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第206話 奇妙な現象とその原因

「あ!神前君だ!」 

 
挿絵


 肉球グローブをしたサラが手を振っているが、すぐに島田の部下の技術部員達に引きずられて詰め所の中に消える。他の隊員達はそれぞれささやき合いながら誠の方を見ていた。気になるところだが誠は隊長に呼ばれているとあって焦りながらロッカールームに駆け込む。

 誰も居ないロッカールーム。いつものようにまだ階級章のついていない尉官と下士官で共通の勤務服に袖を通す。まだ辞令を受け取っていないので、誠の制服には階級章が無かった。

「今回の件で出世した人多いなあ。それだけのことを僕達はやったんだ。凄い話だ」 

 誠が独り言を言いながらネクタイを締めて廊下に出た。先程の掲示板の前の人だかりは消え、静かな雰囲気の中、誠は隊長室をノックした。

「開いてるぞ」 

 間抜けな嵯峨の声が響いたのを聞くと、誠はそのまま隊長室に入った。

「おう、すまんな。何処でもいいから座れや」 

 机の上の片づけをしている嵯峨。ソファーの上に置かれた寝袋をどけると誠はそのまま座った。

「やっぱ整理整頓は重要だねえ。俺はまるっきり駄目でさ、ときどき娘が来てやってくれるんだけど、それでもまあいつの間にかこんなに散らかっちまって」
 
 愚痴りながら嵯峨は書類を束ねて紐でまとめていた。

「そう言えば今度、同盟機構で法術捜査班が設立されるらしいですね」 

 多少は組織の常識が分かってきた誠は何気なく嵯峨にそう言って見せた。

「ああ、俺の娘も俺と同じ『法術師』ってことがばれてたから上級捜査官にしようって話があんだ。ここだけの話だが、娘から相談受けててね。本人は結構乗り気みたいだからできるだろうが……まあこれまでは『法術』って力はみんなで寄ってたかって『無かった』ことになっていた力だ。そうそう簡単に軌道に乗るとは思えないがな。まあ父親としてはフリーの弁護士よりは安定したお仕事につくんだ。歓迎してやらなきゃね」 

 目の前のどう見ても若すぎる『不老不死の駄目人間』、司法局実働部隊隊長嵯峨惟基には娘がいる話は聞いていた。

 今回の事件。『近藤事件』と名づけられた甲武国のクーデター未遂事件に対する司法局実働部隊の急襲作戦により、法術と言うこれまで存在しない事にされてきた力が表ざたにされた。

 遼州同盟は加盟国国民や地球などの他勢力の不安感払拭のために、司法局直下の『警察特殊部隊』である特務公安隊の拡充を発表した。矢継ぎ早に法術犯罪専門の特殊司法機関機動部隊の発足を決めたニュースは、すぐに話題となった。そしてその筆頭捜査官に嵯峨茜(さがあかね)と言うどう見ても『駄目人間』の身内の名前が挙がっていることは誠も知っていた。

「それにしてもよくここまで汚しますねえ」 

 誠がそう言いたくなったのはソファーの上の埃が手にまとわりつくのが分かったからだ。

「ああ、そう言えばすっかり辞令の事忘れてたな。今渡すよ」 

 そう言うと嵯峨は埃にまみれた一枚の書類を取り出した。誠は立ち上がって、じっと辞令の内容が読み上げられるのを待った。

「神前誠曹長は司法局実働部隊での勤務を命ず」 

 嵯峨はそう言った。

『曹長?』 

 誠は聞きなれないその言葉に、体の力が抜けていくのを感じた。

「あの、もう一度いいですか?」 

 誠は確かめるために嵯峨に頼む。

「ああ何度でも言うよ。神前誠曹長」 

『曹長』と聞こえる。

「あのソウチョウですか?」 

「まあそれ以外の読み方は俺も知らないが」 

 そう言うと嵯峨はにんまりと笑う。 

「廊下に今回の事件での昇進者とお前さんの配属のお知らせが張り出してあったろ?掲示板見ていなかったのか?」 

 そこで通用門から続いていた微妙な視線の意味が分かった。

「確かにお前さんはパイロット幹部候補で入った訳だけど、一応適性とか配属部隊で見るわけよ。それを勘案しての話だ。まあ、お前さんには似合うんじゃないの?鬼の下士官殿」 

 ガタガタとドアのあたりで音がするのも誠には聞こえない。聞こえないと思い込みたかった。

「でもまあ曹長は便利だぞ。まず今住んでる下士官寮の激安な家賃。さらに朝食、夕食付き。士官になるとそこ出て下宿探さにゃならんからな」 

「でも何人か将校の男子もいますよ?」

 誠は休暇の間にもいつもは任務で関わり合いになることが少ない情報系の男性大尉や技術系の専門職の士官達とすれ違って彼等が下士官寮にいることを不思議に思っていた。 

「ああ、それぞれ事情があんじゃないの?あそこの全権は寮長の島田にあずけてあるから。あいつと『偉大なる中佐殿』ことクバルカ・ラン中佐の指導の下、人権を全面的にはく奪して立派な『(おとこ)』になるまで出さねえって方針でやってるみたいだよ、あそこ」 

 誠は足元が覚束なくなってきているのを感じた。幹部候補で入った同期は例外なく少尉で任官を済ませている。しかし誠は候補生資格を剥奪されての曹長待遇。ただ頭の中が白くなった。

「ああ、確かに階級は曹長になるけど今回の実戦で法術兵器適応Sランクの判定が出たから給料は逆に上がるんじゃないかな」 

 そう言うと嵯峨は掃除の続きを始める。

「でも原因は?なんで尉官任官ができないなんて……」 

「本当に心当たりないか?」 

 嵯峨が困ったような顔をして誠を睨む。思いつくところが無く天を仰いでした誠に嵯峨はため息をついた。

「お前……なにかっつうと吐くじゃん。あれ、問題なのよ、将校としては。他の将校の方々が一緒にされると迷惑なんだって。俺はプライドゼロの男だからどうでもいいんだけどね……それと何度か逃げようとしたじゃん。それもマイナス要因……でも士官は残業手当出ねえからな……逆にうらやましいくらいだよ。今回の出撃でも士官は出ない『危険手当』が付く。今月振り込まれる給料が楽しみだろ?」 

  嵯峨はそう言うと本当にいい笑顔を誠に向けた。


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