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あなたが拾った

「あなたが拾ったんでしょ、返してよ。あれ、私が落としたものだから」
朝、乗り換え駅で電車を待っているとき、見知らぬ女に、そう言って詰め寄られた。俺は、何のことなのかさっぱり、分からず、ただ困惑するだけだった。
「返して、あれ、私の落とし物! 返しなさいよ」
「し、知るかよ、ちょ、は、離せよ」
女は俺の襟首をつかみ、大きく揺すってきた。
「返せ、返しなさいよ、このドロボウ!」
「なんだよ、おい、危ないだろ」
視線の隅にホームに滑り込んでくる電車が見えた。このままだと揺すられた弾みで、俺が電車の前に突き飛ばされそうな恐怖を感じたので、女を引き離すように押した。線路の方に押したつもりはなかったが、その女は、俺の襟首から手を離すとフラフラと線路の方によろめいてホーム下に落ち、電車の急ブレーキの音が激しく響いた。
電車の運転手も含め、女が落ちるのを見た人はたくさんいたが、女の遺体はなく、俺も、警察の取り調べを受けたが、遺体も何もないので、夕方には解放された。
散々な一日だと思いながら、家に帰る電車を待っていたとき、ふと、さっきまであったはずの財布がないことに気が付いた。誰かにスラれたか、落としたのかと思い、辺りを見渡すと、ちょうど何かを拾い上げる男を見かけた。
「おい、ちょっと、あんたが拾ったもの返せよ」
「あ?何、言ってるんだ」
男は面倒臭そうな返事をした。
「あんたが拾ったものだよ!」
俺は、つい、男の襟首をつかんでいた。その直後、俺は電車の急ブレーキの音を間近で聞いた。


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