第72話 酔っぱらった誠の消えた記憶
誠は一人、ふかふかのソファーから起き上がった。つぶれはしなかったものの、地下のバーでかなめとの間で何があったのか、はっきりとは覚えていない。ただ、決して悪い時間を過ごしたのではないことだけがなんとなくと言う思い出として残っていた。
かなめにはスコッチのような蒸留酒を多く勧められたせいか、頭痛は無かった。二日酔い特有の胃もたれも無いがなぜかすっぽりと記憶だけが抜け落ちていた。
「起きやがったな。全く神前の野郎には困ったもんだ」
髭剃りを頬に当てている島田が目をつける。その目は明らかに誠に対する軽蔑の念に彩られていた。
「何か?昨日僕何かしましたか?」
誠はその島田の複雑そうな表情に嫌な予感しかしなかった。昨日豪華な晩餐を終えてかなめに地下の瀟洒なバーに連れていかれたことは覚えている。あの酒豪のかなめのペースに合わせて自分で飲んだとなれば多少の失態をしても仕方がないと誠は諦めた。
「何かじゃねえよ!人が寝ているところドカドカ扉ぶっ叩きやがって!お前、当分酒は禁止な。寮で同じことをされたらたまったもんじゃねえ」
髭剃りを振り回しながら島田が誠を怒鳴りつける。
「まったくだ。しかも酔っぱらってのあのいびき。どうにかならんのか?あのいびきで夜中何度起こされたか……今回だけは島田の言うとおりだ!少しは酒の飲み方と言うものを覚えろ!」
歯を磨いていた菰田がいつもの三白眼でにらみつけてくる。菰田の行動原理は理解できなかったが、失態は失態なので誠には菰田に言い返す言葉が無かった。
それでも誠は実は酒好きだった。酒自体と言うより、飲んでいる雰囲気が好きだった。特にこの『特殊な部隊』に入ってからは、かなめ達と楽しく飲む機会が多かったので飲むことがさらに好きになっていた。
「島田先輩ー!それは無いですよ。僕、ビールが好きなんですよ。今回はウィスキーだったから悪かったんです。酒禁止だけは勘弁してください!」
そんな誠の懇願を無視して島田は再びひげを剃り始めた。取り付く島の無い島田を見送ると、島田の説得をあきらめた誠は黙ってバッグを開けて着替えを出し始めた。
「あのなあ、あの怖え姉ちゃんと何してたかは詮索せんが、もう少し酒の飲み方考えたほうがいいんじゃないか?車だけじゃなくて酒まで問題があるとなると世の中じゃあ生きていけないぞ」
「そうだ!社会人失格だ!」
二人の言うことは図星を突いているだけに誠は苦笑を浮かべた。
「そうは思うんですけど……本当に今回はウィスキーのせいなんです!僕が先に気が付いてビールを頼んでおけばよかったんです!次回はああいった店にもアルコール度の低いカクテルとかあるでしょうからそれを飲みます!だから勘弁してください!」
島田は髭剃りを置いてベッドに腰掛ける。菰田は口をゆすぐべく洗面所へと向かった。
二人にあれだけ言われると誠はシャツを着ながら昨日のことを思い出そうとするがまるで無駄な話だった。
「じゃあ次は僕が」
誠も髭剃りを持って鏡に向かう。島田は立ち上がった誠の肩を叩いてつぶやく。
「まあ、あれだ。あの席にいてメカねーちゃんをキレさせなかったのは褒めとくわ。俺もあの西園寺さんに酒を進められたら断れねえ。痛いのは嫌だからな」
言うだけ言ってさっぱりしたのか、島田はそう言うと新聞を読み始めた。
菰田が洗面所から出たのを見ると誠はバッグから髭剃りを取り出して慌ててひげを剃り始めた。
「神前。早く準備しろ!俺は腹が減った。昨日の料理、気取ってる割に量が少ねえんだもん。とっとと支度して朝飯にするぞ」
準備を終えた島田がそう叫んだ。こちらも朝の歯磨きを終えた菰田が隣に立って誠を待っている。誠は急いで髭を剃り続けた。