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30話 金色の双眸







陽が沈むと、夜空には三つ子月が浮かび上がり、その銀の輝きがアルファリオ城を淡く照らしていた。

一台の黒い馬車が城の門をくぐる、その姿は夜風に揺れる松明の光に呑み込まれるように、静かに闇の中へ溶けていく。しばらくして雲が流れ、三つ子月を隠すと、世界は一層深い闇に包まれた。

やがて、馬車が小さく揺れながら止まると、御者がゆったりとした動きで手綱を引いた。その御者の特徴的な帽子── 肩まで垂れるリボンが月明かりの残滓に揺れた。


「到着致しました。アルファリオ城へようこそ、テオ様が玉座の間にてお待ちです。」

「ありがとう。」


ウタは静かに礼を述べると、黒い馬車から降り立った。彼女の後を追うようにルネが姿を現す。ウタの手を軽く支えながら降りてきた彼女は、周囲を見渡してから言った。


「城内なのに、なんか寒くない?」


その言葉にウタは少し首を傾げながら、彼女の視線を追い辺りを見回す。昨日まで鮮やかに咲き誇っていたはずの花たちが萎れており、松明の灯りに映る影はどこか不安を誘う揺らめきを見せていた。


「そうだね…結界が綻ぶことなんてあるのかな?」
「中に入ろう、凍えちゃうよ。」


ルネは寒さを誇張した仕草で肩を抱き、自分を笑わせようとするような表情を浮かべた。

その無邪気な様子にウタも小さく頷く。そして二人は静まり返った城の中へと歩みを進めた。そこには足音だけが冷たく響き、重々しい静けさを際立たせていた。

空気はどこか湿り気を帯び、遠くから漏れ聞こえるような音がかすかに耳をかすめる。しかし、それが実際の音なのか、ただの気のせいなのか、二人には確かめる術がなかった。









星狼の塔、最上階──

闇に包まれた薄明かりの空間に、ひっそりと昇降機が音もなく到着する。
重厚な格子ドアは動かず、静寂が辺りを支配していた。ウタは眉をひそめながら、格子ドアにそっと手をかける。錆びた鉄の冷たさが指先に伝わる中、彼女は昇降機の中から外の様子を伺った。


「あれ、誰もいないのかな。」


ウタの声がわずかに響き、薄暗い空間に吸い込まれていく。

彼女は格子ドアを横に滑らせて開けた。古びた金属音が低く響き渡る。ルネが先に昇降機から降り立ち、辺りを鋭く見回す。その瞳には、戦士のような警戒心が宿っていた。


「静かすぎる……ナイフ持ってくれば良かった」


ルネの声は自信に満ちているが、どこか鋭さを含んでいる。ウタも昇降機から足を踏み出す。


「穏やかじゃないね。きっと玉座の間にいるよ」


彼女はルネの言葉に軽く笑い、格子ドアを閉めた。ウタは自然な動きでルネの隣に立つと、ふと彼女に向き直った。


「あ、本貰うよ。ありがとうね。」


彼女の声に一瞬、場の張り詰めた空気が緩む。ルネは少しだけ眉を上げながら、肩から下げていた鞄に手を伸ばす。


「ちょっと待って……はい。落としたりしないでよ。」


彼女は鞄から取り出した霊気の本を慎重にウタに手渡した。その本は、夜空のような深い紺色の布『夜天の衣』に包まれている。布地には星屑が煌めき、まるでそのまま夜空を切り取ったかのようだった。








玉座の間に続く重厚な大扉が、重々しい音を立てて開いた。冷気が走る室内に、ウタとルネが足を踏み入れる。その瞬間、冷たい風が二人を迎える。

中では、玉座近くに立つグリアナが腕を組み、険しい表情で何かを考えている。玉座に向かって座り込むテオの横顔は物憂げで、その傍らには堂々たる佇まいのルナ陛下がいた。扉の開閉音に気づき、全員が振り返る。


「ねえ!グリアナ、なんか寒いんだけど!」


ルネが足音を響かせながら、少し大きな声で呼びかける。玉座の間は天井まで伸びる大窓があり、外気が吹き込みやすい構造になっていた。まるでこの空間全体が意図的に冬を引き寄せているようだ。


「それを今調べてるんだ、凍える花よ。」


グリアナがいつもの調子で返す。その瞬間、ルネは目を細めて彼女を睨むが、それ以上は何も言わず、苛立ちを押し殺した。

ウタは玉座を弄っているテオに歩み寄り、話しかける。


「何か分かる?」
「う〜ん、玉座が結界を制御しているのは分かったけど……」


テオは小さく首を傾げ、作業を中断してウタを見上げた。


「ボクには難しいかも…直すなら魔族の協力が必要になると思う。」


その言葉に、グリアナは眉間にしわを寄せ、低く唸る。


「困ったな。この時期に魔族領にはとても近づけないぞ。しかし、それではテオが凍えてしまう…」

「はう…この結界は三百年もボクを冬の寒さから守ってくれたのに…」


テオの翼が力なく垂れ下がり、彼女の声には寂しさがにじむ。その姿を見たルナ陛下が静かに口を開いた。


「テオはわしの屋敷に来ればよい。」


テオの顔がパァっと明るくなるが、その場にいた全員から冷たい視線を浴び、再びしおれてしまう。


「白熊亭で良ければ、部屋を貸すぞ。」
「いいの?」

「あぁ。知り合いばかり泊めて商売にならん、と支配人に怒られそうだがな。」


グリアナは冗談交じりに笑い声を上げる。その場に立ち尽くすルネが、ふと思い出したように尋ねた。


「ねえ、シャイラは?」
「上にいるぞ。」


グリアナが指差した天井の方へ、全員が視線を向ける。幾本もの柱がアーチを描くように天井へと続き、その影から二つの金色の双眸がこちらをじっと見下ろしていた。それに気づいたウタがくすりと笑う。


「まんま、ネコだね。」
「シャイラ!もういいぞ、降りてこい!」


光る双眸は柱の陰に隠れたが、降りてくる様子は一向にない。ルネが真面目な顔をして、ぽつりと呟く。


「鳥の巣でも見つけたのかしら?」


その言葉にグリアナやテオもつられて笑い出す。ルネはひとり真剣な面持ちでまだ上を見ていたが、テオが笑いながら補足を入れる。


「本当に春には鳥の巣があったりして困るんだよね。」

「結界を直してやらないと春に来れないかもな。」


一転して、グリアナが少し真剣な口調に戻る。そこで、テオが話題を変えた。


「それで、ボクに見せたいものって?」
「あ、そうだ。この本なんだけど…」


ウタは夜天の衣を開き、その中から金縁の模様が施された赤黒い霊気の本を取り出した。夜天の衣を受け取ったルネは、それをルナ陛下に興味津々で見せている。


「カギはどうした?」
「カギは本の中に入れる場所があったから、そこに入れてる。」


ウタが背表紙を開き、埋め込まれた鍵を指差す。その瞬間、テオが本をじっと見つめ、何かを考え込むように呟いた。


「見た事はないけど、霊気が外に漏れ出してるね。」


ウタは表紙の鍵穴を見せて続ける。


「ここにカギを入れると、青白く光って近くにいた魔抜けが起きたんだ。」

「青白い光…それにこの模様はどこかで見たような……」


テオの考え込みが続く中、突然ルナ陛下が大声を張り上げた。


「見よ!」


夜天の衣を外套のように身にまとったルナ陛下が仁王立ちで得意げに姿を見せつける。

その直後、大窓から吹雪のような冷たい風が吹き込み、玉座の間全体を闇が包んだ。松明が一斉に消え、静寂の中で何者かが歩く音が響く。動き始めた雲が三つ子月を覗かせると、その光が玉座の間を静かに照らし出す。



大窓の傍には、霊気の本を開いて佇む一人の影── セリシアの姿があった。

その金色の瞳が闇の中で怪しく輝き、周囲に不穏な気配を漂わせていた──





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