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人を食った話

他殺死体がなければ、殺人事件は発覚しにくいものである。遺体という明確な証拠がないと警察も動きようがないというものだ。被害者がはっきりしない、ただの目撃証言だけで、警察に動けというのは、確かに酷なことかもしれない。だが、私は目撃してしまったのだ。
私の目撃談に対応している刑事も、最初は真剣だったが、だんだんやる気が感じられなくなってきた。
「ええと、加害者、被害者ともに面識がないと。どうして、そんなところにいたの」
「帰り道だからって、さっき言いました」
「あ、ああ、そうだったね。確認だよ、確認。で、他に目撃者は?」
「私以外には誰も・・・」
「被害者は、悲鳴を上げなかったのかね」
「いえ、一瞬だったので、こちらも、最初、何が起きたのか分かりませんでした」
「君、通院とか薬とかは・・・」
「いえ、正常ですよ、刑事さん、お酒も飲んでいません」
「だが、人間が人間に、一瞬で丸飲みにされるなんて話、普通誰が信じるね」
「私の頭がおかしいと、言いたいんですか」
「君は、そんな話、他人が信じてくれると思うかい」
「確かに、常識では考えられないことですけど、私は見たんです。刑事さん、信じてください」
「あの、少し休憩しては?」
そう言いながら、お茶を運んできた婦警が部屋に入って来た。
「あ、村山君・・・」
「佐藤さん、休憩して、外の空気を吸ってきては?」
「うむ、そうだね、ちょっと一服させてもらうよ、君はどうする?」
刑事は煙草を懐から出し、禁煙室に私を誘ったが、私は、酒もたばこもやらないので横に首を振った。
「あ、そう、署のトイレ使っていいから、楽にしてて」
「は、はい」
私の目撃談に懐疑的なようだが、悪い人ではないようだ。
とりあえず、婦警さんの持ってきてくれた温かいお茶を一口飲み、落ち着く。
「あなた、人間が丸飲みされるのを見たんですって?」
婦警さんが首を傾げて私に問う。
「はい、あの、やっぱり、信じてもらえませんか」
「そんなことはないわ、こんな感じで口が大きく裂けて、私の仲間に丸飲みされたんでしょ。まったく、目撃されるなんて、とんだ、ドジを・・・」
「ひっ」
悲鳴を上げてる余裕もなく、その婦警さんに丸飲みにされた。
「あれ、お嬢さんは?」
一服して戻って来た刑事が、ひとりでいる婦警に尋ねる
「なんでも、明日も仕事があるから、今夜は帰らせてもらいますと」
「確かに、もう遅いしな。一応、明日、明るくなったら現場を見に行く」
「人間丸飲みなんて佐藤さんは信じてるんですか?」
「いや、とりあえず、現場を見て来るだけだ」
「ですよね」
その婦警は人間を丸飲みにしたというのに全く体型を変えず、一口だけ飲まれたお茶をお盆にのせて何事もなかったかのように片付けた。

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