第59話 いつもは見せない意外過ぎる一面
「ただいま戻りました……って、島田先輩、なんです?その恰好」
大浴場を出て部屋に帰った誠が見たものは信じられない光景だった。
「風呂行ってきたのか?へへーん。どうだ?少しは様になるだろ?」
部屋に戻った誠を待っていたのは黒い礼服のネクタイを締めている島田だった。部屋にいるのは島田一人で、先ほど疑り深い目で散々見つめられたので会いたくなかった『ヒンヌー教徒』菰田の姿はそこには無かった。
「何ですか?何かあるんですか?島田先輩がそんな正装なんかしちゃって……らしくないですよいったい何が有るんです?教えてくださいよ」
誠は状況が読めずに、思わずそんな言葉を口に出していた。確かにヤンキーの島田には整備班のつなぎか暴走族の特攻服しか似合わない。誠から見ても礼服を着た島田はその茶髪もあってホストかキャバクラの客引きにしか見えなかった。
そんな誠の言葉に島田は大きなため息をついた。
「うるせえ!俺だって立派な社会人だ!フォーマルの一着も持ってる!似合わねえのは十分承知の上で着てるんだ!そんなこと敢えて口に出して言うんじゃねえ!全く」
島田にも自分にフォーマルな服が似合わない自覚は有る様だった。それに似合わない自覚もあるようなので誠はなぜか安心した。
「じゃあなんでそんな服着てるんですか?確かにこのホテルはドレスコードとかありそうですけど、ネクタイしてれば別にそんな堅苦しい恰好しなくてもいいじゃないですか?何もそこまで格式張らなくても……」
旅行に行ったことが無い誠もホテルやレストランによってはドレスコードでネクタイが義務付けられているくらいの知識はあった。テレビで見る限りネクタイさえしていればオールオッケーくらいの認識しか誠には無かった。
「そりゃあ西園寺大公殿下主催の食事会に出るためだよ。聞いてなかったのか?礼服持参とちゃんと言われてたろ?貧相な背広を着て行ってみろ……後で西園寺さんに『恥をかかせやがって』とか難癖付けられて射殺されるぞ。さては趣味に金を使いすぎて礼服が買えねえんだな……全く困った奴だ」
金が無いのは人の事を言えないじゃないか。誠は口をついて出そうになった言葉をようやく飲み込んで冷静を保った。
確かに見栄っ張りなかなめならそういう無理難題を押し付けてくるのも分かる。そしてそれを理由に自己の快楽を追求するための残虐行為を行いかねないのは誠も知っていた。
「確かにそうですけど……島田先輩。別にフォーマルなんか着なくたって礼服って東和軍の
そんな誠の言葉に誠が全く事態を呑み込めていないことに呆れ果てたとでもいうように島田呆然と立ち尽くす。
「お前なあ。俺達は野球部の練習もそうだが遊びに来てるんだぞ?仕事を想像させるようなもの着るかよ。それに俺の儀仗服は改造済み。ドレスコードには間違いなく引っかかる。それともあれか?礼服の一着も持ってないわけじゃないだろうな?まったくプラモとアニメ二ばかり金を使ってるからだ」
島田がそう言うと確かにそれが事実だったので誠はうつむいた。大きなため息が島田の口から漏れた。
仕方なく誠はバッグの中から濃い緑色の東和陸軍の儀礼服を取り出した。
「なんだかなあ。そんな堅苦しいの、僕は苦手なんだけどなあ」
そう言いながら服を着替える。窓の外はかなり濃い紺色に染まり始めている。ワイシャツに腕を通し、ネクタイを締めた。
『ベルルカンの少年兵……』
先ほど風呂で会った少年のことを思い出していた。近年、荒れに荒れた『修羅の国』と呼ばれたベルルカン大陸には安定が戻り始めていた。すでに五か国が遼州同盟に正式加盟し、その中にはアンの国『クンサ』も含まれていた。
『まあいいか……ただの偶然だろ……それにしてもクンサの軍ってお金持ってるんだな。こんな高級なホテルに派遣要員を泊まらせるなんて。あの『修羅の国』ベルルカン大陸も情勢が安定すれば変わるものだ』
誠はアンの存在を不思議に思いながら、ベルトをきつく締めて部屋から出かけることにした。
「神前、ちゃんとついて来いよ。このホテルは広いから迷子になったらことだからな」
ドアのところで着替え終わった誠を待っていてくれる辺りに誠は島田の男気を感じた。
「島田先輩、馬鹿にしないでくださいよ。ちゃんと食事をする場所がどこかはバスの中でパンフレットを見て覚えてきました。それに僕って道を覚えるの得意なんですよ。迷子になったことなんて一度もないんですから」
島田に導かれて部屋を出て廊下を進む誠達はエレベータルームに向かった。
「桔梗の間か。名前まで和風なんだな。これも西園寺さんの趣味かな?」
そう独り言を言って上昇のボタンを押す。静かに開くエレベータの扉。誠は乗り込んで五階のボタンを押した。
上昇をはじめるエレベータ。上昇音は静かで東和宇宙軍の本部の古ぼけたエレベータが発するような異音は一切しなった。四階を過ぎたところで周りの壁が途切れ展望が開ける。海岸べりに開ける視界の下にはホテルやみやげ物屋の明かりが列を成して広がる。まだかすかに残る西日は山々の陰をオレンジ色に染め上げていた。
誠はエレベータのドアが開くのを確認すると、目の前に大きな扉が目に入ってきた。『桔梗の間』と言う札が見える。誠はしばらく着ている儀礼服を確認した後、再び札を見つめた。
「ここで本当にいいのかな……神前!確か場所は覚えてるって言ってたな!」
誠の前を歩いていた島田は何も考えずにここまで歩いてきたらしかった。ある意味その無責任なところは島田らしいと言えるが、もし自分がパンフレットを見ていなかったらこの大きなホテルの中で二人して遭難していたかもしれないと思うと呆れるしかなかった。
「これまで何を考えてここまで歩いてきたんですか?島田先輩は。合ってますよ。ここで間違いないです」
いい加減な島田の言葉に呆れながら誠はそう言って扉を開いた。