさら何か見つかるんでしょうか?もう一か月ですよあの事件から。公社の幹部だって無能じゃないでしょ。証拠を消すくらい……」
誠は自分でも素人考えだと思いながら口を挟むが誰一人相手にしてはくれない。
「証拠をつかんでどうするんだ?」
誠の言葉にかなめは冷たく言い放つ。
「それは、正式な手続きを経て裁判を……」
そこでかなめの目の色が鋭いリアリストの目へと変わる。
「逮捕や起訴が事実上不可能な人物がリストに名を連ねてたらどうする?」
厳しく見えるがその目は笑っていた。かなめは明らかに状況を楽しんでいるように見えた。
非民主的で政府の力が強い甲武国だからこそ出来る大粛清の嵐に比べ、東和には主要な有力者すべてを逮捕して政治的混乱を引き起こすことを許す土壌は無かった。
「まあ家宅捜索ってことは公安が強行突入したわけじゃないんだもの。安城さんは東和民警の捜索の付き添いみたいな感じだからうちが介入する問題ではなさそうね」
アメリアは画面を見ながらそう言った。しかしかなめは画面から目を離そうとしない。
「かなめちゃん。仕事熱心すぎるのも考え物よ」
軽くアメリアがかなめの肩を叩く。そしてゆっくりと立ち上がり伸びをしながら紺色の長い髪をなびかせていた。
「それにしても、今更……遅すぎますよ」
誠は同盟上層部の動きの遅さに
「神前、アメリアも言ってたろ?こりゃあうちの出番じゃねえよ。それにこれで終わりとは思えないしな。その時までお偉いさんには自分が逮捕されても混乱が生じないように後進の指導にでも集中してもらおうや」
そう言うとかなめはタバコに火をつけた。