第38話 近藤の流した裏金の行方
嵯峨はそう言うと一枚のディスクを取り出した。
「何、これ」
安城は静かにディスクを受け取る。何の変哲も無いデータディスク。親指の爪ほどの黒い板をじっと見つめる。ランはそれが何かを知っているとでも言うようにソファーで静かに頷いていた。
「プレゼント。という事でどう?さっきのとは別。たぶんこれの存在は秀美さんも知らないんじゃないかなあ」
嵯峨はニヤリと笑う。安城は嵯峨の言葉遣いに彼を見つめて一瞬ハッとした後、照れるようにディスクに目を移す。
「見ねーのか?隊長は」
ランは嵯峨を一瞥して不満そうにつぶやく。彼の不満そうな表情から秀美はそのディスクの内容があまり公に出来ないが重要な情報が詰まっていることを察した。
「見たよ。ランよ、うちの情報将校達もよくやってくれたねえ。でもまあ予想の範囲内ってとこか」
そう言うと嵯峨は鋭い目つきで自分をにらんでいる安城の目を気にしながらタバコに火をつけた。
「裏の取れていない近藤資金の流れの未発表資料?」
安城は軽く掻き揚げると足元のかばんを開き、バインダーを取り出して並んだ同じようなディスクと一緒にそのディスクをしまった。
「上手い事、公然組織に分散してたからね。末端までたどるのに苦労したよ」
そう言うと嵯峨は相変わらずの間延びした顔で安城に目を向けた。
「末端組織まで……諜報局からのデータにいくつか加筆したのか?出所は……『ビッグブラザー』の独占している裏情報ルートをたどったな?でもどうやって……って聞くだけ無駄か。隊長は絶対情報ソースは秘匿するからな」
見上げたランの先に、いつもの通り眠そうな嵯峨の瞳が漂っている。
「東ムスリム革命戦線、皇国の旅団、聖職者会議。まあぞろぞろとおっかないテロ組織の名前が出て来る出て来る……甲武の貴族主義非公然組織の帳簿だっていうのに遼州のテロ組織の名鑑ができるほど隅々まで金が行き届いているよ。近藤という男……甲武の演習場の管理人にしておくには惜しい男だったというところかね。この集金と分配の能力は政治家、しかも派閥の
嵯峨がたとえに上げた頻繁に遼州各地でテロを行っている具体的組織名に安城の顔が真剣なものへと変わる。
「そのあたりの名前と金の流れだけならうちでも把握してるわよ。それならこれをもらう必要なんて無いわね。わざわざ手渡しってことはそれ以上のもの……何か掴んだの?」
安城の目色が変わる。
「遼帝国の米軍基地を標的にした自爆テロ。確か現役のアメリカ海軍兵士が20名程お亡くなりになった事件。ありましたよね。あれからもう三ヶ月だ。遼の警察当局もがんばっているねえ……とりあえず遼州民族派の幹部の逮捕状を請求するくらいまで来たんだ。大したもんだよ……ただねえ……」
いつものように相手を嵯峨はもったいぶってつぶやいた。安城はだまされまいとその言葉に耳を澄ます。
「奥歯に物の挟まったような言い方なんとかならないの?とりあえず何が言いたいのかしら?」
苛立つ安城に嵯峨は満面の笑顔で答えた。
「このところベルルカンの『失敗国家群』が妙に静かじゃない?雨季特有のクーデターも無い。これまで毎日起きていたテロがぴたりと止んだ」
安城は嵯峨を見つめた。物悲しげな殺気を感じないその表情。だが彼女はその表情を見るとどうしても目の前の男に近づきがたい雰囲気を感じる自分がいることを知っていた。
「近藤事件以降、テロ組織が方針を転換したとでも?」
ようやく気がついたかのように安城はそう言った。
「そのあたりを頭に入れてそのデータを見ると納得が行く。非公然組織への資金供与や政界工作の為に流れていた資金だけど、俺が見ただけでもそれらに割いた数倍の金額が消えてなくなっている。まあテロ組織も資金の見通しが急にたたなくなって戸惑ってるんじゃないですかね……まあ近藤の石頭に私的流用なんて器用なことできるわけが無いからその金がどこに行ったか……」
嵯峨は相変わらず安城を惑わすような曖昧な言葉づかいで事態を説明した。
「つまり、正体不明の資金がどこかに流出しているって言う訳?確かに甲武の公安憲兵隊が見つけた近藤中佐の公然組織名義でプールされていた資金があまりに少ないのには私も唖然としたけど……やはり『廃帝』ね」
安城はそう言って手にしたディスクを見つめた。
「いや、違うんじゃないかな……法術師を囲ってることで言えば『廃帝』ハドが一番なんだろうけど、奴にはそれほど金を必要とする組織無いはず……懐具合は甲武陸軍の機密費で十分やっていけると思うよ……それよりゲルパルト……火が入るとかなりヤバいことになるかもね」
そう言うと嵯峨は頭を掻きながら安城を見上げる。
「嵯峨さんを目の敵にしてるネオナチの残党……確かに極秘裏に大規模な艦隊を所有している彼等には資金が必要ですものね……」
安城は静かにため息をついた。嵯峨はタバコを灰皿に押し付けてもみ消すと、次はボールペンで頭を掻き始める。
「その……ねえ。ディスクを見てもらえればわかるけど、あくまで現時点の話ですから。金は天下の回り物。つかめる範囲での新しい情報が入ったらその都度うちの若いのに連絡させてもらいますよ」
そう言うと嵯峨は立ち上がった。
「それでさあ……秀美さん。美味い蕎麦屋があってね、これから暇なら昼飯くらい……」
嵯峨の今にも揉み手でもしかねない態度の変化。安城はいつもそんな豹変する嵯峨に振り回されてきた。
「残念だけど、これから所用があるのよ。ちょっと面倒な組織の内偵……それに茜さんと約束もしてるし……」
そう言うと安城は悪戯っぽい笑みを浮かべる。嵯峨の笑みが『彼女』と言う言葉を聞くと一瞬だけ残念そうな表情に変わるのをランは見逃さなかった。
「さっき言った通りテロ組織で派手に動きそうなのは『廃帝』とネオナチ位なんだから……蕎麦を食いながら今後の方針を……それに『廃帝』がらみなら茜を交えて真剣にやらないと……」
食い下がる嵯峨だが、安城は手にしたバッグを一度開いて中身を確認すると背筋を伸ばして嵯峨を見つめる。
「また今度にしましょう。彼女ったら結構まめなのよね。父親とは大違い」
安城はそう言うと親しげな笑みを浮かべて部屋を出て行く。
「振られてやんの」
「笑うなよ中佐殿……」
振られた嵯峨を見て笑うランに情けない顔を晒す嵯峨だった。