第146話 憎悪の民主主義
「遼州はな……あの地球の『憎悪の民主主義』の二の舞は舞いたくねえんだよ、遼州に住んでる元地球人はな」
「『憎悪の民主主義』?」
誠には嵯峨の言葉が理解できなかった。
「そうだ。敵を作り、煽り、踊り、狂う。そう言う民主主義だ。古代ローマ帝国や古代インドにも民主主義は有った……ってお前さんは歴史は苦手だったな」
「ええ、ローマとかインドは知ってますけど……ローマってイギリスですか?」
「イタリアだよ……ったく。地球人の文明が始まった時からすでに民主主義は有ったんだ。それが古代期の終焉とともに忽然と姿を消した……」
そう言うと嵯峨はタバコを灰皿に押し付け続きのタバコに火をともした。
「へー……」
「分かってねえ面だな。まあ、俺も言いたいことがあるから続けさせてもらうぞ。ローマが民主制から帝政に移る原因は『富の偏在』に有ったというのが歴史家の見方だ」
「『富のへんざい』……あのー『へんざい』って?」
「あのなあ……お前、本当に大学出てるの?金持ちと貧乏人の格差がデカくなったってこと!結果として富める者が自分の主張を通す手段として民主主義を利用した……そしてそれに反対する人間も富める者しかいなくなった」
「でも……庶民はいたでしょ?」
明らかに馬鹿にする調子の嵯峨に誠は何とか食い下がろうとした。
「なあに、富める者同士の対立なわけだから完全に庶民は蚊帳の外なの。賢い奴はそのおこぼれにあずかろうとそれぞれの主張をふれて回って何とか富める側に立とうとするだけさ……結果生まれたのが『憎悪の民主主義』って奴だ。神前よ、さすがに『アドルフ・ヒトラー』は……知ってる……よね……」
「知ってます!髭の昔の人です!」
誠の叫びに嵯峨はあきれ果てたという顔でタバコをふかす。
「あのなあ……それ言ったら歴史上の人物は全員昔の人だ。民主主義と言うシステムを利用して独裁者にまで上り詰めた男さ。うまくいかない時代になるとそれを誰かのせいにしたくなるもんだ。それを『ユダヤ人』や『共産主義者』のせいにして憎悪をあおって民主的に政権を握り、独裁者になった」
「それが『憎悪の民主主義』ですか?」
「いいから聞きなさいって。民衆にとってヒトラーの主張は正義に見えた。だからヒトラーは政権を取れた……正義なんてそんなもんだ……正義は憎悪を生み、憎悪は悪を生む……俺は嫌いだね、『正義』って言葉が」
嵯峨はそう言うと一息ついたというようにタバコを口にくわえた。
「隊長は正義が嫌いなんですか……じゃあ、何のために僕達は戦うんですか?」
誠には嵯峨の言うことが理解できなかった。
正しいから正義である。誠はそう思っていた。いや、誰もがそう思っていると思っていた。しかし、嵯峨は明らかにそうは考えていないようだった。
「俺は前の戦争で自分の国では『正義』とされている者の為に人を殺した……うんざりするほどの数をだ。それは俺の国、甲武国が戦争に負けたことで『悪』だとされた。でも、俺が命令書を受けとった時は、確かにその命令書に書いてあったことは『正義』だったんだぜ……」
「隊長……言ってることの意味が分からないんですけど……」
誠にはそう言うことしかできなかった。
「なあに、俺達武装警察には『正義』の命令書が送られてくる……作戦が終わった時、それが実は『悪』に置き換わっている……なんてことがよくあるもんだって話さ……今回もそうなってもおかしなことは一つも無いな」
そう言うと嵯峨はタバコをもみ消して立ち上がった。
「うちのちっちゃい中佐殿から本でも紹介してもらえ。アイツは見た通りのちっちゃいおつむのわりに読書家だからな。ローマの話をしたら『ガリア戦記』あたりを紹介してくれるだろうし、ヒトラーって言うとニーチェやハイデガーなんかの哲学書を推薦するだろうが……その前にお前さんは小学校の社会の教科書あたりからやり直せよ」

嵯峨は立ち去り際にそう言うと誠に背を向けて隊長室に向けて歩き出した。
「そうですか……」
誠は嵯峨の言う固有名詞が何一つ理解できずにただ茫然と立ち尽くすしかなかった。