第144話 認めがたい現実
ようやく悪戦苦闘の末、演習要綱をその内容の理解は別として、とりあえず一通り読み終えた誠は、とりあえず一服しようと廊下に出て、更衣室の前の自販機で缶コーヒーを買っていた。
「どうしたの暗いじゃん。かなめにでもいじめられたか?」
誠が突然の声に振り返ると、取ってつけたような『喫煙所』と言う張り紙の下で、嵯峨が退屈そうにタバコを
「まあ悩むのも若いうちは良いと思うよ、俺は。まあそうして人間、大人になっていくものだと思ってはいるんだがね」
嵯峨はだれた感じでタバコの灰を灰皿に落とす。
「今度の演習、かなめが言うように休んでもいいんだぜ」
嵯峨は口調を変えずにそう切り出した。突然の言葉に誠は嵯峨の言葉の意味がわからなかった。
「どういうことです?」
誠はそんな言葉を口にするのが精一杯だった。
「鈍い奴だな。何でわざわざ政情が安定していない甲武国の、しかも殆どの宙域が使用不能になってる演習場を選んで訓練しようなんておかしいと思わないか?」
嵯峨はそう言いながら、吸い終わったタバコの火をゆっくりともみ消した。
「近藤とか言う過激派が決起するからですか?」
「そいつはそうなんだがねえ……」
この人に隠し事は通用しない。誠は観念したようにうなづく。
嵯峨は再び胸のポケットからタバコを取り出すと火をつけ、上体を起こして天井に向けて煙を吐いた。
「大体はかなめから聞いてるかもしんねえが……」
そう言った嵯峨の目は、先ほどとはうって変わった鋭いものだった。
「今回の演習宙域は胡州海軍第六艦隊の管轄だ。しかも隣の宙域には遼州星系最大の地球のアメリカ軍の基地がある小惑星が存在する。そのくらいは演習の綱領に書いてあるだろ?」
「ええ、まあ……」
誠は嵯峨の言葉に引っ張られるようにして肯定して見せた。しかし、確かに改めてその事実を突きつけられると、いつ衝突が起きてもおかしくないその緊張した宙域に行くことの意味がさらに不可解に思えてきた。
嵯峨は話を続けた。
「第六艦隊司令の本間中将は軍の政治干渉には否定的な人だ。近藤の旦那達、『
そう言うと嵯峨は苦笑いを浮かべてタバコを咥える。そして彼は話を続ける。
「まあその『官派』の連中がちょっとおかしな動きしてるんで、ある人物の『素性』をリークして、どう言う反応が出るか試してみたんだ。そしたらまんまと食いついてきやがってね」
「誰の情報をリークしたんですか?」
すかさず誠はそうたずねた。
「お前さんのだよ」
嵯峨は表情も変えずにそう答えた。あまりにも唐突な言葉に誠は息を呑む。だが嵯峨の表情は変わらない。
「そんなに僕が変わってるんですか?」
自分はただの一般的な遼州人であると誠は思っていた。剣道場主の母と全寮制私立高教員の父の間に生まれた普通の人間。誠はそう自覚していた。そんな国や組織が求めるような力は無いと思っている。確かに脳波に一部、他の人類には見られない特徴的な波動が有ると言われたことはある。また神前という苗字は『遼帝国』の『帝室』が東和共和国に『亡命』した人達の末裔だとされるが、誠の家は普通の家庭である。奇習と呼ばれるものは何もない。
東和宇宙軍に入隊した時も特に変わったところはなかった。
『この脳波は……遼州人に時々あるんだよね、この異常な波動』
入隊時の身体検査で脳波を見ていた医者が言ったのはそれだけだった。誠はそれがどういう意味かは理解していなかった。ただ何かある。誠は嵯峨の様子にそう確信した。嵯峨はさらに続けた。
「お前さんは『あるシステム』を効率的に運用することができる可能性があるってのが、『その筋』の専門家の一致した見解だ。俺はそいつがいずれどっかの勢力につかまってモルモットにされるのがかわいそうで部隊に引き取ったんだが……まあいいか、そんなことは」
そう言うと嵯峨はタバコを灰皿に放り込む。
「あるシステム?何ですか?『法術増幅システム』とか、ちょっと眉唾(まゆつば)の話ばっかり聞いていたんで」
「俺は文系でね、そう言ったことは専門家……うちなら技術部の野郎の士官とか看護師でありながら『法術師』の能力については独自教育を受けているひよこに聞けば分かるかも知れんがね。俺、そう言うの興味ねえんだ。『兵器は動いてなんぼ』ってのが信条でね。まあ連中が機嫌がいい時に聞いてみろや……まあ島田には聞いても無駄だな……アイツのおつむじゃ理解不能な話みたいだからな」
相変わらず、誠の目の前では嵯峨は相変わらずの『駄目人間』だった。
そんな嵯峨の表情が急に緊張感を帯びたものに変わった。
「それより今回の演習はデブリの多い宙域での『05式特戦』の運用訓練……と言うのは建前で、実際の狙いは『官派』の金庫番を狩りだすこと。特に武闘派として知られる第六艦隊参謀部副部長、近藤貴久中佐の首を取ることだ」
「近藤中佐の首を取る……」
『駄目人間』の言いだした『好戦的』な言葉に、この『特殊な部隊』が、本来『機動兵器を所有する特殊部隊』である事実を誠に再認識させた。
嵯峨はそう言うと派手に煙を吐き出した。
「それだけじゃない、出来れば第六艦隊の連中に身柄の確保をされる前に迅速に動く必要があるな……近藤さんが派手に動くと甲武国の特別ルールの『連座制』でやたらと死人が出そうなんだわ」
目の前の『稀代の策謀家』は誠の目の前で本来の姿を現した。