第78話 おんぼろワゴン車とピッチングマシン
誠達はホテルの贅を尽くした玄関ロビーを抜け外に出た。空はどこまでも晴れ、まさに野球日和、海水浴日和と言う空の様子だった。
「菰田の奴。ピッチングマシンを運ぶワゴン車どこに停めたんだ?それなりにでかいはずだ。すぐ見えるところに置いとけば目立つだろうに……全くマネージャー
人気のないホテルの前の車止めに立ったかなめはそう言って周りを見渡した。かなめの言う通りホテルの前の広い車止めにも、がらんとした駐車場にも一台もそれらしい車の姿は見えなかった。
「そう言えばピッチングマシンってワゴン車で運ぶんですか?そもそもどこから借りてきたんですか?僕達が持ってきた野球道具って結構量有りますよ。乗り切ります?」
きょろきょろと周りを見回す誠達の周りに遅れてきた技術部の野球部員が集まってくる。ロビー前の車止めの前には人だかりができあがった。
「なんでもこの近くに古いバッティングセンターがあるらしい。あまり繁盛していないからそこから西園寺が無理を言ってそこから借りてきたと聞いている」
カウラはそう言って走り回るかなめを見つめている誠に事情を説明した。
「ここですよ!西園寺さん!こっちです!」
立派な枝ぶりの松の木の陰から走って現れた菰田が手を振っているのが誠からも見えた。その背後は庭の木々が邪魔をして誠達からの視界を遮っていて肝心のワゴン車の姿は見ることができなかった。
「おし!それじゃあ自慢のピッチングマシンを見るぞ!」
大型バスが乗り入れることを前提とした広い車止めに立っていたかなめが誠達に向けて叫んだ。
「ピッチングマシンって結構大きいですよ。ワゴン車にそれを載せるとして、僕達何で球場まで移動するんです?」
この合宿に来た隊員のうち、野球部員は半数に満たない。誠達の移動にここに来るときに使った大型観光バスを使うのは効率が悪いと思って誠はかなめにそう尋ねた。
「まずオメエ等もピッチングマシンが見たいと思ってな。ちゃんとワゴン車を用意してその荷台に積んである。菰田には野球道具も載せられる一番でかいのを借りろと言っといたから安心しろ」
誠の問いにかなめは自慢げにそう答えた。
「でも、今時アーム式のピッチングマシンなんてよくあったわね。ベルト式や最新式の三軸式のマシンを借りるお金は無かったの?島田君が作った裏金が有るじゃないの」
不服そうにアメリアは先頭を得意げに歩くかなめにつぶやいた。
「そんなマシンこんな田舎にあるかよ。何か?都内のそう言うレンタルを専門にやってる店まで取りに行けって言うのか……ああ、菰田は何でも屋のマネージャーだったな。アイツだけ取りに行かせてアタシ達がここに泊まるんなら問題ないか」
かなめは菰田をこのホテルから排除するようなことをあっさりと言ってのけた。ただ、菰田は野球部員の『ヒンヌー教徒』以外からは嫌われているのでほとんどの部員がかなめの言葉に同意するように頷いた。
「ひどいですよ、西園寺さん。いくらマネージャーだってそんな扱いお断りします」
かなめの残酷な言葉に菰田は困ったような表情を浮かべた。菰田が歩いていく先にぼろぼろの白い大型のワゴン車が停められているのが誠達からも見えるようになった。
「見えたな。それにしてもひどい車だな。貸す方も貸す方だ。ドアのへこみくらい直しておけっていうんだ。で、マシンは後部の荷台にあるのか?」
カウラはそう言って目の前に現れたぼろぼろのワゴン車を指さした。
「別にマシンを運ぶだけなんだからどんな車だろうと関係ねえだろ?菰田!マネージャーなんだから走って車のところまで行って後ろのハッチを開けて全員にマシンを見せろ!」
かなめの言葉を聞くと菰田は弾かれた様にぼろぼろのワゴン車に向けて走り出した。島田が言った通り、菰田の走りはどうやって軍の軍運動能力試験をパスしたのか不思議に思えるほどよたよたとした不安定な走りだった。
「でも西園寺さん。この人数じゃあのワゴン車一台じゃ乗りきれませんよ。僕達はどうするんです?このあたり山ばかりじゃないですか。野球場がある場所まで結構距離あるんじゃないですか?」
誠はバンに走っていく菰田を見ながらそう言った。
「当然、ランニングだ。ここから球場まではちょうど五キロある。練習前のウォーミングアップにはちょうどいいだろ?」
かなめは誠に向けてさもそれが当然のような顔でそう言った。
「そんなことだと思いました。ここまで来て走らされるんですね……どこに言ってもランニングだ。他にすることは無いのかよ」
いつもランニングばかりしている『特殊な部隊』にとっては五キロのランニングなど課せられて当然の練習メニューだった。かなめも得意げな顔で自分のトレーニングメニューには最初からそれが入っていたというような顔をしている。
「じゃあ、全員ワゴン車の後ろに集合!」
これから五キロも朝とは言え真夏の暑い中走らされると知ってうんざりする誠達野球部員達を前にたぶん菰田と一緒にバンに乗って移動するであろうかなめは元気よくそう叫んだ。
「じゃあハッチを開けろ。これが今日使うピッチングマシンだ」
かなめが得意げにそう言うとワゴン車の後ろに立っていた菰田がハッチを開き、そこに今日使うアーム式の旧式ピッチングマシンが現れた。
「うわー古。錆とか浮いてて……本当に動くの?」
持ち前の好奇心から駆け出して最初に菰田のところにたどり着いたサラがそう言って嫌な顔をした。
「西園寺さん。本当に動くんですか?これ」
サラと一緒に走ってバンの後部座席にたどり着いてピッチングマシンを覗き込んでいる島田が困ったような表情でつぶやく。
「あそこのバッティングセンターはちゃんと営業してる。昨日も動いてたって話だから今日も動くだろ」
まるでそれが当然というようにかなめはそう言った。
誠もまた島田の後ろから旧式のピッチングマシンを覗き込んだ。誠は下町の生まれで近くのバッティングセンターに通っていたこともあるが、そこのマシンもアーム式だった。
「アーム式ってビンボールが時々出るんですよね……けが人が出ても知りませんよ」
そのバッティングセンターには小さいころから通っていたので、そこに『デッドボールの危険性があるので注意してください』と張り紙がしてあったのを思い出し、かなめにそう尋ねた。
「神前よ。アーム式のビンボールが出るのは古い軟球を使って雨が降った時くらいだって聞くぞ。平気だろ」
怖がる誠に向けてかなめはあっさりとそう答えた。そして振り返り、不安そうな表情を浮かべて野球用具を抱えている野球部員達に向けてかなめは叫んだ。
「それじゃあマシンの隙間に荷物を積み込んだらランニング開始!アメリア、オメエが先頭を走れ。球場の場所知ってるのはオメエとアタシだけなんだ。驚くなよ……こんな田舎にあるとは思えないそれはそれは立派な球場だ。アタシとアメリアに感謝するんだな!」
かなめは誇らしげにそう言うとワゴン車の助手席に乗り込んだ。
「えーアタシが先頭を走るの?全く人使いが荒いんだから、かなめちゃんは……って聞くだけ無駄か。どうせ菰田君の運転のワゴン車に同乗するんでしょうね。監督だと思って威張っちゃって」
明らかに不服そうにアメリアは反発するが、いつもランニングの時に先頭を走る誠が球場の場所を知らない以上、それは仕方がない話だった。