第132話 奢りの寿司
次の日は雨だった。地獄のランニングとトレーニングはこれまでのシミュレーションの感想などを書類にする仕事に置き換えられた。
終業時間近くになると暗鬱な気分をまとう誠を待っていたのは笑顔のかわいいランだった。
「今日、寿司連れてってやる……感謝しろよ」

ランは出社した誠にそう言って笑うといつも通り机の上の将棋盤に目をやった。
「よかったな……寿司じゃん」
「初めてじゃないか?配属一月以内に中佐が寿司に連れて行くなんて」
かなめもカウラも笑顔で席に着く誠に目をやった。
「回転寿司ですか?」
誠は突然の幸運に驚きながら、そう尋ねた。
「ちげーよ。ちゃんとしたカウンターの寿司だ。なんでもそこの大将は東都の銀座で修業したとか言ってたぞ。菱川重工のお偉いさん目当ての結構高級な店なんだぜ。アタシが良い仕入れ先を教えてやったからそれが縁で通ってるんだ」
桂馬の駒を手にランはそう言って盤面を見つめている。
誠は初めての回っていない寿司の話にワクワクしながら机の上の端末を終了した。その脳裏からは昨日の島田の仕打ちで退職を考えたことなど完全に消え去っていた。
「寿司だからな……タダより高いものは無いということもある。気を付けた方が良い」
ぼそりとカウラがつぶやくが、誠の寿司へのあこがれの感情がそんな警告を聞き逃すように仕向けた。
そしてそのままいつもより早く着替えを済ませると更衣室を出た。
そこにある喫煙所で嵯峨がつまらなそうにタバコを吸っていた。
「寿司食えるんだ……いいねえ……俺半年以上食ってねえけど」
喫煙所のソファーに腰かけている嵯峨はそう言って誠を見上げた。
「しかも回らない寿司って……ありがとうございます!」
誠の心はすでにランが奢ってくれるという高級握りずしに支配されていた。
「俺が奢るんじゃねえんだから……まあ、いいや。ランに色々教わんな……あのちっちゃいのは見た目とは裏腹に読書家だからな。色々、社会勉強ができるだろうよ。まず、お前さんに欠けてるのはその部分だからな。頑張りな」
そう言って嵯峨はタバコをくゆらせた。