第61話 豪勢な料理とそれに慣れない人
「レディーを待たせるなんて、マナー違反よ。島田君が時間にルーズなのはわかるけど、誠ちゃんまで遅れること無いじゃないの」
その隣でアメリアは髪の色に合わせた紺色の落ち着いたドレスに身を纏っていた。アメリアがいつもの突拍子の無い文字の書かれたTシャツの私服以外に『ドレス』と呼べるようなものを持っている事実に誠は衝撃を受けた。ただ、アメリアが着ているドレスはかなめのように宝飾品を身に着けてキラキラ輝くそれでは無く、あくまでパーティーに出る時用と言う庶民でも手の届きそうなそれだった。
驚いている誠を見るとアメリアは微笑んで自分の隣に座るカウラに目をやる。カウラも誠と同じく、東和陸軍の儀仗服に身を包んでいた。
パチンコ依存症でそれこそランが言うには入隊当初はカウンセリングまで受けていたカウラにドレスを買うお金が無いことは誠にも容易に想像がついた。それ以前にあまり着るものの事を考えていないカウラにとってはわざわざドレスを用意するなどと言う発想は最初からなかったのだろうと誠は推察した。
「じゃあ、俺はあっちのテーブルだから。神前、くれぐれも粗相のないようにな。オメエの命のために」
そう言うと島田は誠を置いて奥のもう一つのテーブルに向って歩いて行った。
もうひとつのテーブルにはサラ、パーラ、そしてそわそわした様子のひよこが腰をかけて誠の方を見つめていた。サラとパーラは東和宇宙軍の、そしてひよこが着ているのは東和陸軍の儀仗服だった。サラもパーラもかなめの気まぐれに付き合うほど暇ではないと言う顔をしていたし、母子家庭で家計の苦しいひよこにドレスを買う余裕などあるわけが無かった。
誠はカウラやサラ達を見てとりあえず自分の着ている東和宇宙軍の儀仗服がこの場のドレスコードはクリアーしている事実を知って少し安心した。
「あのー、他の方々は?」
誠がそう言うとかなめがいつもと明らかに違う、まるでこれまでのかなめと別人のように穏やかに話し始めた。
「ああ、菰田さん達ですわね。あの方達はこういう硬い席は苦手だと言うことで裏にあるバーベキュー場で宴会をなさるとか……明日のお昼もバーベキューをするのに。本当にバーベキューが好きなんですわね、あの方々は」
かなめの猫なで声を聞いてアメリアとカウラは明らかに笑いをこらえるように肩を震わせている。確かにいつもと同じ顔がまるで正反対の言葉遣いをしている様は滑稽に過ぎた。思わず誠も頬が緩みかける。
「この話し方はTPOって奴だ。笑うんじゃねえ」
声のトーンを落としたかなめがいつもの下卑た笑いを口元に浮かべて二人をにらみつけると、その震えも止まった。
黒い燕尾服の初老のギャルソンが静かに椅子を引いて誠が腰掛けるのを待っていた。こういう席にはトンと弱い誠が、愛想笑いを浮かべながら席に着く。
「神前曹長。もっとリラックスなさっても結構ですのよ。カウラさんもそんな堅苦しい顔はなさらないで……ああ、そうですわね。堅苦しいのはいつもの事でしたわ。ホホホホホ」
そんなかなめが上品なジョークと笑いを口にするのを聴くと一同がまた下を向いて笑いをこらえている。誠は笑いを押し殺すと、正面のかなめを見つめた。
いつもの『がらっぱち』と言った調子が抜けると、その胡州四大公家の跡取り娘と言う彼女の生まれにふさわしい淑女の姿がそこに現れていた。
ドアが開き、ワインを乗せたカートを押すソムリエが二人とパン等を運ぶ給仕が入ってくる。誠は生でソムリエと言うものを初めて見たので、少しばかり緊張しながらその様子を見ていた。
「伺いますけど、今日は何かしら?」
ゆっくりと顔を上げたかなめはソムリエの隣に立つシェフの方にそう尋ねた。
「はい、今日は魚介を中心にしたコースとなっております。西園寺様のお口に合うよう誠心誠意務めさせていただきますので、よろしくお願いします」
シェフはそう言うとそのまま厨房へと消えていった。その一連の二人のやり取りはかなめがこういった場をかなりの数こなしてきていると言う事実を示していた。
「お魚?じゃあ白がいいかしら……白ワインは今日は何をお選びになりましたの?」
かなめが上品にそういう様子がツボに入ったらしく、アメリアが必死になって笑いを堪えている。それを無視したソムリエは背後に運ばれてきたワゴンに向って振り返り、そこから氷で冷やされたワインを一便取り出す。
「ドイツのモーゼルがあります。2423年ものです。その年の気候はブドウの生育にあっていたらしく、非常にマイルドな味に仕上がっております。きっとかなめ様のご期待に沿えるものであると確信いたしております」
かなめの隣に立ったソムリエは静かにかなめに向かってワインを勧める。誠は一言も口をはさめずにただ黙り込んでいた。カウラもアメリアもにこやかな笑みを浮かべて黙っていた。
給仕によって目の前のテーブルが食事をする場らしい雰囲気になっていく様を見つめていた。ソムリエは静かに白ワインを取り出すと栓を抜いた。
いくつも並んでいるグラスの中で、一番大きなグラスに静かにワインを注いで行く。誠、カウラ、アメリアは借りてきた猫の様に呆然のその有様を見続ける。
「皆さんよろしくて?」
かなめが白い手袋のせいで華奢に見える手でグラスを持つとそれを掲げた。
「それでは乾杯!」
アメリアがそう言ってぐいとグラスをあおる。明らかにアメリアはかなめへの嫌がらせとして空気を読まない行動を取っている。誠もカウラもわざわざかなめの怒りに火をつけるような行動を平気でするアメリアに嫌な顔をした。
「アメリアさん!ワインは香りと味を楽しむものですのよ、そんなに急いで飲まれては……」
説教。しかもいつものかなめなら逆の立場になるような言葉にアメリアが大きなため息をついてかなめに向き直った。
「かなめちゃんさあ。いい加減そのお嬢様言葉やめてよ。危うく噴出すところだったじゃないの!それにこういう時は一気に飲めって言ってるのはだれ?え?」
隣のテーブルの島田達は完全に好き勝手やっているのがわかるだけに、アメリアのその言葉は誠には助け舟になった。