バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

11話 ストーンヘイル






薪が弾ける乾いた音が、静かな夜に心地よく響く。

私とルネは夕食を終え、焚き火の前で見張りをしていた。交代は三つ子月が山に隠れるまで、この世界が地球と同じ計算ならあと5時間ほど。二人はひとつの大きな外套を分け合い、丸太に寄り添うように座っている。

──触れているルネの肩が暖かい。

彼女の体温を感じるたび、知らず顔がほころんでしまう。焚き火の赤い光が彼女のブロンド色の髪をやわらかく照らしていた。これで馬車の中から聞こえる、まるでクマのような、リオンのいびきがなければ完璧なのだが。
リオンは毛皮を敷いた馬車の中で豪快に眠っているらしい。

ふと視線を横に向けると、ルネの猫耳──正確には作り物の耳がピクピクと動いているのが目に入った。


「その耳、どうやって動かしてるの?」


私が聞くと、ルネは耳をぴょこんと動かしながら答える。


「ああ、これ? オーラだよ。波動とか闘気って呼ばれることもあるけどね。」


そう言うなり、彼女は耳だけでなく尻尾まで動かし、軽く私の腰にペシッと叩いてきた。


「魔法とは違うの?」
「うん、オーラは単純に力を伝える感じ。魔法は魔力を使って事象を増幅させるものなの。」

「事象を増幅……?」


私が首を傾げると、ルネは焚き火をじっと見つめ、少し考え込むようにして話し始める。


「例えば、火を起こすときに火花を大きくしたり、剣を振ったときに風を強くして斬れ味を上げたり...そんな感じ。普通は、何もないところにいきなり火を出したりはできないのよ。」

「オーラは人の力を、魔法は自然の力を利用するってこと?」
「そうそう、そんな感じ!」


彼女が嬉しそうに頷くのを見て、私も頷き返す。


「でも、普通ってことは例外もある?」
「テオがそうなのよ。あの子は何もないところから火を起こせる。でも、あれは魔法じゃないのかも...。」

ルネの言葉と表情から畏怖や恐怖を感じとる。顔を上げて三つ子月を見つめた、その表情につられて私も夜空を仰ぐ。


「もしかして霊気?」
「分かんない。でも見た目が全然魔族じゃないのよ。」

「会いたいなぁ……。」

私の呟きに、ルネがくすっと笑いながら返す。


「首都に行けばすぐ会えるわよ。」


少し戸惑いつつも、率直に疑問を口にする。


「どうして?」
「首都で女遊びしてるからよ。」

「あー...。」


肩透かしを食らったような答えに反応に困る私を見て、ルネがクスクス笑う。

「でもルネって...。」

言いかけた瞬間、内臓しているレーダーが何かを捉えた。私はすぐに動きを止め、センサーの感度を上げて情報を確認する。


「...狼が来た。」
「!? 師匠! 狼です!」


驚いたルネが立ち上がり、素早く外套を羽織る。
馬車の中からリオンが短剣を携え飛び出してきた。


「オオカミはどこだ?」

──斧じゃないんだね

横目でリオンを見て少しだけ期待が外れる。


「ウタ、距離は?」
「約200メートル、ちょうど向こう側の尾根にいる」

「200めーとる??それじゃ分かんない」
「え...ルネが130人分!」

ふたりの動きが止まり、静寂が流れる──


「待って、それ2ドラコぐらいって事?」「ウタ、それは確かなのか?」


ウタは一点を見つめたまま答える


「うん、今もこっちに向かってきてる。もう射てもいい?」

「待って、当てれるの?2ドラコの距離を?」
「まてまて」


活躍の場を止められて少ししょげた様子のウタ、それを見てふたりは罪悪感が刺激され、狼のキスで目覚めるよりも混乱している。


「よし、ここから狙って足を止められるか?」
「やってみます。」


私は矢を番え、弦を強く引き絞り、一射。すぐに二本目を構えて放つ。一本目の矢は先頭を歩く狼の足元に突き刺さり、二本目がその矢に命中。破裂音が轟き、木片が飛び散る。狼たちはその場で足を止めた。


「足は止まりましたが、撃退はしていません。」
「様子を見よう。」


リオンが冷静に判断を下す。


「やっちゃえばいいのに。」


ルネが不満げに呟くと、リオンが低い声で説明を始める。


「この辺りの狼は賢い。仲間がやられたら、ここを通るたびに付け狙われる可能性がある。」
「嘘でしょ……。」

「あながち嘘じゃないかも、一回り大きな一頭が目を光らせてこちらを見てる」


暗視を駆使して観察している私が報告すると、リオンが軽く頷く。


「ウタ、威嚇でもう一射頼む。」


次の矢を構え、私は先ほどの狼の隣にある木を狙って放った。矢が木に命中し、狼たちはようやく引き返していく。


「離れていきました。」
「よくやった、ウタ。また何かあれば起こしてくれ。」


そう言うと、リオンは馬車に戻っていった。

──次は起こさなくてもいいかもしれないな。


「どうやって気づいたの?」


ルネが興味津々の表情で問いかけてくる。


「町に着いたら話すよ。」
「ふーん。」


彼女は満足げに微笑み、私もつられて笑顔になる。ルネと話すことが増えるのが、楽しみになっている自分に気づいた。













山の腹に広がる石の町、ストーンヘイル──

その町は山全体が巨大な岩の塊で、その中腹を削り出して築かれた採石と炭鉱の町だ。何百年もの間、壁や城の建材として名を馳せる良質な石を産出し続けている。そのため、町の外壁はもちろん、道も家も家具も、ほとんどが競い合うように石で作られている。

町の中心には石工職人たちの工房や商人の店が軒を連ね、その周囲には娼館、酒場、宿屋が並ぶ。そしてさらに外側には採石場や炭鉱で働く労働者たちの住居がひしめいていた──


私たち三人はオオカミの一件以降、大きな問題に遭遇することもなく穏やかに旅路を進めた。太陽が真上に差しかかる少し前、石の街ストーンヘイルの門前にたどり着いた。



「おお...本当に石で作られた外壁だ...。」


目の前にそびえる石造りの外壁を見上げ、私は思わず感嘆の声を上げる。


「...あんたね、驚くところがそこなの?」


ルネが呆れたように肩をすくめるが、私の目には外壁や石造りの門、上下する鉄格子すらも古代遺跡に思えた。かつて28世紀の日本で生活していた私にとって、建築物はほぼ全て3Dプリンターで造られたもの。人の手で作られた石の建築が、こうして現役で使われているなんて、ロマンを感じずにはいられない。

──これはきっと、富永博士の影響だろうな。

彼が熱弁してくれた古代遺跡の話が、ふと脳裏をよぎる。私はしばしば立ち止まりたくなる衝動を押さえながら、石造りの細部を馬車が許す限りじっくり観察する。


「そろそろ銀貨二枚出しておいてね。身分証がないと、それで払わなきゃならないから。」


ルネに言われ、慌てて銀貨を用意する。
門に差し掛かると、鎧を着た垂れ耳の門番が私たちを止めた。


「おーい、そこで止まれ! 身分証がないやつは通さないぞ。」


ルネが小声で囁く。


「渡して。」
「はい、どうぞ。」


銀貨を差し出すと、門番の垂れ耳がピンと立ち、顔がパァッと明るくなる。


「おっ、分かってんじゃん。行ってよーし!」


耳だけでなく尻尾まで振り始める門番に、私は内心で突っ込む。

──あれは、どう見ても犬だね。

「本当は銀貨一枚でいいんだけど、覚えが良くなるから二枚出すのよ。」
「賢いなぁ。」

「師匠の受け売りよ。」


ルネが得意げに微笑む。

「あ、そういえばリオンはどこに行ったの?」
「行きつけの娼館宿があるみたい。いつもそこに馬車を止めて、私とは別行動してるよ。」

「へえ…娼婦さんがいるんだね。」
「もしかして興味あるの?胸が大きい子とか、いっぱいいるよ。」

ルネの冗談めいた言葉に、一瞬想像してみたウタだったが、脳裏に浮かんだのはキャンディ博士やメリセアの姿だった。胸が大きいとどこか母親のような印象が強くなる彼女にとって、その光景はあまりピンとこない。ウタは苦笑いを浮かべるほかなかった。

町の中に入ると、想像以上に人の往来が激しかった。石造りの家々や道には労働者たちがひっきりなしに行き交い、リュッカ村の活気が霞んで見えるほどだ。

「明日はあんたの身分証を作らないとね。ギルドに行くわよ。」
「それって冒険者ギルド?」

「何それ? ここを取り仕切ってる組合のことよ。」

──冒険者ギルド、ありそうだと思ったんだけどなぁ...。








やがて目的の宿が見えてきた。看板代わりの石板には「石割人の休息所」と彫られている。屋根には黒光りする玄昌石が使われていて、遠目からでも一目で分かる。隣の預かり所に馬車を止め、宿に入ると、ルネはまっすぐ受付へ向かった。

右手には階段、左手にはカウンターと、テーブルと椅子が並ぶ広間がある。どうやら夜は酒場としても営業しているらしい。ルネは気だるそうな表情の狐耳の受付に話しかけた。


「メイサ、ふたり部屋空いてる?」
「ルネが友連れなんて珍しいね。悪いけど、ひとり部屋なら空いてるよ。」

「え......じゃあ、ひとり部屋にふたり入れる?」
「いいけど、料金は二人分もらうからね。」


ルネが私を振り返る。私は黙って頷いた。


「なんかサービスしてよ。」
「えー……じゃあ、お湯代と朝食はつけとくよ。」

「よし、じゃあそれで。」


交渉がまとまるのを見計らって、私はルネの隣に立つ。

「ここは私が払うよ。色々お世話になってるし。」

「おっ、優しいじゃん。ルネ、出してもらいなよ。」
「え、でも……。」


急にしおらしくなるルネ。少しお金に苦労しているのだろうか、と邪推してしまう。


「いくらですか?」
「一泊につき、銀貨三枚ね。」

「じゃあ、とりあえず二泊でお願い。」


私は皮袋から銀貨六枚を取り出し、テーブルに置く。


「まいど~。一番にお湯持って行ってあげるよ。階段を上がって右奥の部屋ね。」

「あ、ありがとう...ウタ。」


ルネが何か言う前に支払いを済ませ、部屋のカギを受け取る。

──ラムエナ、あなたには本当に足を向けて寝られないよ。

階段を上り始めたとき、受付のメイサがニヤニヤしながら声をかけてきた。


「あんまり声出すなよー。」


その瞬間、ルネの顔が真っ赤になり、俯いてしまう。理由が分からず疑問を抱いたが、それは部屋についてから聞くことにした。






しおり