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時計の針は刻々と前に進んでいく。

目をつぶって呼吸を整えていると、気持ちが穏やかになって体全身に酸素が行き届いていることが感じられた。レースのカーテン越しに薄蒼色の空が見える。私は今、生きていることが不思議で、それでいて満たされた思いと、それに相反する気持ちの高ぶりを経験している。この地球に産まれて私は何を成し遂げたいのか、生きることの目的は何だろうと意識を集中して考える。自分がこれからどう生きるべきか、これからどのように人生を進めるべきか、今まであまり考えたことはなかった。でも相次いで、父と母が二人とも癌で亡くなったので、自然、私も死について考えることが多くなった。これから先、何処へ向かって歩んだらいいのだろう?何を指針として生きたらいいのだろうと少し錯乱というか、戸惑いを覚えることもあって、誰かに相談できたらいいのにと思っている。うずくほどの心の葛藤、毛細血管の中に何か細かな異物が詰まっているという焦燥感、誰にも助けを求めることができなくて、両手を開いて顔を覆う。それで少しは気持ちが落ち着いた。燻(くすぶ)るような感情がこの先も現れていくのだろうかと不安に、それでいて期待もしていて、交差する思いがあることが生きる上で大切なのかもしれないと、秘密の扉を開いた気持ちだった。最終的に自分の今の心の状態が上向きになることを願ってはいたけど、いろんな悩みの種が土壌に落ちて、それが根を伸ばして四方に伸張することによって人生の経験値を重ねていくのかもしれない。いつも見ている風景、いや、心象に刻み込まれた森羅万象が私の脳みそに去来した。それは100億光年を隔たった場所で、地球と同じように生命が宿り、そこには高度な文明が築かれていた。そのうちの一人は、私たちのような知能を持った動物がいるのだろうかと疑問に思っている。でも、それは半永久的に解決できない問題の一つだ。ただ、この地球という生命に溢れた地球が存在していることが凄まじいほどに奇跡だ。こんなにも生き物に、多彩な美しい生物が数え切れないほどの多様性に満ちている。しかも個体にはオスとメスがあって交尾を行って種族を生かすということだ。はじめからオスとメスがいてしかも交尾という行為をすることによって子孫が産まれるというなんと奇想天外な習わしなんだ?ほとんどの動物はオスとメスに分かれている。そしてその2つの個体が交尾することによって子孫が産まれる。なんのこっちゃ?こんなに途方もない作用って現実的にあるのか?はじめからオスとメスが交尾して子供を残すような運動が初めからあったというのか?それもほとんどの種族で同じような行動が見られる。最初に登場した生物は何だろう?そこから派生して高等動物になるには相当の労力があったはずだ。こうして今、人間として生きていることにも戸惑いを覚える。何かもっと自分には生きていくための理由があって、その思いを人々に伝えなくてはいけないような気がするんだ。そう、自分たちが何かの為に生きているということをだ。今、世界は分断されている。だから人はみんなで集まって共感を深めることが大好きなのだ。人は誰しも孤独であることに淋しさを感じるものだ。その孤独に耐えきれなくて自らの命を断ってしまう人もいる。その淋しさを紛らわすためにSNSで友達を探し出そうと躍起になって、でも結局、自分のことを愛してくれる人よりも、愛されることを望んでいる人が多いから最終的にその営みは破算になることが多い。この世界は欲望を膨らませることによって成長する。でもそれは偽りでもあり、でも産業というものは消費しなければ衰退していくという自己矛盾を孕んでいる。欲望のままにこれから歩んで行かなければこの世界は破算してしまう。でも、1つの救いがある。コンテンツとして情報が唯一の救いかもしれない。メディア、音楽、映像など物ではないもの、また電子書籍などがこれから先大衆に浸透し始めている。
世界の何処かに中心点があって私たちはその中心に向かって穏やかに吸い込まれていく。そう思えてならない。そこには必ず真理があって、心から人の幸せを願う人たちが引き寄せられていく。いつの日か、満たされた気持ちで心から許しあえる人々と共に平和なパラダイスみたいな所で安穏と生活ができれば最良だ。この今の世界は不穏な動きで満たされている。みんな幸せを願っているはずなのに、不道徳な感情でいっぱいだ。誰しもが心の平安を求めているのに。その中にあって日本は過ごしやすい。みんな日本に来ればいいのに。そう思うこともある。自分のポリシーを擁護するならこんなに住みやすい所はないだろう。でも、これだけ自由的な風土が醸造されていながらアメリカや中国、そしてドイツに差をつけられている。でもたとえ困難な状況になっても私たちには強い味方がいる。だから心配なんてすることはないのだ。それは誰かって?それは自分で探さなければいけない。私たちに救いがあるとすれば、それはまるで2兆個もある銀河系のような幅広い書物だ。それを全て読むことはできないだろう。ブックオフに行ってみてほしい。数え切れないほどの書籍が並んでいる。その中の全ての小説を読むことは不可能だろう。私たちは有名な作家の本を選びがちだ。無名の作家を意識的にも無意識的にも避ける傾向がある。確かに有名な作家は能力があって売れているのであり、無名な作家は能力が無いから売れていないと言えることもあるだろう。その傾向が私を真摯な気持ちにさせた。また、私の身の周りには、私を諫言してくれる人がいる。これは良い兆候だ。二十歳ほど年下の人に注意されるとはなかなか無いことではないか。きっと自分が素直に受け入れてくれる、そう思っているからこそ正直に語ってくれるのだろう。そのことを有り難く思う。こうして私は少しずつ階段を上っているんだ、そして少しずつ成長しているんだと、嬉しく思った。そんな時、つまり、苦しくなったり、悲しくなったり、自分にがっかりする時、近くに、側にいてくれる人がいたらどんなに幸せなことだろう。私にはたくさんの人が、味方になってくれていると思う。そのことが心強い。でも、できることならば自分一人で静かに、可憐な草花が風にそよがれるようにおとなしく歩みたい。それはきっと、多分無理なのかもしれない。自分は何故かおとなしくしていても、どうしてか目立ってしまうのだ。それにそもそもの目を閉じて嘆息しても誰も助けにきてくれない。先ほどとは違うことを言っているけど。そう、自己矛盾を宿しているこの自分を自分で可愛く思うことがあるんだ。
さあ、みんな心を閉ざさずに開いてくれ。なにも恐れる必要はない。最初は違和感を感じることがあるかもしれない。でもそれは一瞬のことだ。肉体的な痛みよりも心の痛みのほうが辛いこともあるだろう。それによってに自らの命を絶つ人たちもいる。一見すると裕福で物質的なものに富んでいて、なにも不自由なく暮らしている人が突然、自殺してしまうということもある。このことから、たとえ膨大な資産を持っていても幸せになれないということがわかる。もちろんそのことは多くの人が理解していることだろう。でも、それにもかかわらず大富豪を夢見たり、権力を握った姿を想像したりする人が後を絶たない。私は富もせず貧しくもせず、と言ったことが人生では一番平行の取れた立場ではないかと思う。でも極貧の生活からとてつもない破壊力を秘めた芸術性を妊むことがあることを知っている。でもやっぱり穏やかな状態が好ましい。静かな周囲の、そして温かく見守られた安全を脅かすものが無いことが好ましい。私には精神的指導者がいてその人の執筆した書籍や小説を読むことで、人間的に成長することができていると思う。それはここだけの秘密なんだけど、私は思いの中でとても親密な関係を築いているというシチュエーションを組み立てている。世界は広く、私と同じ理想と望郷の思いを抱いている人はいるだろうか?その淋しさを凌駕する為に、ひときわ激しい妄想力を駆使して自分の願っていることを手に入れると、成し遂げた、という安らかな気持ちになって穏やかに、滔々(とうとう)と流れる血液のように全身に温かさが充満する。ああ、命の火を燃やしている。細胞1つ1つが興奮して、新たな燃焼を誘発し、その快感ともいうべき揺さぶりによって天高く飛翔して眼下にパノラマのような地球の活動が垣間見られる。なんて美しい風景なのだろう。鳥はこんな景色を見ながら美しいとか感動を覚えることは無いのだろうか?そして心を動かされて涙腺が緩み涙を流すことはあるのだろうか?そもそも多くの動物は汗をかかない。人間、馬くらいか。私は今、最高度に興奮している。身体が暑く火照って、それは不愉快な感じではなくて、良い夢を見ている感じがした。まるで恋人と1年ぶりに再会したみたいに浮ついた気分とでもいうべきか。それはきっとこれからの私の人生にとってもかけがえのないものとなるだろう。私は心に描いていた。今までに回想した一つ一つの思い出を。幼少期の思い出、青春期の親友だった人との軋轢、そしてつい最近、自分のこれからの展開にとって輝かしい経験を含む美しくも想像を絶する邂逅。人生というのは最高だ。私が語るほどではないだろう。でも、つくづく、生きていることがとても崇高で、それは貴重な経験でもあることを思う時、不思議な感覚を覚えるのだ。よくあるように夢が現実と認識して、そこで味わう食べ物の味覚があったり、空気感を捉えたりして、自分が実際にそこにいて、その世界で死ねば現実の自分も死んでしまう、昔見た映画、マトリックスみたいなことが起こるのではないかと思ったりする。
気分転換の為に近くの公園のベンチに向かう。そこに一人の若い女性が座っていた。二十歳くらいで陰りがあって目を閉じていた。私はその女性がとても人懐っこいような印象を受けた。それで勇気を興して声をかけた。
「こんにちは、ご気分が良くないんですか?」その女性は、ハッ、と目を開いて私を見つめた。
「ちょっと悲しいことがあって、これからどうしようかと思い悩んでいたの……」
「そうだったんですか、もしよろしかったら詳しくはお聞かせくださいますか?もし、私にできることならば相談にのります」私は彼女の横に座った。
「実は夫と喧嘩をしちゃって、もう帰ってくるなと言われたんです」
「そうなんだ、大丈夫、私も昔、彼氏とそういう経験があった。よかったら私のアパートに来ない?大したものはないけど、そうめん茹でてあげる」私は彼女の表情が清々しくなったのを見逃さなかった。
「いいの?ありがとう」
「私、人って結局一人では生きていけないってことをつい最近学んだんだ。これも何かの縁だよね。世界人口が70億人以上いる中で、こうして知り合えたのはとても重要だと思う。お互いに何かを得る事はあるんじゃないかな」
「なんか、心が浄化した感じがする。満ち足りた思いっていうのかな、大海原に浮いて星空を眺めているみたい」彼女は美しい腕を伸ばして私の肩を軽く触れた。まるで充電されたみたいだ。
「名前を聞いていなかった、私は佐々成子」
「私の名前は藤堂静(しず)」
「静さんか、さあ、行こう、ここから徒歩で3分くらいだから。ここの公園にはよく来るの?」
「うん、たそがれたい時に何も考えないでベンチに座ってボーっとすること大好きなんだ」
「そう、私も近くだからここの公園よく利用するよ。きっとどこかで会っているかも」
私たち二人は公園沿いを歩いてアパートまで歩いた。2階に上がって部屋に入ると静さんはほっと、ため息をもらした。まるでセーフティハウスに来たみたいに安心感を覚えたように。
「コーヒー飲める?」
「ええ、ありがとう」
室内はいつもとは違って繊細な振動で揺れているみたいな感じで、とても心地が良い。人が一人増えるだけでこんなにも自由度が増すのだろうか?
「静さんは何歳なの?」
「28、もうすぐ三十路だね」
「私は一個上の29。歳をとるってあっという間だよね。つい最近まで学生のつもりだったんだけど」
「そうだよね。でも成子さん、若く見えるね」
「全然化粧とかしてないんだけどね。たぶん両親が見た目が若くて、きっと遺伝だと思う」
「そっか、私、両親の顔、見たことがないんだ。幼い頃に孤児院で育てられたの」静さんは、でも、淋しさを感じさせない表情で語った。
「そうなんだ、私、両親があまり仲良く無かったから、いつも不安定な環境だった。いっそ親なんかいないほうがよかったって思うこともあった」
「私は周りに同じ境遇の子どもたちがいて、親はいなかったけど、とても楽しい日々だった。人生っていろいろだよね。私は親のことは恨んでいない、むしろ感謝しているんだ。こうして生きているんだもん。今は難しい状況だけど、私は楽天家でいたい。こうしてあなたにも出会えたしね」静さんは私が今まで見た中で一番の、本当に素敵な笑顔を見せた。なんて言ったらいいんだろう。それは苦しさも悲しさも凌駕(りょうが)して辿り着いたうえでの、全てを解放した、という感じだ。私は何不自由無くっていう訳じゃないけど、それなりに贅沢をしてきた。って言っても大金持ちじゃないけど。お父さんに子供の頃、たくさんおもちゃを買ってもらったし、誕生日にはケーキとプレゼントを貰った。でも、私はそんな物が欲しかった訳じゃない。もっと、純粋な、愛情、お前がいるだけで私たちは幸せなんだよっていう、本当の愛情が欲しかったんだ。静さんは、それを得ることができたんだと思う。私はそれが羨ましかった。
「よかったら落ち着くまでここにいていいよ」
「ほんとう?ありがとう。部屋代と食事代は払うから。ほんと、ありがとう」静さんは初めて涙を流した。私は彼女の涙を見て、心が洗われるような気持ちになった。世界中の人たちがこうして互いに助け合うことができたら最高なのに、それなのに今でも戦争や紛争、同じ人間同士がいがみ合っている。いい加減にしてって感じ。こんなこと言ってもしょうがないけど。でも一人を救うことができた。些細なことかもしれないけど、すぐ隣の人に愛を示すことが一番大切なことかもしれない。多くの人はできるだけ沢山の人を救うことをモットーにしている。ネットや動画サイトで、でも千キロ離れた人に手を差し伸べることより、隣人に純粋な笑顔をふりまくことこそが大切な気がして仕方がない。沢山の人を魅了しているように見えるけど、大切なのは実際に面と向かってお互いのことを語り合うこと、そんなことさえできないで愛は地球を救うことは無理だろう。なんか裁判官みたい。
「成子さん、なんかあなたを見ていると、昔、仲良かった友達を思い出す。ほとんど何も話さなくてもお互いの心の交流が盛んに行われて、首でうなずくだけで全て分かったよ、って感じの人がいた。今、その人どうしてるのかな?なんかとても懐かしい気分」静さんは天井を見つめるように言った。
「最初に静さんを見た時、微かな電流が体を流れたんだ。この人は他人じゃないって。どこかで繋がっている。そう思える何かがあった。今の世の中なかなか人を信じることができない、でもそんな中でも、だからこそお互いを引き寄せることが今まで以上に必要とされ、少ないながらもそういう確信をもった人たちが兄弟以上の関係で世界中に広まっていくのだと思う」
「最終的に人は何処に向かうのかな?何十億年後にこの地球はどうなっているんだろう?私達は六十年先に人生を終えているだろうけど、そこが気がかりなんだ。でもこの世の中も捨てたものじゃない。なかには本当に世界を変えたい、人を幸せにしたいと思っている人は沢山いると思うんだ。私は今まで自分の幸福だけを願っていた。でも今こうして成子さんみたいな人に出会えて自分だけでは駄目なんだ、人の力が必要なんだって理解できたわけ。この世界はもうデタラメで自分たちさえ良ければいいという風潮がある。でもその結果どうなったと思う?世界は悲惨な状況に置かれている。でもそんな世界を変えていきたいと言う人も、心から人を、隣人を気にかけたい、そんな人も現れていると思うんだ。これだけインターネットが、SNSが広まっている中、人の心に巣食っているものは必ず明らかになる。私たちはこれから自分の感じていることを声に出していかなければならない」
「社会は閉鎖的になっているような感じがしてならない。これだけネットが普及しているのに人の頭はガチガチに硬くなってきている」
「お腹空いたでしょう?そうめん食べようか」
「ありがとう。なんか悩みがあるときって無性にお腹が空くね。私、そうめん大好き!なんかシンプルでみずみずしくて、心が洗われる感じがする。浄化作用ってあると思わない?」静さんはなにか、清涼なものを吸い込むみたいに言った。
「そうだよね、日本古来の食べ物って素朴なものが多いように感じる。ピュアで慈しみをたたえたって言うのかな、伝統的な日本料理は憧憬を醸し出していて思わず憧れて、ほっと安らぎのため息が出てしまう」私はキッチンでお湯を沸かして乾麺を鍋に入れた。2分が経過してからプラスチックのざるに茹で上がった麺を入れて冷水で冷やす。質素だけどなんとも贅沢だとも思う。室内は穏やかな空気が流れていて、静さんの心から醸し出している優しさみたいなものもじっくりと広がっている。明日はまた、新たな日々が始まるだろう。私はそれが待ちどうしかった。どんな1日が始まるのだろうか?天候が温暖で湿潤で、でも雨が降ってもいい。きっとなだらかな風が吹いて、雲は微かに浮かんでいて、人はそんな光景には目を留めず、今日の夕食に舌鼓を打って、想像を膨らますだろう。今の、この煮えたぎるような、新しい、更新されていく日々は着実に私の脳に心地良い確信を込めた美しいとさえ言えるような、それこそどんな金額さえも程遠い爽やかさと、何百ギガバイトを凌駕(りょうが)するダウンロードを手に入れた。
そうめんを平皿に盛って、麺つゆを希釈して、静さんの座っている前のテーブルに置いた。
「たいしたものじゃないけど、食べて。足りなかったらまた茹でるから」
「ありがとう、いただきます」静さんは何か初恋のような純真な表情を浮かべて箸でそうめんをすくって、鼻のそばに引き寄せて香りを嗅いだ。
「ああ、自然そのものの、純良な、成子さんの直向きな香りがする」
「そう、人の思いが注ぎ込まれているのかな?」
「たぶんね。なんか、人の細胞を構成している波動のようなものが注ぎ込まれているんじゃないかな?強い信念は岩おも動かすみたいな」
「うん、なるほど。強烈な思いって、それだけで破壊力抜群で、たとえ遠い所にいる人にも届くことってあると思うしね。あー、何か久し振りに深い話をしている気分。人と話すのってホント、大切だよね。お互いの持っている魂みたいなものを交換して、精神的な食物を分け合っていくみたいな。それに心が洗われる気持ちがするんだ。これだけ世界には人が沢山いて、それでもなかなか気持ちが理解できる人って僅かだよね。本当は理解し合いたいって思っているのに、全然通じ合わない。なんでだろうね、隣の人のことでさえ、全くの他人みたいな感じだから。それで世界平和だとか、愛だとか、ちゃんちゃらおかしいよね」私は心にわだかまっている気持ちを静さんに打ち明けられてとても気分が穏やかになった。彼女には何でも打ち明けられる、まだ会って数時間なのに、とても信頼できる、共通の思いを抱いている、そんな関係を持てることに純粋な爽やかさを感じた。
「人間って、人生って面白いよね。この地球にはいろんな人たちが住んでいて、複雑なモザイク模様を表している。複雑な、人それぞれ考えや思いを持っていて、生活から満足を得ようと必死になっている。物質的な欲求を満たそうとして、でも満足できなくて、精神的なもの、宗教や感情的なものを得られるように四苦八苦しているんだもんね。沢山哲学書を学んだり、自己啓発セミナーに通ったりして、でも、そこからは真の幸福を得ることできないと知って絶望したりする。神様がいるんだろうかと思ったり、仏様の仏像を前にして拝んだりしても何も変化が起きずに落胆して、快楽を求めて堂々巡りに陥ったりしてしまう。この世の何物も信じられなくなって自分の考えに固執してしまってそれでも上手くいかなくて自暴自棄なってしまうことだってある。何により頼んだらいいのだろう?何にすがったらいいのだろう?そんな脅迫にも似た思いでいっぱいになる。その時現れた事柄が自分にとって最善だと思ってそれに寄りすがって、またどん底を見る。そうして絶望して、ただ快楽を求めた生き方をして、自分の精神寿命を短くしてしまうことだってあるんだ。私はその点、小説を読むことでいろんな主人公になって、たくさんの経験をすることができているんだ。静さんにも読んで欲しいと思うんだ。きっと、心が浄化される経験をすると思う」
「そっか、私今まで本を読んだことがなかった。小説を読むことでいろんな体験をすることができるんだね。なんか楽しみ!」
「そう、心の琴線に触れて、目をつぶると暗闇の中に一条の光が煌めいて、まるで手を差し伸べてくれて、その手を握って天空を飛翔するみたいになる感じ、絶対、救われると断言できる」
「自分が実際に経験できないことを体験することって凄いことだよね。それが書物の醍醐味だと思う。まるでいろんな背景を持つ人たちと親しい仲になることができる。そう思うと心がじっとりと温かくなる」静さんにそのことを理解し、共に共感を得ること、喜びを分かち合えたことに私は爽快感を抱いた。これから先、どんな未来が待っているんだろう?楽しみ、喜びでしかない。
「成子さん、私の心の中には、鬱蒼と湿った森のような複雑な想いがあるんだ。それをどうにかして伐採して平らな地面にしてそこにアスファルトを敷いて美しい建物を築きたい。そのお手伝いをしてくれるかな?」
「つまり、いろんな悩みを抱えていて私にカウンセラーとして助けて欲しいと?」
「恐れ多いですけど。きっと成子さんになら分かってもらえると、話をしながらそう感じたの」静さんは純良な瞳をしっかりと、私を見つめて言った。私のことを信頼してくれている、そうジワジワと感じた。私の全てを見通しているような真顔であるにもかかわらず、そこには表層のその奧に温かな笑顔が隠されていた。なんて美しい人なんだろう。忠実な柴犬みたいな瞳はどこまでも晴れ渡っている。静さんにそんなふうに見つめられると、私の心までもが浮遊して全身を純粋なゼリーのようなものに包まれる思いがした。
「私たちって境遇も育ちも違うけれど、どこか似た感じがする。貧乏で、世渡りが上手じゃなくて、でも自分が綺麗なことを分かっている。それを武器にすれば、多くの男たちからたくさんお金や宝石やブランド品をせしめることなんて容易(たやす)いのに、プライドっていうか、自分のポリシーを守る為に、そして何よりも物質的な物が幸福になるためには不必要であることを理解している。世の中の巨万の富を得ている人たちを同情の気持ちで眺めていて、自分たちはなんて幸福なんだろうと、心の底から湧いてくる感情を楽しんでいる。結局、富で自分を鎧(よろい)のように包みこんでも、何十億もする高価な絵画やストラディバリウスのバイオリンを持っていても、それは自分に箔を付けるどころか、自分の幼稚さを明らかにするだけで、その人が死ねば、誰も悲しんでくれる人はいないだろう。私達は最下層だからこそ本当のミコトノリをタイサイすることができている」
「ふーん、成子さん、何も考えていないようで考えている。達観って言うのよね。私も貧しい生活をしていたからその気持ち、理解できる。貧しいからこそ想像力を飛躍させていろんな経験を積んでぶっ飛んでいる。最高だよね、貧乏バンザイ!」
「ははは、褒められたものじゃないけど、でもたくさんお金を持ってたらそれはそれで良いものよね。静さんはお金たくさんあったら何に使う?」
「贅沢は言わない。毎日ホタテを食べれたらそれで最高かな。そして毎日ソファーに座ってYouTubeを見て笑って泣いて過ごしたい。それくらいかな」
「私はたくさん小説を読んで空想に耽(ふけ)って、たまに日本全国を旅行して、いろんな名産品を食べて楽しんで、ベッドに寝そべってぼーっとしたいかな。私もそう贅沢は言わない。高価なブランドの服も化粧品も豪邸もいらない。そうだ、一緒に旅行に行かない?気分転換にもなるし、何処がいいかな?そうだ、私実は豚骨ラーメンが好きなんだ。九州フェアがやってるとまとめ買いするほど大好きなの。ラーメン屋を巡る旅ってどう?」私はあの白濁のスープを連想して、心が躍った。
「私、今まで豚骨ラーメン食べたこと無いんだ。その案良いね」
「よし、決まった。早速ネットで航空券を頼もう」私はスマホで2人分の、札幌、福岡間の往復チケットを注文した。明日の10時発だ。
「あー、楽しみだねー。濃厚なあの臭いスープがはまるのよ」
「へえー、なんか想像が飛躍してくるねー」
「さあ、今日は早く寝よう。そうだ、冷凍庫にハーゲンダッツあるから食べよう。アイスクリーム食べられる?」
「アイスクリームが苦手な人見たことない」
「ふふふ、そうだよね。でもミルク耐性不服症みたいな人もいるから」
「ありがと、ハーゲンダッツなんて久し振りに食べる。1個、250円位するんでしょ?贅沢だね」
「私、趣味にはお金をかける派なんだ」
「ほほう。では、有り難くいただきます」
私達は夜の9時まで語って、静さんにベッドを貸して、私はソファーに横になった。けっこう今日は分厚い人生経験をしたせいか、ぐっすり眠れた。朝の5時に起きてシャワーを浴びて、身軽な格好で二人して新千歳空港まで電車で向かった。車内は空港を利用する人で混み合っていて、でもみんな晴れやかな楽しみで満ち溢れた思いがつのっていた。私たちはお互いの今までの人生経験について小声で話し合った。空港に着くと、乗客は一斉に降りて、クジラの群れのように移動した。私たちは一息つきたくて、空港内の喫茶店に入った。これから経験するであろう様々な楽しみに期待を抱きながら興奮していた。それをなだめる為に、時間が必要だ。エスプレッソに砂糖をたくさん入れて、軽いキスをするように啜(すす)る。思わず、はあ~、とため息が出るほど濃厚な味わいだ。ガラス窓を通して旅客がひっきりなしに通過していく。小さな子供と目が合って手を振ると、その子もニッコリ笑いながら手を振り返してくれる。
いよいよ、飛行機に乗る時間が来た。順に列に並んで飛行機の搭乗口向かうと、客室乗務員が笑顔を浮かべて迎えてくれる。機内に入って自分の席が見つかって窓側に座る。その隣が静さんだ。
「静さん、楽しみだね。まるでジェットコースターに乗っているみたい」
「そうだね、ワクワクする。空を飛ぶなんて夢がある。客室乗務員ってだからみんな幸せそうなんだ。」
飛行機が滑走路を走り始めた。急激に速度を増して離陸する。高度を上げながら空を飛翔して、速度を増していく。あっという間に大地を離れて空に浮かんでいるんだ、と、不思議な、地上に立っているのとは違う感覚を味わう。高度が上がると機体は安定して、穏やかな音をたてて水平飛行に移行する。
「福岡まで2時間15分位なのかな?」私は言った。
「そうか、飛行機だと、すぐなんだね。文明の利器って凄いね」静さんは窓の外を眺めて、眩(まぶ)しそうに目を細めて言った。
「なんか今思ったんだけど、この間太陽が沈む時に、とても心を打たれるほどの夕日を見たんだ。真っ赤っていうか、濃いピンクっていうか。本当に美しくて思わずじっと見ていた。私、その時、絶対神様っているにちがいない、そう本能で心の深い所で感じ取ったの。くだらないでしょ?」
「ううん、そんなことないよ。私も神様っていると思う。だってこうして生きていることじたい神秘で崇高なことだと思うもん」機内は独特の静けさがあった。私はそれが気にならなかった。この真空に入れられた感じには夜寝るときの穏やかな予感がある。不思議なことに超音速で走っているはずなのに全く移動していないような、それがいったい何を意味しているのか分からなかった。空白のような、今自分が何処にいるのか、もう一度振り返ってみた。そうだ、今私は上空何百メートルか分からないけど、そう、今、空を飛んでいる。窓の外を見ると雲が眼下にあって、モコモコとしていて綿菓子のようだ。自然と吐息を漏らして微かな快感が脳の中枢を刺激する。こんなに幸せな気分はそうそうない。
「静さん。あなたって本当に可愛いわね。普段もいつもそんな笑顔なの?」
「何故だろう?周りの人たちからお裾分けされていたのかもしれない。なんか幼い時から親もとを離れて暮らしている人を見ると可哀想だと思われがちだけどそんなことないんだ。とても楽しかった。仲間がいっぱいいて」静さんは大きな目を感動したように瞬いた。なんて正直な人なんだろう。私は彼女の爽やかさというか、純粋さに心から満足した。
「私、今まで自分が一番偉いと思ったことがあるの。でも、それって多くの人がイメージしがちじゃない?自分ってホント卑小だよね。たいした事を考えていないのに自分を神のような存在に祀り上げる。それがあって多くの人に対して厳しい見方をしていたんだ。でも色々と学ばされることがあって、もっと謙遜にならなければいけないことを悟ったの。私が影響を受けた人は、まるで救世主のような存在なんだ。その人たちは私より圧倒的に優れているのにそれを自慢することはなかった。それって凄いことだと思わない?」
「うん、なんか有名な芸能人なんかより、よっぽど影響力があって私たちの為になる人っているよね。なにもたくさんお金を持っている人とか大統領とか何10兆円の資産を有している人よりも心を揺さぶられることってある。浮浪者に、人生お金じゃないぞ、心からの正直な気持ち、そのことを忘れないで、って言われた方がガツンとくるよね」
「天皇もホームレスも同じ人間の血が流れているんだよね。どちらも崇高な生命力を宿している。世間では天皇の動向が影響力あるけど、それって近視眼的な見方だと思うよ。むしろホームレスの人たちこそ尊く清いものなのかもしれない。誰の助けもかりないで生き抜いているんだから」私は自分の深層でできるだけたくさんのお金が欲しいという心の底からの訴えを聴いた。それは誰しもが望んでいることだけど、私は表面的にはお金を毛嫌いしていた。でも、お金は有って損はない。
「成子さんは私が今までに会った人の中でも特別優しい人だよ。私は思うにこの世界で自分勝手な人が大勢いる中で人に親切な対応をする人って少なくなっていると思うんだ。でもみんな心の中では繋がりたい、仲良くしたい、って思っていると想うんだ。それがなかなか歯車が上手に回らなくて、どうしようもなく苦しんでいる。でも、これからは、私たちが辛ければ辛いほど、本当の意味で真の幸福へと繋がる道を歩いていくことができると思うんだ。いや、絶対にそうなると言ったほうがいいだろう」
「世界が混沌とすればするほど、その中にあって今は小さい卑小な塊がどんどん周りの物質を取り囲んで大きくなっていく。真実が誰の目にも見える形で現れる時が来ようとしている。この荒廃とした世界で唯一の救世主が人々の目に現れて私たちを救ってくれる。そんな日が来るのかもしれない」私は真にこの世界の中でそんな人の心の中をも見通して、温かな愛情にも似た人類を救うであろう人々の優しさに触れたかった。私自身僅かながらも心に傷を負っていたし、それは全世界共通の話題でもある。誰しも何らかの形で苦しみを味わっているだろうし、永続的な幸福を望んでもいる。この世の中で何処かに唯一の真理があると、人はそれを目指して歩んでいる。でもその多くは偽りだし、大金をはたいて幸福になろうと努めた結果、多くは身ぐるみ剥がされてどん底の失望を味わう。偽の哲学や宗教はいかにもそれが真実であろうと煌(きら)びやかに着飾って人々を魅了しようとする。それに騙される人が多く、幸せは現金で買うことができると思っている。まるで携帯電話のセールスで、ポケットティッシュを差し出して、そこから勧誘を行うずる賢いセールスマンのように無知で純粋な人を欺くような組織には用心するべきだ。そして饒舌(じょうぜつ)な人にも警戒を怠らないようにしたい。いかにも物知りでスマートで清潔感がある人ほど、その影に隠れた部分にまるで羊の皮を被った狼のように獰猛(どうもう)さを秘めた人々が大勢いる。私は自分がこれまで経験した僅かな人生の苦闘や傷跡を体に負っていることに今、久し振りに気づいた。それはでも、爽やかな気分にもなれたし、これから先、自分がどんな進路を歩めばいいのか目印となる対象物を見つけるうえで何が最も重要なのか、それを陽炎のように見ることもできていると思う。隣の静さんは目を閉じて幸せそうに眠っていた。私は彼女の純粋な、いや、人は眠っている時、誰もが邪悪な殺人鬼さえ、赤子のような純粋さを身に帯びているのではないか。そのことを考えていると静さんは寝ていたのではなく、ニッコリと微笑みを浮かべて私の左手に手をのせて指先に力を込めた。私も彼女の手をギュッと握りしめて、それは友情を確認するというより、これから先、どんなことがあってもお互いに忠実な信頼を確かめ合う、そんな仕草だったと思われる。おや?上空を飛んでいても、人の意識は影響を受けなくて、それはどんな最新の機器を手にしても、自分の幸福に影響を与えるものではないことに多少驚いた。でも、たった一つ、書物だけが自分の心の空白を埋めるツールで、物語を読むことで幸せをつかむことができると、そう知って、最高の穏やかな気持ちを奮い起こせたことに自分自身感動を覚えた。これから私たちは何処に向かうことになるのだろう?ただ単にいろんな場所に行って私たちが住んでいる札幌以外の風景を堪能するだけでは何も変わらない。美味しいものを食べるのもいいけど、それだけでは真実には近づかない。何処にいようとも基本的に外面からの作用は自分を変革することなど基本的にできないことを私は今までの経験で知っていた。周りの状況に左右されることなく、自分の内面から変わっていかなくてはならないのだ。
「成子さん」静さんは囁(ささや)くような、優しさを帯びた声で言った。
「ん?何?」
「ほんと、いろいろありがとう。私、今までいろんな経験をしたつもりだったけど、その中で一番大切なことって身近にあることに気づいたの。よく言うじゃない、灯台もと暗し、って。その言葉を思い浮かべていたの。成子さんがいてくれるおかげで私の心の中にある琴線が清らかに振れてとても体全体が温かくなった気持ち。そしてこれから始まる出来事一つ一つに価値があって、きっと一生涯忘れられない思い出を構築していくに違いないっていうこと。私は硬いビーフジャーキーみたいに強く噛み締めてその一瞬一瞬を大切にしたいと思うんだ」静さんの心臓の鼓動が聞こえて来そうなほど厚い声音で言った。私はその話口調に、まるでオカリナや古代の笛の楽器のような響きにうっとりとした。彼女の声をずっと聴いていたい。そう思った。その時、機体が上下に揺れた。横揺れもして、ミシミシという不快な、心底気味の悪い音がして、大きな破裂音がした。鼓膜が圧迫されて座席が震えた。
「何、?」「きゃーっ!」「怖いよ~!」様々な恐怖にとらわれた声があたりから聞こえる。まるでジェットコースターに乗っているようだ。私は失神するかと思うほど驚いた。これで終わりだ。私は死を覚悟した。急に飛行機は急速に下降して、体が浮かんで天井に頭をぶつけた。
「つ〜痛い」私は意識を失いかけた。隣の静さんを見ると彼女の姿はなかった。トイレに行ったのだろうか。私は頭を抱えて朦朧(もうろう)とした。その間にも機体は激しく揺れながら落下している。
「きゃーっつ」「神様助けてー」「死にたくないよー」
あたりは騒々しく、私も叫びながら信じたことのない、でも何処かにいるに違いない神様に祈り求めた。
「神様助けてください。死にたくないです。どうか安全に着陸できるようにしてください」そしてよく走馬灯のようにいろんな情景が頭に浮かぶと言うけどまさにそうだった。最初に浮かんだのは、父と母の姿だった。二人共、笑顔で幼い私に手を振っている。私は二人の姿に安心した。今この状況下では精神が危険と判断して、自然と喜ばしい事柄を自分の心に植え付けようとしているのだろうか。でも今このように実際に絶望的な状況下で私はこのまま失神することができれば最高なのに、と思った。情景はさらに膨らんだ。小学校で給食の時間、大好きな牛乳寒天をたらふく食べて、おかわりをして、こんなに幸せなひとときはないだろうと満ち足りた想いが浮かぶ。初めて男性と手を繋いで札幌のススキノを歩いた記憶。マクドナルドでポテトとハンバーガーを食べながら楽しいおしゃべりをしたことがつい最近のことだと回想は刻む。ああ、こんな気持ちで飛行機事故で亡くなった人はこんな孤独で寂しくてわびしい気持ちだったのか。私たちのように今目の前で死期を知って覚悟を決めなければいけないのか。ほとんどの人は自分が死ぬことを理解していない。多くの人はこの先自分が死ぬなんて想像できないだろう。この目前に迫った死を免れることができるなら、私の貯金を全ての捧げてもいい。いや、たとえ、数兆円の資産を持っていたら全てを差し出してもよい。なんてことを考えているんだろう?頭の中でこの事態から救出されることを妄想した。でもすぐに、そんな楽観的な空想はあまりにも平和ボケしたものであることを心に受けとめた。なんてことだろう。この私が死ぬなんて!そんなことがあっていいのだろうか。突然呼吸が激しくなって足と手と体が震えてきた。目を閉じて助かりますように、と、まさか神様に祈るとは、そして助かったら必ず神様に仕えようと決意した。とにかく、今この瞬間、無駄にならないようにできることはないだろうかと思案した。でも、心の底から湧き上がってくる恐怖にどう対処していいのか分からず、ただ両手を握り締めて神様に助けてください、としか言いようがなかった。こんなことが実際に起こるなんて!私は夢を見ているんだろうかと今の状況が信じられなくなった。夢であればいいのに!でもその周りで起こっていることは現実だった。私はリュックサックから水筒を取り出してコーヒーを飲んだ。その時、静さんが歩いて来るのが見えた。
「静さん!」私は彼女が冷静に微笑んでいるのに気づいた。まるで全てを見通しているような眼差しだった。そして座席に座って、シートベルトをした。ニッコリと笑っている。
「静さん、何処に行ってたの?」
「ちょっと成子さんには信じられないことかもしれない」私は静さんの手を握った。彼女の手は温かく湿り気を帯びていた。
「どうしよう、このまま墜落してしまうのかな?」
「大丈夫、私たちは助かる」
「本当に?」
「うん、私には目に見えるの。ほとんどの人は助かる、私の直感にピンと、脳の神経に響き渡るほどの強烈な感覚に凄く轟くような信号が伝わっているの。だから大丈夫」私は彼女のお告げを確信して信じることができた。私たちは助かるんだ!と。その途端、力が抜けて身体中の筋肉が弛緩して、最高に眠くなってきた。私はこのまま眠りに落ちて、もう二度と目覚めることはないのだろうかと思った。それで頰をつねって、それでも深い底に降りていこうとしている自分に心を赦して、どうにか覚醒に向かって天に登るほどの階段を一段一段上がっていった。その結果脳のどこの部分かは分からないのだけど、熱く発熱したみたいになって、まだ自分が生きていることの価値を見出した。
「静さん、せっかく九州に行って豚骨ラーメンを食べようと思ったのに。人間って不思議だよね。いろんな状況があって。自分の運命を全て委ねることができそうだわ。なんか、恐怖も吹っ飛んだ。さっきまで震えていたのに」最終的に私たちが助かろうと助からないとどうでもいい。そんな思いを抱くとは死に際に臨む私たちにまさかそんな気持ちが湧き上がろうとは信じられなかった。でも、しかしだ、私たち2人、いや、この乗客数百人には愛する人がいて、私たち助かるとしてもなんと伝えたらいいのだろう?この世界に何処に死に面している私たちことを同情してくれる人がいるのだろう。でもこうしている時にも病で死に瀕している人が大勢いるのだ。そう考えると穏やかで安らかになれたし、目を閉じてみんなと一緒にこの先誰もが訪れる故郷の永遠に存続する無知な屋敷へと向かうことに望郷の念を禁じ得なかった。隣を見てみると静さんはリップクリームで唇を塗っていた。今、この時に!
「なんか、死に直面するってこと、これってスリルなんだね。自分の内面を見つめることができて、今までこんな経験をすることができなかった。なんか本当の自分を発見できてる感じがする」それはひょっとして死化粧?
「まさかこんな状況になるなんて。でも神風特攻隊みたいに自ら死に向かって行った人たちもいたんだよね。私たちとは理由が違う。操縦士はどんな思いで零戦を操っていたのだろう?逃げも隠れもせず、空を飛んで爽やかな気持ちだったのだろうか?自分の死が、多くの人たちを救済するとでも考えていたのかな?死に直面する時、なんとも言えないような大局観をがよみがえるのだろうか。どう思う?」私はなんの恐怖も感じていない静さんの自信というか勇気というか、彼女に対して様々な崇拝を捧げたいという思いに駆られた。彼女に寄り添っていればどんな悩みも恐怖も乗り越えられる、そんな気持ちがあって、私はなんてひ弱なんだろうと、自分が情けなかった。でもそんな問題も静さんの励ましで冷静さを取り戻した。
飛行機はだんだんと下降し始めて窓から覗くと森林地帯が鬱蒼と広がっていた。客室乗務員の女性たちがなんと笑顔で私たちの様子を見ている。まるで恐怖という敵に打ち勝って勝利を勝ち取った、そんな雰囲気があった。それで私たちは勇気を抱いた。私だけでなく他の乗客も。みんなお互いを見つめ合って、それは大きな連帯感を抱いて、「大丈夫、大丈夫」って自分を鼓舞するように、でもそこには隠れようもない不安があった。なんとか笑顔をつくろうとする人たち。まだ小さな子供の手を握ってボソボソと呟(つぶや)いている人、手帳に何かを書き記している人、頭を上げて目をつぶり深呼吸をする人、両手を組み勝ち誇ったような表情をしている人。私は異常なほどの冷静さが身を包んでいることに、これは一体どうしてだろうと不思議に思った。静さんから私たちは救われると聞いたことが起因しているのだろうか。それにしても今までに無いような、周りを俯瞰(ふかん)したように視野が広がっているような感覚がある。この機体に乗っている人全ての心の声が聞こえてきた。みんな隣の人と身を寄せて絶望的な状況で自我を保っている。私も意識せずに静さんに抱きついていた。その静さんはお厳かなほど、まるで仏像のような微笑みを浮かべている。その様子を見ていると、ここから抜け出すことは自分にとって不完全なもので、偶然にこのような出来事の中で生きることがこそが現実であることを思い知らされたのだった。私の夢や希望がここに集約されている。これからはもっとひたむきに、一生懸命に生きよう。もし静さんの言った、私たちは生き残ることができると、それが真実だとしたら、そして今までに不合理な死を経験した人たち、このような飛行機事故、自動車による事故、犯罪や戦争で亡くなった人、そんな人たちがこれから楽しい生活を送ることができたんだ、そんな貴重な生活を想像することで、もっと自分の人生についてしっかりと見つめ直すことができる。そうだ、今、自分ができること、それは、この時間を無駄にしないことだ。ふと、窓の外を見ると、黒いカラスが一羽飛んでいた。いかにもその悠々とした姿に私はそのカラスになれたらと思った。一瞬そのカラスは私の様子を見たように、そして驚いたことに飛行機の翼に止まった。ああ、なんて今、カラスは自由なんだろう。私たち人間はなんて淋しいのだろう。小さな昆虫よりも虚しく感じた。この危機を乗り越えて私たちはいかに生きているということがこんなに素晴らしいことなのだろうと啓発されるだろう。でもそれも数日だけの効果になって、ごく簡単に忘れてしまうおそれがある。私はそのことを危惧した。そう、人間という生き物はやすやすと経験したことを消去してしまうのだ。そのことで社会は、この世界は矮小(わいしょう)でいかがわしい人々が平気で闊歩(かっぽ)する世の中になってしまっている。真面目に正直に生きる人たちが苦しい生活を送っている。最下層の人の出来事なんて知らない。そんなことは自分が蒔いた種を刈り取ったに過ぎない。結局それは自己責任だ。そういう感覚なのだ。この社会は自分の力では到底解決することができないほど深刻な状況になっている。私はこのまま死ぬわけには絶対いかない。どんな事があっても生きなければいけない。そう自分に言い聞かせていた。なにがなんとも生きてやる。その思いが強まって立ち上がってこの大勢いる乗客に向かって大声で話し始めた。
「みなさん!どうか自信と勇気をもってください。この先どんな形になるとしても、私たちは最後の最後まで諦めてはいけません。大丈夫!」私の声はいつも以上の響きをもってみんなの心を動かしたようだった。真空の中にいるかのように静まって耳の鼓膜が痺(しび)れたようになって、みんなの決意みたいに死を覚悟したような眼差しがみられた。
「みんな、頑張ろう!最後まで諦めないように。絶対神様は私たちのことを最後まで支えてくださる。たとえ死ぬことになっても勇気を持とう。大丈夫だ。最後まで諦めない!」そう言った発言でみんなは鼓舞されて、人間の尊厳は凄い!と思った。私も何かみんなを励ましたい、今生きていることの崇高さを味わっていた。たとえ死ぬことになるとしても、きっと神様は見ていてくださる。今まで神様なんているなんて全然考えたことがなかったのに、この最終局面に出会ったことで、神様はいるんだって思えた。これは大きな発見だ。もしこの災難を乗り越えることができたら私はこれからは神様の為に生きよう、そう思った。
「よし、頑張ろう!」「みんな大丈夫!」「勇気を持とう!大丈夫!」そんな声があちこちから聞こえていた。私はその声にこれほど力づけられることで心の中がいっぱいになって感極まった。なんて人間て素晴らしい生き物なんだろう。どんな試練があっても最後まで諦めない勇気。私はこの苦難に会っていることで、人の尊厳というものを学んだのだ。でも私たちが災難にあっている時にも地上では平和な暮らしをしている人たちがいるんだ。そんな思いも浮かんできた。ああ、羨ましいな。でもその中にも自分のことを傷つけたり、人を恨んだり、憎しみが蔓延している地域に住んでいる人たちもいる。戦争、紛争、民族同士の争い。いったいいつになったら、そんな憎しみの連鎖を断ち切ることができるのだろうか?
飛行機はますます高度を下げていって機内では酸素吸入器で呼吸をしている人でいっぱいだ。体の芯がブルブルと震えている。それは機体が振動していて作用しているのか、それとも恐怖のあまり体が緊張しているのかは分からなかった。そんなことはどうでもいい。ただ今は隣の静さんの右手を握っていることでなんとか正常を保っているのだった。
「静さん、なんかこんな時に言う言葉じゃないかもしれないけど、ありがとう。今まで出会った人の中であなたほどユニークな人はいなかった。助かったら今度は新幹線で九州に行って豚骨ラーメンを食べに行こうね」
「そうだね。きっと今までに食べた中で一番印象に残る食べ物になるだろうね」
そして私たちはこんな状況にもかかわらず、ニッコリと二人して笑い合った。こんなに幸せなことはなかった。今まで生きてきた中でも断トツ一番の爽快な気分だ。周りの人たちもそれぞれ隣の人たちの手を握り締めたり抱擁を交わしている。誰も生きることを諦めてはいない。みんな最後まで生き続けるという決意のようなものが見られる。なんて最高の人たちなんだろう。この経験をすることができたことが凄く誇りに思った。どんなことになろうとも、私たちから勇気を奪うことなんてできないんだ。そう感動した。人というのは試練にあった時に本性を現す。これからどんなことがあっても自信を持って歩むことができるだろう。まるで巨大な飛行機全体が強い確信に満ちた物のように見えた。実際にこの機内に真っ赤に煮えたぎったような色に変色してまるで今にも天に吸い寄せられるような感覚を覚えた。機体はいきなり急上昇して翼が鳥のように羽ばたきだした。これは幻なのだろうか?飛行機の周りには純白な鳩が何十羽も機体に寄り添うように飛んでいる。そして純白から赤、紫、オレンジ、青などの色に変化していって、この機体もそれに連動するかのように色を変えている。私の体内から何かが語るように励ましていた。
「私は至高の存在。あなた達の勇気、しかと認めた。これから素晴らしい情景を見せよう」
ああ、なんだか喉が渇いた。アイスクリームが食べたい。すると鳩が私の側に来て右肩に止まった。その足には小型の筒が付いていて、その中には何かが入っているようだった。私は筒の先端の蓋を取り外してその中に紙片が入っていることに気づき、筒から取り外した。折りたたまれた紙片にはたくさんの文字が書き記されている。
『ヤッホー!元気かい?元気だろうな。なにせ人の本質を見抜ける機会に恵まれたのだからな。大丈夫、君たちは全員助かるから、心配しなくていい。君たちの決意や勇気を見届けた。人間って最高の生き物だよな。それを改めて知ったよ。私はこれまでにも様々な場面を観てきたけど、人間は最終局面に遭遇すると、とてつもない力を発揮するということを知ったんだ。私は感動で涙が滲(にじ)んでしまったよ。これこそ我が友、我がフィアンセ!こんなにも人は素晴らしいものなのか、驚いたよ。逆境の中でも怯むことなく前へ進もうとする気概。恐怖を乗り越えて、死さえも克服しようとするイタイケな姿。その気持ちがあれば人は今全世界で起きている悲惨な状況を凌駕することができると思うんだ。静かに心の声を聞いてごらん。きっと自分の今までの人生で経験したことが現れてくるだろう。それはとても胸を締めつけられるような体験かもしれない。それでも自分がこれまでに経験したことに筋トレをした後痛みが残って修復を行う作業だと関連づけられる。それによって自分の経験値が上がってこれまでに到達出来なかったことを行えるようになるのだ。さあ、喜びなさい。今は困難な時代だ。人は隣人に対する愛が氷のように冷えて、お互いに疑い深くなっている。でも、これからは真の愛が芽生えようとしている世界が浮かび上がろうとしている。愛の種が滋養分の富む土に蒔かれて少しずつ成長しようとしているのだ。そしてその土に水を注ぐのは君たちだ。それも君たちの流す涙がとても重要な役割を果たすのだ。嬉し涙が種から芽を出させて花を咲かせて果実を作り出す。その果実は瑞々しくて、とても甘くフレッシュで独特な風味をもたらす。それは全ての人に受け入れられて忘れられない記憶を植え付けるだろう。だから今のうちにそのことを楽しみにしているとよい。なんか偉そうにのたうち回っているけど、こう見えても私は繊細な性格なんだ。面白いだろ?君たち搭乗している人たちの心の状態は理解できる。本当に悲惨だよな。でも、それでも最後まで諦めないで、確固とした精神状態を保っているんだから見上げたものだ。上から言って失礼だけどね。でもその困難を乗り越えようとする力は人間の本来持っている自分の限界を突破するという凄く感慨深い印象を私たちに植え付けるのだ。ではまた、この災から救出されたら君たちの勇気を祝してお互いに再会しよう。じゃあね』
私はその肩に乗っている鳩の頭を撫でるとニッコリと笑って飛び立って行った。私は何故かその手紙を読むことで全て解放された気持ちで遠くに羽ばたいている鳩に、その鳩は羽ばたいている羽から鱗粉のような輝く粒子状のような物を噴霧させていて、それがなんとも美しい光景であった。飛行機は揺れがおさまって安定したかに見えた。周りの人たちも落ち着いた雰囲気で大きく深呼吸をしている人が多く見られた。その地上は海だった。私はなんとも言えぬ安心感が身を覆った。その直後機体が水面にぶつかり、衝撃が走った。全てを引き裂くような巨大な音がして周りが暗くなった。そこで記憶がとんだ。
体中が冷たく感じて目が覚めた。ああ、まだ生きている。あたりには名前を呼ぶ声であふれていた。機内は海水で満たされて乗客は客室乗務員の指示で出口に殺到した。私と静さんも出口を目指して泳いだ。目が覚めるような冷たさ、でも今を懸命に生きようとするにはちょうど良い。神経が高ぶって自分が何をしなければいけないのかを把握することができるからだ。ドアを抜けると静かなせせらぎのような穏やかな一面の大海原だった。まるで私たちを優しく包むかのような感覚だ。偶然に漁船が遠くに航行している。みんな大声で救いを求めている。でもさすがに距離があったので聞こえることはないだろう。私は救助が来るまでの間、静さんや他の乗客と寄り添ってお互いに協力して励まし合った。そのことで幾分気持ちが和らいだ。みんな墜落から助かったことで海水に浸かっても生きる意欲がわいてきたようだった。
どのくらい時間が経過したのだろう。巨大な船舶が近づいてきた。私たちは大きな歓声をあげて、まるで宝くじが当たったら、きっとこんな感じなんだろうと思った。私はこれから与えられた命を絶対に無駄にしないようにしよう。そう誓った。船が飛行機の側に接近した。私たちはやっと救われるとホッとして、その安心感からか涙が溢れてきた。救助が始まると乗客のみんなは船から降ろされた縄梯子(なわばしご)を登っていった。私たちの番になると、梯子を伝って静さんの後から船内に入った。救助してくれた船員たちは、私たちを励ますように声をかけてくれる。
「もう、大丈夫だよ。本当に頑張ったね。喉が渇いたでしょう。お腹も空いたでしょう。温かい食事を用意したから。」
「ありがとう。あー、ほんとに死ぬかと思った……」
「ははは、ご苦労さまです。あなたたちは運が良い。これからきっと事件を聞きつけたマスコミがたくさん来ると思いますよ。お気の毒に」船員はニッコリと笑顔で答えた。
私たちは食堂に案内された。温かな味噌汁を飲めて蘇生された感じがするほど感動を覚えた。この味噌汁の味は一生忘れないだろう。それから白米とキムチと納豆、それから野菜炒めにフルーツといった贅沢な食事をした。みんな地獄から天国に向かったような清々しい、天使のような表情を浮かべている。そうだろう、実際に奈落の底から救出されたのだから。美味しくて記念に残る食事をした後、身体検査が待っていた。でもその間、自分が生還したことに驚いたし、たくさんの仲間ができたことにもなんとも言えぬ、爽快感が湧き上がっていた。周りの人たちは見知らぬ人同士でも話し合っていたし、お互いにスマホは海水に浸かってしまったから、船員にペンと紙をもらって、住所やアドレスを交換しあっていた。みんなもいまだ生き残れたことに興奮していたし、この喜びを分かち合えることにとても感激している様子だった。この今起きている記憶は永遠に忘れることはないだろうし、日常に戻っても走馬灯のようにフラッシュバックのように思い出されるだろう。でもそれは不愉快なことではない。貴重な経験ができたし、でももう一度同じことが繰り返らされることは絶対に嫌だけど、この体験自体はとても自分の為になったと思う。もう一度飛行機に乗れるだろうか、それはまだ分からない。きっと安全を考えて、車か船か新幹線にシフトチェンジするだろうか?でも今はこの記憶を、自分の今まで生きてきた生活を回想したい。そういう気持ちだった。それがどんな役になるのかは分からなかったけど、とにかく自分を見つめ直したい、そういう気分だった。
船が港に着いた。たくさんの報道関係者が集まっている。なんか自分が経験したことを是非とも伝えたい。この体験談をみんなと分かち合いたい、そう思った。船を降りる時、救助隊員達が笑顔で手を振っている。私は彼らの母のような温もりのある優しさを思って心が高ぶった。私は我慢できずに隊員たちの所に走り寄って抱きついた。涙が溢れた。
「ありがとう。あなたたちのおかげでこれからも人との繋がりが大切だって分かった。どうもありがとう」私は隊員たちとハグし合いながら、もうひょっとしたら彼らとは二度と会うことはないだろうと思い、この記憶を奥深く、じっとこの景色を焼きつけておこうと思った。そうだ、静さんは?私は彼女を置いてけぼりにしてしまったことに気づき、船の乗降口に向かった。すると静さんはマスコミのカメラに囲まれて話しているではないか。その堂々たる確固とした態度はまるで年季を経た女優のようだった。私はコソコソとカメラの前を通り抜けようとした。でも一人の記者に呼び止められた。
「すいません、KSテレビです!インタビューいいですか?」
「すいません、今の私は興奮が高じていて、正確な話は出来ないと思うので……」私はリポーターの若い女性に言った。
「お気持ち、同情します。少しだけいいでしょうか?あなたの体験したことを、今、正直に話してくださらないでしょうか。きっと、視聴者もそれを望んでいると思います」
「分かりました。でも、ほんとに自分の都合の良い話になってしまうと思いますけど」私は自分の周りを取り巻くように6人くらいのリポーターに囲まれた。でも緊張はなくて、むしろ、これから自分の経験を多数の国民に語れることに厳かな興奮を覚えた。
「今のお気持ちは?」
「本当に奇跡だと思います。まさか自分がこんな事故に遭うなんて想像もできません」
「一人での旅だったのですか?ご家族は?」
「友達と福岡に行く予定でした。本場の豚骨ラーメンをハシゴする為に」
「事故が起こった時、どういう心境でしたか?」
「はじめ、何が起こったか分かりませんでした。でも機体が激しく揺れたので、とんでもないことが去来したと思いました。神様を信じていたわけじゃないけど、神様に祈りました」
「周りの人たちはどんな様子でしたか?」
「恐怖で震えていたようでした。私もですけど……」
「死を覚悟しましたか?」リポーターの女性は深刻な表情で言った。
「死ぬかもしれない、でも本能でしょうか、あまり衝撃的ではありませんでした。ただ、自分の今までの人生を省みて、心を打たれた気分に、なんて言うのかな?自分を見つめ直しました。それはとっても気持ちの良いことでした」私はカメラの前で天を、上空を見た。そこに誰かがいるように。きっとこの世の中では繰り返し生命の尊さを述べている人たちがたくさんいるだろうけど、私もその仲間入りをできたんじゃないかと思った。
「この事故から生還したことをご家族に報告しましたか?」
「いえ、まだ誰にも言ってません。この映像を見てびっくりしているかもしれません」
「今一番したいことはありますか?」
「人生で一番大変だったけど、自分を見つめ直したいと思います。じっくりと物思いにふけりたい気分です。この世の中には自分では到底行き着くことのできないことってあるんじゃないかと。そして私たちは何か目に見えないものに導かれているんじゃないかと。上手く言えないけど」私は自分の心を吐露するこのテレビに向かうことが、とても快感というか、満たされた気分だった。
「つまり、宗教的、哲学的な思索にふけりたいと?」
「正直、私は宗教にも哲学にも興味がありませんでした。でも、今回の体験を通して何か連鎖的なものがあるんじゃないかと感じているんです。でも慎重でありたい、言うなれば、もっとこの世の中にあることをもっと深く掘り下げて歩みたいと思うんです。でも既存の宗教や自己啓発などには用心したい。私には私なりの独自の、いわば感性を包含したオリジナルなものを構築する必要があると思います」
「それは社会全体に広がっていくのでしょうか?」
「一言だけ言えるなら、それは私個人の問題でまずは自分の心の内を覗く必要があります。他者のことは圏外だと思うのです。そしてそれが初めて自分に納得のいく形で解決するのなら、それは人類全般に理解される形で披瀝されるということも、ひょっとしたら、あり得るかもしれません。もちろんそれは断定はできないけれど」私はそれをひとまず、自分個人の問題として解決することが重要だと思った。
「お忙しいところありがとうございました」私は世間から解放された思いだった。取り巻くリポーターたちから離れて、私を待っていた静さんの所に向かった。
「あ~、疲れたね」私は静さんの表情が爽やかなことに気づいた。
「すいません」振り向くと一人のリポーターが私に近づいてきた。
「これから先のことを、継続的に撮影させていただけないでしょうか?」
「えっ……?」私はそんなことを考えてもいなかった。
「ご迷惑かもしれません。でもマスコミとして、世界に影響を与える価値があると思うんです。これから色々と大変でしょうけど、私たちはあなたの人生を良いものとして築き上げることができます。もちろん必要なものは援助したいと思います」それは真剣な態度に表れていた。その決意の程を見せられた私は、是非、撮影して欲しいと決意させるものだった。
「分かりました。私の全てを披露したいと思います。一度命を失ったのだから。これも何かの良い機会だと思います」私は新たな人生を歩むにはこれくらい大胆な決意が必要なのではないか、これは天命なのではないかと、改めて人生をやり直す、いや、新たに生まれ変わったという感覚を覚えた。
「ありがとうございます。私たちも誠心誠意対応していきたいと思います。今から、いえ、もうすでにカメラが回っているんですけど……大丈夫ですよね?」
「はい、かまいません。これから電車で北海道に向かうんですけど……」
「ええ、全然かまいません。一緒に同行します」
私たちは駅まで撮影クルーの車で乗せてもらった。電車で北海道にはどのくらい時間がかかるのだろう?でも全ては天に任せることにした。私たちはカメラが回っていることにも気にかけずに純粋な気持ちでたそがれていた。車外の田園風景は私を癒してくれた。まさかこんなに美しい景色だったとは。心が浄化されて血管内にもこの快感が全身に回っていく気分だった。
「静さん、綺麗だね。こんなに素朴な景色で感動するなんて、なんか自分が新しく生まれ変わった気がする。一瞬一瞬が大事なんだって、脳が入れ替わったみたい」
「うん、成子さんの気持ち分かる。私も生還してから自分が新しく更新されたみたいに思う。世界が変わったみたいに感じて、風にそよぐ草がまるで生きているように、そのせせらぎが美しく踊っているように感じる。これは今までに経験したことがなかった。静かにずっとこの光景を見ていたいね。どんな数千億円の絵画より生きているって思うよね。生命って凄い!」
「私たち人類ってお互いに知り合いたいという気持ち、お互いに憎しみ合う気持ちってあると思うけど、何故、仲良くするほうがいいのに殺し合うぐらいにいがみ合うんだろう?不思議だよね」
「成子さんの心の中にもきっと人を憎しことや嫌悪や邪悪さって刻印されているかもしれない。私の心にも……。きっと愛する人が殺されたりしたら、相手を憎んで殺したいと思うんじゃないかな。それが連鎖的に巡り合っていく。だからループするのだと思う。私の心にもそんなどうしようもない気持ちがきっと潜んでいるのだと思うんだ」静さんは車外に景色を眩(まぶ)しそうに見ながら言った。
「中東やウクライナだけじゃない、日本国内にだって互いに憎しみ合うっていうことは誰の心にもあるからね。結局、自分の心の中にある、そう言った有害な心の状態を克服することから始まるのかもしれない。それが身近な人の心に触れて少しずつ正しい影響を与えていって、かけがえのないもの、純化された純粋で蜂蜜のような甘さを伴ったピュアな気持ちを醸造するんじゃないかな」
「結局、外面的な因子は関係なくて、自分がどうするかなんだよね。自分の内で変化を遂げなければいけなくて、自分が変われば他の人を変化させることができるのかもしれない」
「あまり自分を見つめることってできないよね。甘やかしてしまうし、楽な方に向かうことが多い。真剣な態度で辛く苦しい問題に対処していくには勇気がいる」私はどう考えても自分大好き人間だし、相手のことを考えずに生きてきた人間だ。でも、静さんと出会って、そしてこの事件を通していろんな人に支えられて生きているんだと改めて思った。でも誰だってそういう気持ちで生きているはずだし、でも、人を思うことってとても大切なんだってことを学んだ。自分の限られた気持ちを相手に届けることってとても大事なことだって学んだ。必要なことは自分には限界があること、自分以上に人を愛することができること、それが今、何よりも求められているのかもしれない。
「あ〜、豚骨ラーメン食べたかった!」
「静さん、これから九州博多に行こう!」私は天啓を受けたように言った。
「うん、それがきっと私が一番したいこと。きっと今までに食べた食事の中で記念的なものになるに違いない。どんな高価なフレンチやキャビアやお寿司なんかより……」静さんは瞳を輝かせて言った。
「すいません、これから博多に行きたいんですけど……」
「分かりました。行きましょう」
「お名前をお聞きしていなかった。カメラマンさんも……」
「私は石田美津子、カメラマンは小早川明定です」
「どうも、これからよろしくお願いします」
「石田さんはどこ出身なんですか?」
「私は岐阜県の高山市です。大学で東京に来て、マスコミに就職しました」
「どんなところですか?」
「とても、もちろん誰だってそうでしょうけど、とても風情な東京なんかにも負けない美しい土地です。8月と正月に有給をとって帰るのが楽しみです。心から落ち着く、しみじみとした、どんな地域よりも和む所って言っていいかな」石田さんは遠くにある故郷を見つめているようだった。
「小早川さんは?」
「僕は京都です」純朴そうな、いかにもカメラマンといった感じで答えた。
「そっか、京都か……伝統のある地域って素敵だよね。私たち北海道だから文化的に憧れるな。京都にはまだ一度も行ったことないんだ。いつかは行ってみたいな」
「どうです、九州の帰りに寄りませんか?僕の実家でよかったら歓迎しますよ」小早川さんは嬉しそうに言った。
「本当?」
「ええ、いろんな所に行きましょう。街全体が文化的な雰囲気ですけど観光客がたくさんいて華やかな感じなんですけどね」
「楽しみ、京都御所、天皇が昔住んでいた所とか、金閣寺、見てみたいな」
「石田さんの所も寄れない?」
「えっ?」
「京都の帰りに」
「全然かまわないですけど。とくに見るところってないんですけどね」
「でも歴史的に古い町並みとか残っているんでしょ」小早川さんは信頼の寄せるような気配を漂わせている。とても仲の良いコンビなのだろう。
「もっと、石田さんと、小早川さんのことを知りたいな」
「ええ、これから永い旅になりそうな気がします。色々と聞かせてください。佐々さんと藤堂さんのことを世界に向かって広めていきたいです。なんか視聴率とかどうでもよくて、2人の心の抽出物を、濃厚な出汁をごく少数の人に、心を浄化させることができたら、きっと世界は少しずつ良い方向へ変化させることができると信じているんです」石田さんの内面から出る湯気のように熱い気持ちが伝わってくる。
「何も演技することはないんですよね。素のままで自分の気持ちを現せればそれでいいんですよね」私は言った。
「そうです。何も混ぜ物のない状態で今感じている気持ちを吐き出せばそれでいいんです」石田さんの人を疑うことのない純粋な吐息が全てを語っていた。きっと人は表面的には真面目さを醸し出すことができても最終的には心の底の思いというものが表れてくる。絶対に人を騙すことなんてできないのだ。そのことを心に銘記しておきたい。とっておきの気持ちをどんなプレゼントよりも良いものをいただいた。そんな気持ちだ。
撮影機材はスマホだった。だから意識せずに済んだし、撮影されているといった気持ちはもたなかった。高速道路を走っていると旅をしているという感覚は無くて、何処か異次元の空間を、まるで宇宙の暗闇の中を光速で走っているといった感じだった。私たちはこの地球という丸い惑星の、太陽を回りながら、自分たちのことだけを考えながら生きているんだ。銀河系の中で、私たちのような生命を持っている星はあるのだろうか?2兆個もある銀河、その一つの銀河の中には1000億ものを恒星があって、私たちはそのかけがえのない生命を宿している。この唯一ともいえるこの貴重な、私の命はどんなものよりも大切なものだ。巨大な太陽よりも重要だ。でも、その太陽に生かされていると言えなくはない。人って不思議だ。どんな生命体よりも高度に組成されていて、いろんな考えを持っていて、感じたり、喜んだり、悲しんだりして、それこそ喜怒哀楽という表情に富んでいる。そして現代では過去の歴史では到底出来なかった、人類全般に情報を届けるといったことが可能になって、それらが人の心に影響を及ぼすこと、心の琴線に触れることを達成していけるのだ。それはとても、過去において、織田信長や豊臣秀吉なんかでも成し遂げることができなかったもの、言ってみれば、天下を統一する以上のものを私たちはその手段を手に入れることができたのだ。なんて私たちは尊いのだろう。生きるってことはそれだけで心を揺り動かすことが可能なのだ。でも多くの人は目先のことしか考えていない。目の前に提示されている物質に奪われて大局的ないわば真実からだんだんと遠ざかっている。マスメディアの影響が今まで濃かったけど、今はインターネットの普及のおかげで、インフルエンサーなどの、人の知名度が上がってきている。
「人ってほんと不可思議だよね。生きていること自体が凄いことで、それを当たり前に感じてはいけないんだよね。なんか当たり前のこと言っているけど。でもつくづく生命が今も生まれ死んでいくことが謎なんだって思える。私たちの生きている世界はある所では互いに憎しみ合っていて、日本の隣では独裁政権が広がっているけど、日本人に生まれて自由だということはそれだけメリットがある。でも、SNSでいろんな人と繋がることができるけど、結局自分にとって都合の良い相手を見つけることを求めている人が多くて、真に相手の心の渇きを癒すことができる人ってどのくらいいるのだろう?どう思う?」私の言葉は世界に達するだろうか?くれぐれも用心しなければいけないことなのかもしれない。この私の発言で多くの人が影響を受ける。それに賛同するか、非難めいた反逆を抱くか、それとも全く関心を示さないか、この3つだ。でもその中にはきっと心を動かされる人もごく僅かかもしれないけど、桜の花びらが微かな音をたてながら降下するように私の気持ちを摘んでくれるに違いないと感じるんだ。
「人との関係って電磁力のようなものだと思うんだ。お互いに似た者同士が惹きつけ合う。簡単に言ってしまえば悪人は悪人を、善人は善人を呼び込む。なんか一瞬で分かることってあるよね。だいたい人の表情を見ればこの人こんな性格なんだって。自分の内面の考えって、素振りや仕草や態度に表れるから。いかに自分を装うとしても隠し果せるものじゃない」人は今までに経験した事柄によって自分の性格を形作っていく。でも結局、自分の都合の良い状況を取り入れる可能性は否定できない。自らの意志にそぐわないことを吸収することも必要だ。それができれば精神的な成長につながるし、様々な試練に遭う時にも適切な判断をすることが可能だ。苦しいことってあるし、自分の不甲斐なさに落胆することがあるけど、あまり卑下しないで自分ことを信じる勇気って大切だよね。何度も同じ間違いをしてしまうことってあるけど、その失敗を凌駕(りょうが)するくらいぶっ飛んだみたいに、はっちゃけることもある意味必要なのかもしれない。
「石田さん、小早川さん、豚骨ラーメン食べたことあります?」
「ええ、東京の豚骨だけど、最高に美味しいですよね」石田さんは言った。
「僕も大好きです。あの臭みがたまらないですね」
「でも、東京の豚骨ラーメンは値段が高くてね。本場はもっと安いんですよね」私は言った。
「福岡の原交差点の道路には3つのラーメン屋があるんです。そこに行きたくて楽しみなんです。今でも有るのかな?」
「私たち北海道人にとって豚骨ラーメンってあまり馴染みがないけど実際に現地に行って食べてみればハマるんだろうなあ。麺が追加注文できるって良いよね。味噌ラーメンでもそういうシステムあればいいのにね。なんでしないんだろう?」
「なんでだろうね。もし追加システムがあったら、おかわりすると思うな」
車は高速道路を走ってその風景は都会の喧騒からだんだんと田園の優しい温かな情景へと変化していく。とても気持ちがほっこりとして、まるで抱き締めてくれているようだ。太陽が煌々と輝いている。その陽射があるからこそ私たちはこうして生きていられるのだ。太陽光線を利用して植物は光合成を行って酸素を産出して、そのおかげで私たち生命は活動できるようになっているのだ。なんていうことだ。私たち生きているということは奇跡だとしか言いようがない。そして私たちは1人でないことが分かった。いろんな人との出会いによって生かされている。こんな世界にたくさんの人がいて、お互いに関連し合っていることを不思議に思う。なかには根っから邪悪な人もいる。自分の都合の良いように、しかもまるで自分が善人であるかのように装うことだってある。だから用心しなければいけないし、自分も誘惑にあって、そんな人たちの片棒をかつぐことを避けたい。それでも自分の内に邪悪な心が芽生えて、自らを正当化してしまうといったことだってある。
「あ~、なんか地獄を巡ってきて、この世の生きる喜びを持続させなければいけないのに、日常が当たり前のように感じてしまう」私は正直、自分の不完全さを嘆いて言った。
「人間ってそんなもんだよ。正しいことが正義であるのは分かっているけど、世には悪がはびこっている。みんな仲良くすればいいのに、お互いに憎しみ合っているんだから」なんか同じこと言っているような気がする。でも大切なことって何回繰り返されても許されるんじゃないかとも思う。継続すること、復習することって大事だから。世界はこれから何処へ向かうのだろう?混乱と閉鎖と分裂といった対処し難いものへと向かっていくのだろうか。それとも善良なるブラックホールのような正しく、協調的でお互いの良いところを分かち合うといった、素晴らしいものとなるのだろうか。それが分かればいいのだけど。でもこの世の中は理屈が通らないことが山々ある。完全性が求められる。少しでもボロを出すと、全てが否定されるということだってあるから難しいよね。私たちは、そう完璧ではない。
「あ~!何が正しくて、何が間違っているのか、本当に分からん!誰か助けて欲しいよ!」私は悲愴とも言える言葉を思わず発した。車の中の3人は大笑いだ。
「成子さん、可笑しすぎ!それって貴重な言葉だけど、きっとそんなことは忘れて毎日楽しく過ごせれば良いんじゃないかと思うよ」石田さんは言った。でも、報道関係者とは言えないような発言にびっくりした。もっと深刻に受け留めるべきではないだろうか。
「人って結局、今まで色々と試行錯誤して、いろんな政治形態とかを試したけど、完全な、一人一人を思いやる政治なんて出来ないんじゃないのかな。これからもこういうことが続いて、人間というのは善悪が入り組んだ世界で生きていくことが義務付けられた、そんな生き方しかできないんじゃないかとも思うよ」静さんは少し小声で、誰かに聞かれたらまずい、みたいに言った。
「でも世界は小説みたいに起承転結がはっきりと現れたものだとも思うの。始まりがあれば終わりは必ずあって、映画やドラマでのような最終話がある。この世も絶対に終局が巡って来ると確信している」石田さんはさすがにマスメディアに位置しているだけあって、そんな表現方法があるんだと思わせる。さっき私の話を笑っていた、その気持ちとは違う真摯な情感溢れる言葉だ。
「僕もそう思います。それがいつの日かは分からない。でも台風の眼があるように、私たち人類にも中心点があって、それに引き寄せられる形で引き合っていくんじゃないのかな」小早川さんはハンドルを握りながら言った。
「そうだよね。そうでなきゃ、この地球に生活している人たちは右往左往して目的もなく彷徨(さまよ)っているみたいだもの。山に頂があるように、私たち人類にも目指すべき頂点があって欲しいと思う」私は車窓に小さな山脈があって、それが青々と緑豊かなのを見ながら言った。この世の中には色んな思想がある。簡単に考えがあると言ってもよいだろう。色んな宗教や哲学、自己啓発など、そして数多くの国家がある。それらが入り乱れて、お互いに協調することが出来なくて、それがあたかも人々の一致を阻害しているようにも思うのだ。その目的はなんだろう?人々の一致を、互助を何故恐れるのだろう?権力を持つ人々は私たち民衆が互いに協力することで、強大な力を持つことを、私たちが無知であることを固唾(かたず)をのんでひっそりと息をひそめている。私たちはなにがあろうとも、互いを認め合い、協力し合い、博愛の精神を持ち続け、私たちは一人ではないと、あらゆる手法を用いて示していかなければいけないのだ。その声をあげるのは私自身だ。無名の人が声を発しても、それは大海原の中の一滴の泡のようなものだ。誰にも見向きもされないだろう。その努力は虚しいものだ。では、であるからには、どうすれば、その一滴の泡を大波のようなものにすることができるのだろうか?微小のウイルスが人々に感染して広がっていく。それは人の体内に作用する。私の呟きも人の心の内に、揺り動かすことができるようにするならば、それは感染と等しい影響を与えることができると思うのだ。でも、不特定多数の人が見るテレビほど影響を与えるものはないだろう。今現在、マスメディアの力がインターネットに押されて弱まっているとはいえ、その力はまだ侮られない。でも私の日常を撮影したからと言って何になるのだろうと思う。たとえ私が自分の今までの経験を描いた手記を発表したとして、それがたとえベストセラーになったとしても、人々に、あるいは自分にとってそれが大局的に何を意味するのか分からない。大切なのは人々の心の琴線に触れるということだと思う。心を揺り動かして、美しい景色を見るがごとく、清涼な清い心を滲み出すような感覚にさせること。私にそれは可能なのだろうか?分からない。でもやってみる価値はある。私の心に巣食っている、いわば個人情報を披瀝(ひれき)して、それが意識せずにしてコンサートに臨む歌手のように、静かに自分の心の底を汲み上げて提供すればいいのだ。自信ということはあまり無くて、初歩を忘れずに階段を一歩一歩歩んでいくように、冷静さを秘めて滲み出る滴の如くありたい。先ずは自分の成長にとって苦手な分野を克服することから始めたい。あまり頭が良い方ではないので、じっくりと考えることから優先していく。一つ一つの行動に対して、何を行う必要があるのか?何故このことを行うのか?どうやってするのか、そのことを良く考えていきたいと思う。そうするならば、自分の推し進めるべき方向性というものが現れてくるだろう。そして僅かながら指針というものも目に見えてきて、これから先の大衆を、市民に対して心を震わせるような行動を起こせることもあるだろう。人の気持ちも斟酌しなければいけないけど、一先ず自分の心を精錬していって揺るがない心を身に着ける必要がある。でも面の皮を厚くするわけにはいかない。自分にとって弱さというのは武器のようだ。強くなればその結果として筋肉が必要以上に付きすぎると動きが取れなくなってしまう。できれば細マッチョが良い。でも、あまり相手を魅了させ過ぎると、自分の懐は増えるけど、相手の自由意志を奪いかねない。自分自身で考えるということをやめて全てを依存してしまう恐れがある。それは新興宗教や自己啓発セミナーでたくさんのお金を巻き上げることにほかない。それだけは避けたい。是非とも自分の思考で判断するといった、本当の意味で自己を築き上げてほしい。私は自由を得た今、できるだけたくさんの人の人生経験談を聞きたい。私個人のこともそうだけど、今巷にいる人がどういう生活を送ってきたのか、どんなことを想像し考えているのか、そのことを知りたいと思う。そのことによって、私の心の底に積もり積もって堆積した層となって自分の生き方に反映されて、それは私自身を有意義にいっそう幸せにするものとなるのではないか。友達とは違った感覚、もっと高いところから俯瞰(ふかん)するように眺めるのだ。しかしだ、私の中でボルテージが上がっていく一方で、心が萎えていくという逆方向の働きが生み出されていた。その無気力と言っていい気持ちがどうしても纏(まと)わりついているのだ。それは一体何故だろう?それは私の不完全さに起因するのだろうか?でもあまり気にすることなくできるだけ前を向いて歩めるように自分自身を叱咤(しった)していこう。心が塞ぐ時にこそ、自分の中に眠っている活動的な霊に包まれるようにしたい。それはきっと私の心を動かして、最終的にどんな困難にも動じない自信と勇気を湧き上がらせるだろう。だから不安に思う気持ちもあるけど、躊躇(ちゅうちょ)しないように、そういう感情が身体全体に及ぼしそうな時にこそ、自分には限界なんて何もないんだと自らを励ますことが大切なのだ。これから先、テレビに出ることで色々な問題が起こることだろう。私たちはそのことで戦っていかなくてはならない。その準備はできているだろうか?いや、まだその点については問題が山積している。自分の思っていることを正しく、素直に表現してそれを言葉に出すことが可能だろうか?もっと自分の内面性をいわば蒸留するように考えを厚くする必要がある。それでだんだんと精錬されていって自分が何を求めているかを知ることができる。自分の本性っていうものを理解して、これから何処に進めばいいのか、何処をゴールとすればいいのかが分かるようになる。安全策をとるか、それとも攻撃的に邁進するか、サッカーの試合みたいに戦略を練ることは大切だ。でも、ひとまずこの旅行的な旅を満足するまで楽しもう。それからのことだ。
車は本州から九州へと渡った。短く永い旅をしてきた気がする。たった一つのことをする為にここまで来たのだ。そう、ラーメンを食べる為だけに。私は、いや私たちは、はあ~っとため息を同時にした。そう、4人一緒に。このことからも私たちは最高の、最強のタッグを組んだことが分かる。そう、宇宙最強と言っていいかもしれない。
「やっと、お目当てのラーメンを食べることができる。もうすぐだね」石田さんは純粋で透明感の感じる声音で言った。
「いあ〜、はるばる来たんだな。これまでの全てを凝縮したラーメンか、感慨深いものがある」小早川さんは言った。
「これから色々な変化があると思う。でも、良いことであっても悪いことであっても、どちらでも私たちにとって重要な役割を果たすということ。経験値が上がるってことね。それにきっと理解してくれる人もいると思うし、私たちの状況を見て、同じような歩み方をする人も現れてくれることを願う。でもテレビに出ることで、まるで崇拝者に等しい扱いを受ける恐れがある」私は一抹の不安を述べた。それでも心の底では人から崇拝されたいという気持ちがあるのではないかと思った。人から注目されたい。目立ちたい、褒められたいという感情はないだろうか?正直に言えばそういう気持ちはある。でもそのことが自分のこれからの自由を奪いかねないということも悟った。何処へ行くにも注目され、1人きりになれないということがどんなに大変なことなのか、そのことは想像された。でも走り出したからには、もうどうしようもない。でも私達には強みがある。超有名な芸能人はスポンサーなどが付いていて、政治的なスタンスをとることができないし、そのことで自由を奪われている。また、恋愛もおおっぴらにすることは禁じられていて、もしそれが清純派を売りにだしているなら、それは致命傷になりかねない。その点私たちは自由度が高い。たとえ私に愛する人ができても、それを否定的に捉える人は数少ないだろう。むしろドキュメンタリーではその描写が喜ばれるのではないか。でも今のところ気に入っている人はいない。もちろん好きな俳優はいるけど、恋をしているというより、ただ一方的に憧れているに過ぎない。それに恋愛って億劫(おっくう)だし、好きな人と一緒にいるよりも、本を読んだり、ネットサーフィンをしているほうが楽しかったりする。
「なんか、今でも不思議な気がする。こうして事故から生還して、かけがえのない経験をして乗り越えたのに、その奇跡的とも言える事柄をもう忘れてしまっている自分がいる。なんかダメだよね」私は言った。
「それは仕方が無いことだよ。人間ってそういうところがあると思うんだ。すぐに慣れちゃうっていうか、大切なことを忘れちゃう傾向ってあるよね」静さんは言った。
「もう少しで福岡に入るよ。すっかり晴れ上がって最高の気分」石田さんは透き通る声で私たちの気持ちを鼓舞する。
「待ち遠しいね。こんな貴重な経験をすることができるなんて、石田さん、小早川さん、ありがとう」運転している小早川さんはミラーで私たちをチラッと見て、目を細めて笑った。男の人の笑顔って、少年みたいに清々しい。ああ、なんか人って崇高だ。奇跡だ。凄く卓越している。僅かな素振りが自分の奥深くに入るってことがある。何年も記憶に残って静かにさざ波のように引いては寄せて、自分の心をノックする。そんな影響力を人に与えられたらどんなに爽快だろう。世界は言語の相違によって分断されている。それさえ払拭されればお互いを理解できるのに。
「けっこう今の時代、自分のことばかり一方的に述べて相手のことを理解するってことはできてないと思うんだ。相手の話を聞くって大切だと思う。そこのところをクリアできれば最高に人類全体を共感的な世界を構築できるような気がする」私はそんな人たちでいっぱいの姿を思い浮かべた。でも、誰でも人は他人を喜ばせたい、という思いを抱いている。それは相反することだけど、確かにそれはあるだろう。
車は福岡市内に入り、いよいよ恋愛感情にも似た心のときめきが胸を打っている。なんか雰囲気は札幌と変わらない感じがする。でも海が近いことはここが韓国との交流が盛んだということを思わせる。空気も澄んでいるみたいで窓を開けていっぱい吸い込んだ。海の香りのする、とてもさっぱりとしていた。
さあ、お目当てのラーメン屋が見えてきた。車を駐車場に止めて、車から降りる。周りは豚骨の匂いで満たされている。
「わあ~、何この濃厚な香り……」静さんが言った。
「すっごい、香水なんか太刀打ち出来ないよね」石田さんは目を見開いて感動している。
「さあ行こう。あ~本当に食欲をそそる匂いだな」小早川さんは店のドアを開けて、私たちを振り向いてニッコリ笑った。ほんと子供のような笑顔だ。最高!
「いらしゃいませ!」店員が元気の良い声で言った。
「何名様ですか?」
「4人です」
私たちは案内されて4人が座れる席に座った。
「あ~、なんか和むね。子供の頃の青春時代がぶり返してくる。なぜだか……」石田さんが言った。
「うん、その気持ち分かる。この店の雰囲気、レトロだねえ〜」私は店内の煤(すす)けた壁だとか、テーブルにのっている調味料が太古の昔からあったような感じであるのを懐かしく思った。
「ラーメン4つだね」私は言った。
「すいません、ラーメン4つ、カタメンで」
数分でラーメンが出来上がった。
「いただきま〜す」私たちは白濁したスープをすすった。なんとも言えぬ濃厚でクリーミーな五感を刺激する心地良さに酔いしれた。こんなにも、ラーメン一杯でここまで感動するものか?
私たちは夢中で麺をすすり、満たされた思いで、こんなシンプルで純粋な美味しさに、舌鼓を打った。最高に幸せだ。まるで大好きな人と共に過ごしているような感覚だ。それでいて懐かしさを伴う、北海道の大自然の中で目をつぶって肺いっぱいに空気を吸い込む、そんな安心感と激的な場面に出くわした感じがした。
「ふう〜、心がいっぱいだよ。こんなに美味しいラーメンを食べることができるなんて地元の人が羨ましい」静さんは言った。
「そうだよね。毎日でも食べられる。まるでお米みたいに」石田さんはもう、一杯目を食い尽くして、手を上げて店員さんを呼ぼうとしている。
「替え玉、4つ、カタメンで」
「石田さん、サンキュウッ」小早川さんが言った。
空気中に穏やかで、悲しみさえ誘う気持ちになった。店内の中にはそんな情景がふわふわと漂っているようだった。
「みんなラーメンが好きなんだね。まるで呆けたように食べている。それにしてもここまで来る価値があったわ。ラーメンって誰が作ったんだろう?これを最初に食べた時、身震いするほどの感動を覚えたんだろうか?」石田さんは心を動かされたように言った。
私たちはそれから替え玉を3杯食べて満足してから店を出た。最高の幸せを満喫した。車に乗って、また本州を目指した。隣に超高級車のロールスロイスが走っていた。なぜだか運転している人は淋しそうに見えた。そしてピエロのような道化師のようにも思えた。いくら高価な物を所有していても虚しいということをみんなにアピールしているように見えた。今、私たちのように美味しいラーメンを食べて浮かれて感動して、とてもハッピーな人はきっと世界中にいないだろうと思った。

深い深い深海の中にいるようだった。真空の中にいるような、でも明るくてあたりにはたくさんの人の姿がある。でも1人1人は孤立しているようで、お互いに干渉していない。何故だろう?自然と呼吸が浅くなりそうになった。しかし、意識してゆっくりと落ち着こうと努めて周囲の人たちの様子を見守った。みんなもあたりの人の意識の中に自分たちの残像のようなものが鮮明に刻印されていることを知って、穏やかに安心感を覚えたようだ。くぐもりながら海上の鳥の鳴き声が聞こえる。その鳥は海を泳ぐ魚を狙っているようだ。私は何者なのだろう。ただ、この海を長年泳いでいることだけは記憶にある。この海の中では安全で世界中の災い、憎しみ、強盗などの苦しみは味わなくて済む。でもいつまでもこんな所で回遊している暇はあと僅かだ。世界は混沌としていて安全な地域では何にも不足なく、贅沢を言わなければ有意義に暮らせる。でも戦争や内戦では数多くの人が死んでいったし、殺傷能力の高い兵器によって大きな傷を負わされて精神的な病を得た人も大勢いる。私ができることはなんだろう?せめて涙を流して神に祈り求めて、どうか殺し合いがおさまりますようにと熱烈に叫ぶしかない。他に何ができるというのだ。私は神が、神がいるのなら、どうして私たちは苦しまなければいけないのか、何故、人はお互いに憎しみ合わなければいけないのかを問いたい。きっと人が聞いたら顔をしかめるだろう。そしてこう言うだろう。『私たちに何ができるというの?』確かに正しい質問だ。でも私はそのことを考えざるを得ない。私には何かできるはずだ。でも、そのことをSNSや旧ツイッターで拡散しても、全くと言っていいほど反応はないはずだ。たぶん、そんな話題を取り上げるなよ!と、苦虫を噛み潰したような反応を呼び起こすだろう。私たちはそんな事柄を話題にしたくないのだ。それならそれでいい。もっと別の話をすることにしよう。私には語ることが、みんなを楽しませられる話が豊富にあるのだ。どんな話がいい?そうだ、昔話なんてどうだい?昔、そう、それは第二次世界大戦の日本であったことなんだ。その当時は食糧不足で大勢の人たちが苦しんでいた。どこも土地がある所では土を耕かして、じゃがいもとか大根とか空腹を紛らわすことでみんな一生懸命だった。農村地帯はみんな米とか鶏の卵とか、貴重な物で豊富だった。都市部の人たちは高価な着物とか物品を食料に替えて、何とかしのいでいるのだった。そしてあまりにも農村の人たちが都市部に住んでいる人たちを値踏みするので、食料に不足する人々は、さすがに腹をたててしまった。でも、食べる物がなければ生きていけない。何とか泣く泣く我慢して、家の中にあった骨董品とか、純金や絵画などを担保として農家の人に渡した。
「ああ、資産なんて儚いものだね。背に腹は代えられないものね。これで私たちは目を開かれたよ。お互いに真実を真理を知ることができた」
「ああ、そうだね。いくら巨万の富を持っていても、食べ物がなければ生きていけない。ははは、ほんと真実を知れた。この戦争が終わったら、何処か田舎に引っ越して田畑を開墾しよう。美味しいじゃがいもやにんじんや茄子なんか植えて、実りの季節を楽しむんだ。楽しみだね〜!」その紳士は将来に希望をもって歩もうと努力をし始めた。空を見上げると燦々(さんさん)と太陽が輝いていた。それは希望の象徴のようだった。そうだ、私も太陽のように人々を照らし出せるように頑張ろう。そう紳士は考えた。その為に人と人との繋がりが大事だ。それで紳士は人通りの多い駅の所でみんなに語った。
「皆さん!今、この戦争で私たちは疲弊しています。食料が乏しく毎日食べるのにも苦労しています。でも自分の土地を開墾することによってある程度、対応することができます。その為には種が必要です。みんなで農家に行って種を買いましょう」その紳士は一生懸命に語ったけど、その話を聞く人はいなかった。紳士はがっかりして自分の邸宅に帰った。そこには様々な調度品が置かれている。でもそれらは食料と引き換えに渡される予定だ。こんなに物質的に富んでいるのに、それらが本当の意味で幸福をもたらすものではないことに気づいた。なんてことだ、私は今まで精一杯働いてきたのに、それは風をつかもうと懸命に努力してきたみたいだ。なんて虚しいのだろう。でも、それらがたとえ失われたとしても、私には愛する妻と子供たちがいる。そうだ、これが本当の幸せだ。そのことをひしひしと感じる。唯一の幸福とは、愛する人たちに囲まれていること、それだけだ。そのことを知ることができて、私はなんて最高なんだろう。この戦争が終わったら、家族みんなで田舎に引っ越そう。そして全ての資産を売却するのだ。もう無駄な家財は売り払って質素に暮らすのだ。私はソファーに座った。窓からは初秋の涼しさが訪れていることが分かった。妻がキッチンからタンポポコーヒーを持ってきた。
「あなた、どうだったの?話を聞いてくれた人はいましたか?」
「ああ、いや、みんな自分のことで精一杯なのだろう。聞く人なんていやしないよ」
「そうでしたか。でも頑張っていれば自然とあなたの話に興味をもってくれる人もいるでしょう。諦めないでください」妻はニッコリと笑って、その笑顔はとても美しくてまるで絵画のポートレートのようだった。
「そうだね。頑張ってみるよ。こんな冷めた時代だ。でも、みんな繋がりを求めている。多分、この戦争が終われば、みんな自分の役割がなんであるのか分からない人で溢れてくるだろう。その人たちの指針となる人が求められるはずだ。私は今から用意しておくよ。その為に滋養分を蓄えておく。なんだか、やる気が出てきたよ。でも警察には用心しておかないとな」
紳士はテーブルにのせられた新聞を手にした。そこには日本軍が連戦連勝という記事がのっていた。しかし今の日本の状況を考えてみると、はたして本当に日本が戦争に勝っているのか疑問だった。ここ数日、空襲警報が発せられて大型爆撃機が上空と飛行して爆弾を投下していく。周りには焼夷弾によって焼け野原になった地帯が広がっていた。紳士の住んでいる屋敷には被害が及ばなかったが、多くの市民は焼け出されて苦しんでいた。この状況を日記に残して将来の子どもたちに伝えよう。そう思った。そして自分にできることとして、これまで培ってきた、経験を後世に知らせることで、この難局を少しでも緩和させることが自分に課せられた使命だと言い聞かせた。とにかく、何とか私にできることは、持っている資産を食料に替えて、食べるものがない人たちに分け与えよう。私の敷地内に桃の木がなっていて、実がたわわに実っていた。それを収穫して近所に配って歩いた。みんな、まるで驚いたように感動して涙を流して喜んでいる。
「ああ、こんな貴重な物をくださるのですか。まるで宝石をいただいたようだ。このご恩は一生忘れません。ああ、心からお礼を申し上げます」人々は自分が感情をもっている人間であることを理解して、自尊心を取り戻した。私たちは動物ではない。感情を持った生き物なのだ。この日のことは終生記憶に残って、生きている限り、脳に記憶として刻み込まれていくだろう。そしてもし、再び桃を食べる日があれば、この苦しい日々を思い起こして、苦難に、苦境に立たされた日々を回想して、その辛い日常を歩む糧としていくことができるだろう。自然、何かを求める働き、ものすごい吸引力に全てを通してもたらされるような、そんな衝動に駆られていくことが、人本来の生理的なもので満たされるような、そういった、慰みをもたらす物が私達には今、必要なのだ。最も崇高な者、神と言えるかもしれない。しかしこの世には漠然とした神で満たされている。様々な宗教が乱立していてお互いに協力関係を保つことが出来ない。これはおそらく政府が人々が一致団結すれば、それは国家にとって危険だということになるからなのかもしれない。人々が協力すること、これは社会にとっては果して害悪なのか?むしろこれは世界中を繋ぎ止める為には欠かせない最高のチャンスになるのではないか。結局自分たちが主導権を握っていたい、自分の思うように人民を操作したいという自らの欲望を抑えることができないのだろうか?でも、そんな思考はもう時代遅れだ。
私は上空から、はるか彼方から、過去を凝視していた。今の時代インターネットが普及して不特定多数の人々が何が真実で何が間違いなのかを知る立場にいる。この人類が誕生して以来、始めて人は自分の思っていること、心に秘めていることを世界中に向けて語ることができている。これは本当に大きな飛躍だ。私たちは自分の思っていることを自由に語ることができるのだ。この世は面白い。私たちは想像の世界で、どんなことでも成し遂げることができる。とくに物語という完璧な再創造を果して人々を掻き立てることができるのだ。なんということだ、どんなことでも構築して、無から有を形作ることができるのだ。素晴らしい、美しい。そのことを考えると満たされた思いに耽ることができるのではないだろうか。この宇宙が始まって以来、こんなに人に感化を与える世代というものは今まで無かった。しかし、物語という、あるいは書籍を通してしか影響を与えることができなかった時代は終わりをむかえてお金を払わなくても、貴重な価値のある物を提供できる時代になった。

雲を越えて大気圏に浮かぶ静かで安らかな一匹の鳥は何処へ向かおうとしているのか。私はその鳥が涙を流している姿を捉えた。その滴は線を引いて結晶のような、そしてキラキラ輝くダイヤモンドのような光沢を放っている。そしてその価値はダイヤモンド以上だと値踏みした。なんて美しいのだろう。そう思って、私は近づいてその鳥の背中に優しく触れた。私の愛に感づいたのか、鳥はニッコリと笑って自分の羽根を1枚引き千切り、私に渡した。その羽根は虹のように輝いていて、私は心が震えるほどの喜びを感じた。鳥は羽を広げて飛翔し、姿が七色に変色して愛くるしさを抱けるほどの温かさを秘めている。私もその鳥の後を追った。何も心配することなく、脳の中で羽ばたくように考えるだけで自由に飛べるのだった。なんだか寒くなってきた。あまりにも高い高度を飛んでいたのでそれは当たり前か。でも心頭滅却火もまた涼し、という言葉がある。高い精神性は物質的なことをすら乗り越えていくことができる。しかし、その高度な高みまで達するには生半可な努力では到底達することはできないであろう。でも、ほんの僅かなことで、まるで板チョコを割って食べるみたいに、ひょんなことでそういうことが達せられることもあるのではないだろうか。なんかこの上空を飛んでいると全てを俯瞰(ふかん)しているような錯覚に陥る。でもそれは大違いで自分をあまりにも買いかぶりし過ぎている。もっと謙遜に従順にお淑やかにしなくてはならない。でも、どうしても自分の内部にある欲望が心の底から溢れて表面に現れてくる。でも、それはある意味で素直というか、馬鹿正直というか、人間としてはとても個性を持つ者として必要なのではないかとも思う。しかし、この世の中には根っからの悪党というものもいて、平気で人を陥れようとしたり、欺き、弱いものを虐げる者もいる。それに比べれば私はまだ可愛い存在だ。私が目指す者として、それはいったい何処に向けて歩んでいくことができるだろうか。最終局面において人は本心では変化することはできないのではないかと思う。根っからの悪党でも、心の底に良い種が土壌に落ちて芽を出すように、そのような人は正しい心を持っているのだと思う。そしてそれとは真逆に善人だったのに、誘惑に負けて悪の道を歩むようになった人もいる。でもその心の中に巣食う、そういう不完全さを乗り越えるなら、その人は周りに影響力を及ぼして、人々を感化させることができる。私もその一人だ。もちろん完璧ではないのでミスを犯すことだってある。ただ、そんな時にも自省して何とか良い特質を再び発揮させることに奮闘していくことで、真の正しさを自分の内に鮮明に刻印すること、そのことを刻み込むことに成功できる。辛い思いを身に浴びることで、孤軍奮闘することで人は成長することができる。当たり前のことだけど。なんでもたやすく問題を解決することができる人もいるけど、そんな人は人の苦しみを体験することなんて難しいだろう。相手の思いを把握することなんて無理だろう。それは途端の苦しい経験を味わった者にしか分からないことだ。物事は全て関連している。私はこの世界では涙を流すこと、それが欠けていることだと思った。涙の滴が波紋を広げるように、それ以外には物事を繋ぎ止めている鍵は無いだろうと思った。この世の中には一時的な笑いで満ちている。それは結局自傷行為に等しいものだとは誰一人思わない。世界中が一時の幸福を求めている。それは延命措置のようなもので、物事の本質を明らかにするものではないのだ。麻薬で一時的な快楽をもたらすようなもので、それには永続性が皆無だ。では、何をすることはできる?悲しくても笑うしかないのか。それは私たち一生かかって解決するしかない話題だ。たとえ終わりが見えなくても、それに向かって進むしかないことだ。答えのない問題、そんな言葉が記憶の底から沸き上がった。でも、それでも私たちは諦めずに足掻かなければいけない。それが人間だ。矛盾だらけの世の中で、答えが無いまま一歩ずつ歩んでいかなければならないのだ。なんて不幸なんだろう。私たちは何処に向かわなければいけないのか?この苦しみを除いてくれるのは誰なのか、私自身では無理だと心が告げている。いったい、悩み相談ダイヤルにかけたとしても、この心の傷を癒してくれるのだろうか。私は初めて神に祈った。目に見えない、何処にいるかも分からない神に向けてひたすら祈り続けた。
「ああ、神よ、もしあなたがいるのでしたら、どうか私に答えてください。この苦しみを理解してください。どうしたら、本当の幸福を味わうことができるのでしょうか?どうか私を導いてください」自然と涙が溢れてきた。きっと神がいるなら、この叫びを聞いてくださるはずだ。慟哭と嘆きと悲しみの傷は自分の心を浄化してくれた。一度そんなふうに思うと、次から次に心地良い気持ちに満たされた。涙が全てを洗い流してくれた気分だった。とても清々しく真夏の蒸し暑いなか全身に冷水を浴びせられたような感覚だ。この安全な、この身にはどんな汚れも浸かることなく、でも自分の心にも邪悪な思いというものが刻まれていることを、とても悲しく思う。色々と矛盾のある自分を真っ直ぐに見つめて、できるだけ誠実になれるように、でもただ純粋なだけでは邪悪な人にやり込まれてしまう。もっと狡猾(こうかつ)にしたたかになることも必要だ。鳩のように純粋なだけでなく、蛇のように用心深くあること。人生を生きていくうえで、いろんなことが起こるけど、そうやって難しい状況を切り抜けていけば、必ず展望は開けていくだろう。様々な経験を積むことができるし、悲しみの涙を流すことで、いっそう愛情深く、思いやりのある人になれる。なかなか難しい世の中だから、そう簡単に物事が進展していくとは限らない。それには忍耐が必要だろうし、一つ一つ、レンガを積み重ねていくみたいに辛抱強さもいるだろう。でもその努力は必ず報われるだろう。報われないように見えても、経験値を積むことができる。地上にそびえ立っている樹木が見えない根に支えられているように、自分の労力の見えない所でしっかりと根が張っているのだ。必ず、必ず、その辛抱や忍耐、苦労、辛さ、悲しみはいつの日か拭い去られるに違いない。でも時にはがっかりしたり、落胆したり、もう自分には到底望みなんてないと考えることもある。そんな時は声を出して笑うことだ。そうすれば吹っ切れて前に向かって進む推進力となるだろう。焦ることはない。人生は長い。一時的には沈むこともあるだろう。でも、毎日どん底な気分を味わうわけではない。心が晴れる時に精一杯その気持ちを噛み締めて目をつぶって快感に浸ろう。よくことわざにあるように山には頂上があって、それを目指して一歩ずつ歩めば必ず頂きに到達することができるんだ。
私は並走して飛んでいるアヒルに愛情を覚えた。
「アヒル君、君にも困難が待ち受けていることがあるだろうか?何も考えていないようで、おっと、こりゃ失礼、君にだって悩みがあるだろう。でも私みたいな人間の知性を身に着けていると、とんだ災難に出くわすことがあるんだ。それに恋だってする。君にも分かるだろう。そう恋だ。生物が生きていくうえで恋愛は欠かせない。私には長年連れ添ってきた伴侶がいて、私の帰りを待ちわびている。子どもたちはもう巣立って1人前に世界を飛翔しているんだよ。この地球に生まれて色々覚悟がいるときってあるけど、こうして生を受けて、こうして空を飛べるなんて最高だよ。命ある限り風を受けて餌を求めて私たちは何の為に生きているんだろう?それは絶対に解決しない問題なのかもしれない。生きて死ぬことに価値なんてあるんだろうか?ただ、子孫を残すことが終局的なのだろうか」午後遅くになり太陽が山の奥に沈み始めていた。静かに陰り、夕暮れになってきたので私は脚を休める所を探した。大きな巨木を見つけてその葉に止まって一息ついた。樹木は胎動しているような揺らぎを与えていて、呼吸していた。風が私の体をかすめてそれは心地良かった。まるで私を慰めているようだった。私以外にも小鳥たちが、スズメやカラスなどがこの同じ樹木に体を休めていた。お互い鳥同士ということもあって意気投合すると思いきや、人間の諸外国のように協調することはなかった。それでもお互い意識することはあって、他人行儀でも、そこは同じ鳥だけあって心の底では黙認する関係が成立している。一羽のカラスが私の方に顔を向けていた。なにか話をしたいらしい。
「もし、白鳥さん、あなたは何処から来たのですか?」カラスは私に語りかけた。
「そう、はるか遠く、あなたが見たことがない銀河系……。この地球では、そう、人が名付けたアンドロメダ銀河にある惑星から来たんだ」
「はっはっは……、また冗談を……」
「鳥が会話をできるんだ。それぐらい信じてもいいだろう」
「なるほど、そう言うこともあるかもしれない。私はカラスと人間から言われている。もっと別の名前を付けてもらいたかったんだけどね。でも仕方がない。この社会では人間が頂点に立っているんだよ、飛べないくせにね。生意気だと思わないかい?」
「そうだな、私もここ最近、人間が問題を起こしていることに腹がたっているんだ。この世の中で人間同士憎しみ合って殺し合って、これが高等動物のすることかね?人が一人死ぬことだって感慨深いものなのに数万単位の貴重な生命が奪われている。なんてことだ!って思うよな。それでいて、自分の事となると、絶大の信心深さをまとってるんだからな。無知もいいところだ。戦争や災害に遭った時、動物だって命を落としているのに、そのことには触れることはないだろう。それこそ人の一方的な思考パターンだといえる。さあ、今日はこのくらいにしておこう。だいぶ羽ばたいて疲れたよ。君、食事は摂ったのかい?」
「ゴミステーションの中にハンバーグを見つけたんだ。最大のご馳走だったよ」
「そうか、生きていくって大変だな。私は人間に餌を貰っているんだ。白鳥っていうのは人から好かれるみたいなんだよ。みんな感動した、まるで呆けたようにぼーっと私の姿を見つめている。まあ憎まれるよりはいいよな。私たちのことを主題とした踊りだってあるようだ」私は静かに回想した。辺りは静寂で鳥と鈴虫の音色が広がっていた。漆黒の天地は私の心を落ち着かせてくれる。私の身体と対比して、いっそう白い羽毛で覆われたこの姿をもう一度みんなに見せてあげたい。人々を魅了したいという思いで心がはち切れそうになった。
「なんて言ったっけな。そう、白鳥の湖。カラスの湖ってあったら面白いのにな」
「役回りとして、私たちカラスは損な生き物だよ。敬遠されはするけど、決して好意はもたれないからね。毎日ゴミステーションを漁って人の食残しを食べてる有様だ。でも生きていくうえで、なりふりかまってはいられないからね」カラスは少し哀愁を見せた表情をしてくちばしを開いた。赤い舌が見える。そして、フッ、と微かに笑った。
「そうか、生きていくのは、簡単じゃないからね。君にそんな苦労があったとは知らなかった。僕はとても恵まれているんだな。これからは餌を与えてくれる人に感謝して、白鳥の踊りを見せてあげよう」
「それは良いアイディアだ。でも、私みたいなカラスが踊れば警戒されるだけだからな。君みたいな真っ白な、純白な姿が羨ましいよ」
「そうかい?僕には夢があるんだ」
「ここで振った方がいいんだろ?」
「ああ、その答えを待っていた。人に理解されたいと思っているんだ。できれば私たち種族、動物、鳥だけでなく、もっと広範囲な、人を含めてお互いにもっと共通するものがあると思うんだが、人はあまりにも自分のことを信じ過ぎている。その能力があるからこそ、知識を深めてこの世界を統べているんだと思う。でも、そこには謙遜さが欠如していて、私たち動物をまるで下等動物として見下している。なかには私たちの美しさに魅了されている人もいるんだけど、それはごく少数派だ。私たちにだって、悲しみや苦悩、淋しさや、感傷したり、涙を流したりするのに、それに気づいている人は少ない。そのことを知って欲しい。まあ無理なのかもしれない。でも世界中で少数の優しい人は私たちのことを省みてくれている、そう信じたい。そう、世界には争いが絶えないけど、平和を願っている人もたくさんいて、一致に向けて繋がり合いたいと思う人も測りないほどいるんだ」
闇夜は静かに空気を流れていってとても淋しい気持ちで、でもそれが億劫ではなくて、心に染みるようだ。こんな時間が永遠に続けば良いと思う。でもそんな時間は自分が切なく苦しんで真実を求める時にしか来ないとわかっている。でも私の中には生きる為にも、死ぬまでに、残された時間が限られていることを知っている。最後には塵と化して、土中の栄養素となって植物の為に働くことになるだろう。まあ、それもいいか。その植物は花を咲かせて人の心を喜ばせるに違いない。そうやって私たち生き物は廻り廻って循環を繰り返すのだ。でも残念なのは仲間に私の痕跡を残すことが出来ないということだ。それは人間にしか達成できないことなのだ。せめて一滴の涙を流させることができたなら、私が生きてきた価値というものを残せたことだろう。
最後に伝えたいことがある。でもその前に言っておきたいことがある。それはとても長い話になってしまうから、できるだけ要約の形で述べておくほうがいいだろう。きっとこのことを話せば驚くこともあるかもしれない。そのことは私の経験を通して分かっている。できれば全てを語りことに越したことはないが、それではきっとあなたの心に傷といった痕跡を残すだろう。それは私が望むことではない。でも、できればその傷から大切な点を学ぶことが、つまり、経験値を増すことが可能なのではないかと私は信じている。だからこの先私の言っていることは、おそらくあなたの為になるかと思うけど、少なからず、あなたの心の中の病巣を増していくのではないかと心配に感じる。でも、最終的にはそのことで私を憎んだりすることは決してないと確信している。心から滲み出るような、汁がじわじわと出てきた。それはいったい何汁なのだろう。それは酸っぱいのだろうか?甘いのだろうか?それが分からなくて、でも、それを他の人に味わわせることは引けて、どうにも悩んでしまう。私の思いというものは、時々様々な様相を呈していくのだけど、それは脆弱で寒々しくて、おどろおどろしいのだけど、そこには溜まりに溜まったジューシーな汁が密集していて、きっと心の隙間に爽やかに満たされて、とても心地の良い気分を味わうことができる。それでいつものシュチュエーションにあるように黄昏たい気分になって、鏡を覗くと、何時もとは違った表情が見られた。内面の変化が写っていたと言ったらいいのだろうか。心がなぜか満たされた気分で、そのことが現れていたのだろう。自分の変化した心の中には、吸引力が広がっていて、もっと善良なるもの、愛おしいもの、美しくありたいと願うもので溢れていた。それで自分の姿が輝きを帯びていて、それが照り返しのように栄光を渡らしているように感じた。それは自分にとっても最高の気分で、これから先、もっと良いことで満たされるという期待が込められていた。黄金色に輝く、そこにはピンクや赤い色が微かに含まれていて、人類が今までに求めていた純金のような美しさがあったのだけど、それ以上のもの、つまり、どんな資産も遥かに及ばない、たとえこの地球上にある、全ての価値ある物質的な富を凌駕するもの、それは知識、それも、愛や希望や夢といった計り知れないものを私は感じ取っている。そして今このように思索に耽ることができるこの瞬間、よく言われるように、タイム・イズ・マネーと言った標語があるけど、まさにその通りだと思う。この一瞬の時間、この価値はどんなにお金を積んでも買えないものだ。だからできるだけ、この貴重な宝を無駄にすることなく、自分の層をなす時の流れを重要なものとして慈しみ味わいたい。その中でも極めて大切なのは読書をすることだ。小説、物語というものこそ、私が生きるうえで血肉として、自分の思いを経験として蓄えていくことができて、想像の翼で空を羽ばたいていく貴重な機会となっている。ただ、自分にとって醸造されるだけでなく、自分と接する人にとってもお互いに巡り巡って良好な関係を築くことができて、最高の気分を味わうことが可能になる。相乗効果といえばいいのだろうか。でもそれは完璧なものではなく、時に意見の相違やわだかまりだとか、不完全な思考のせいで相手の気分を害する行為を行ってしまうことだってある。でも、そんな行いも、話し合いを重ねることで、違いは氷解に向けて進んでいくことだろう。そう、水が高い所から低い所に流れるように、この世界の大勢は終局的にある一点に向けて凝縮していくことになる。それは奇跡的とも言えるものだが、自然に喉が渇いて水を欲するような、誰もが希求する行為となって、あらゆる人の心に達する事となるのだ。
私の目の前に一本の樹木が屹立(きつりつ)していた。それは濃厚な緑をたたえていて、いかにも瑞々しい力に満ちていた。きっと根が土中に広がっていて、栄養や水分を吸収しているのだろう。その樹木が私の方を向いて笑顔で語りかけてきた。
「こんにちは、調子はどう?」そこには微かな気遣いの気持ちが現れていた。私はとても嬉しかった。木に語りかけてもらえたのは初めてだからだ。
「うん、とても爽やかな気分だ。君はとても美しい樹木だね雄大って言えばいいのだろうか。どれくらいここに存在しているんだい?」
「そう、およそ2000年くらいかな。いろんな季節の移り変わりを経験してきたよ。枯れることなくこうして生きてきたなんて、なんて言ったらいいのだろう、最高の清々しい気分だ」
「2000年か、短くない年月だ。そんなに生きてきたなんて、色々と辛い思いもしてきただろう。察するよ」私は彼の表情が緩んで、まるで慈愛に満ちているような温かなことに嬉しさと喜びを感じた。
「人間ってほんと勝手だよな。お互いに殺し合って憎しみ合って、自分の影響を広めようとして、まるで子供だよな。私たちより高度な思考形態を持っていると勘違いしている。たった100年位しか生きられないのにね。私たち生み出す酸素を吸って生きているのに、自分の方が優秀で性能が良いと思っている。でも、ある意味正直な感情なのかもしれない。よっぽどかしこまって良いふりをしているよりはね。でもその代償は払わなければいけないことを知る必要はある」樹木はそう言って遠くを見つめる眼差しをした。そこには憐れみと、決して自分の意見に耳を傾けない人たちへの深い憂いが見て取れた。私も暴走気味の人の無感覚さには呆れていたし、その中には何とか直向きに誠実さを示して歩もうとしている人たちの葛藤を思うと何とも言えない渦巻いた感情のせめぎが沸き起こってきた。この地球上に起こっている災い、戦争や民族間の争い、宗教上のせめぎ合い、これが無くなることはあるのだろうか?今のままでは決して互いを尊重して友好の握手をすることは、多分、いや、決して無いのだろうと思う。今現在こうして憎しみ合い、非難を続けている双方はこれからも自分の主張が正しいと発するのだろう。でも、何とかしないと、その考えだけが虚しく心の隙間から響き渡る。どうしたら良いのか?その答えを誰か教えて欲しい!このまま無惨にも双方が意見の相違を抱えながら、これからも虚しい戦いを繰り返すことの悲惨さを訴えていかなければならないのだろうか。何とかこの憎しみ合いの連鎖を断ち切る方法がないものか!ただ毎日楽しく生きていければいいや、という考えが平和な国では広がっている。自分の幸せを第一にした生き方。世界では大変な状況がみられているのに、自分の範囲内で幸福を追求するスタイルが確立されている。私たちにはもっと相手のことを思いやる、利他的なスタンスが必要だ。もっと他人を理解する気持ち、人の痛みを把握することが必要だ。ただ自分の幸福を追い求めるだけの生き方は本当の意味で幸せではない。人のことを思う気持ち、それが大切なんだ。それでも、そう言っている自分がどれだけのことをしているだろう?結局自分のこと第一主義なのではないか。なんだよ、でも、何かできることはあるはずだ。私たちには実は知らないだけで仲間がいっぱいいると思うんだ。それは何とかして広げていかなければいけないと思うんだ。これから利他的な、みんなを勇気づける言葉を世界に向けて拡散していくことができるはずだ。そう、自分の力だけでなく、仲間の言葉を通しても人々を感化させることは可能なはずだ。大丈夫、何も恐れることはない。何も恥ずかしがることはない。これからもっと自信を持って歩むようにしよう。私たちにはできるはずだ。1人の人の心を打つような、揺さぶるような言葉を発信していこう。今まで様々な媒体を通して人を動かそうとしてきた。でもその結果はどうだった?良い方向に進むどころか、破局へと向かって来たじゃないか。今まで何百というノーベル賞が人々に与えられてきた。でもその結果はどうだった?お互いが繋がるどころか、憎しみ合いが増し加わってきたのじゃないか?栄誉も名誉も虚しいものだ。この世界で最も重要なものは何なのか?ただ人に感化を与える為だけに、感動的な物語をいくら発信しても、本当の意味で人の心を揺り動かしてきた物語があっただろうか?人の心に響く歌を歌ってきた歌手がいただろうか?皆無だ!なんて虚しいのだろう。自分を慰めるだけで他者に対する、いたわりの気持ちを与えることを本当の意味で行ってきた人が本当にいただろうか?私たちは人に揉まれることによって成長する。できるだけいろんな人と出会うことで、しかも自分が優位に立つことではなくて、たとえ自分にがっかりすることや敗北を決することに繋がっても諦めずに最後まで純朴に自分の理想を目指して、それが人から見て寂しいともいえることであっても己に忠実で、しかも不快極まることのようでも直向きさを忘れない、そんな人が最後には人の気持ちを分かって愛情深くかけがえのない重厚な愛を発揮できるのではないか。
静かに宵闇が塞がってちょうど月が天空に浮いていた。月の表面には月面基地が大都会のように広がっていた。町並みは騒々しく多くの人がうごめいている。歩道を歩いていると遠くに地球が見えて、そこに数十億の人が住んでいるのだと、不思議に思った。この月にはちょうど100万人の人が住んでいる。最初に移住したのは100年も前だ。みんな今の生活に慣れて自分が月人であることも忘れている。毎日互いに感心を払って助け合い協力する精神がいきとどいていて、地球人のように戦いあったり憎しみ合うことは皆無だ。しかし、地球にいても月にいても、思い描くことには変わりはない。そう、幸せになりたいという欲求だ。この月に住んでいる人たちは選ばれた人で構成されている。地球から宇宙船に乗るには膨大な金銭を支払うことが求められていて、それをクリアした人だけが、この月に居住できるのだ。最初、地球から月へ住むことに大変な興奮があったのだけどその喜びは束の間だった。むしろ永遠の課題である自分はなぜ、生きているのか?と言ったテーマが現れてくる。仕事をして、家族を養って休暇に動画サイトを見て楽しむ。地球の大自然を見ることが癒しに繋がっている。私たちコロニーにも草花は咲いているのだが、地球みたいな全てを覆い尽くすほどの自然はない。だからいつの日か地球に旅行に行ければいいなと思っている。
さあ、月でも正月を迎えた。ただ、時間が経過しただけで何も変わらない。いや、人の気持ちには変化が生じただろう。月で生活していて、困難を覚えることはなくて、最高に幸せを感じることってあまり無いけど、白い恋人のソフトクリームを食べることが唯一と言っていいほどの快感をもよおしたりする。フザけたことも行っているけど、でもそれが自分の中で心の平静さを保つことになっていたりして平安でいられることになるのだ。そして地球の姿をみる時、憧れや羨望の思いを再び湧き上がらせて、これからも庶民的感覚で生活して毎日を楽しく暮らしていけるのだ。ただし、ポッカリと自分はこれからどうやって生きていくのだろうと、人にとって、人間にとっての最大の疑問に取り付くのだけど、布団に潜ってハチャメチャに動きながら苦闘しながら眠りにつくことが毎日の日課になっている。でもほの暗い布団の中は世界が凝縮して色々な問題とか課題が山積して狂おしいほどの輝く光が脳に照射去れてゆく。それは悲劇的なものをも包含しているし、きめ細やかなサラダのような繊細で爽やかでフレッシュな思いを抱けるほどの美しい神憑りなところがあって、この懐に熱く新鮮な感激が沈澱されていく。ああ、天皇陛下じゃなくてよかった。だって叫ぶことも素っ裸で部屋中を歩くこともできない。たとえ人々から賞賛を浴びようとも、自由が無いというのはとてつもなく苦しいことだ。私はどうだ。こうして月社会で滔々と生きている。自由に自分の意見や考えをネットに提示することができるし、好き勝手に傍若無人に語ることができる。結局、物質的な資産というのは喜びの中心にはならざる終えず、そういう物には限界がある。小さな子供がすぐにおもちゃに飽きるように、いろんな創造物は、つまり人間が想像したものにはすぐに飽きてしまう傾向がある。唯一人が心から揺り動かされるものは物語でしか到達できない。
私は歩道を歩いて目の前にあるマクドナルドの店舗に入った。レジでフィッシュフライバーガーとダイエットコークのLとフライドポテトのMサイズを注文した。店員がテーブルまで商品を運んでくれた。
「こんにちは、お客様。ご機嫌は良いですか?」
「ええ、なぜかこの頃、むしょうにポテトチップスが食べたくなって。そういうことってあります?」私は若い女性店員に言った。
「ええ、私もポテトチップス大好きですよ。とくに海苔塩味が。お客さんは何味が好きですか?」
「僕は醤油バター味かな。なんかあの風味が心を掴むんです。何か、ノスタルジーって言うんですか、まるでふるさとに帰ったって感覚です。地球みたいな味がする」私はいまだ地球に行ったことはないけど、そこには自分の親族が暮らしていて、毎日新鮮な緑に囲まれていることに、とめどない羨ましさを感じた。
「フフふ、お客様、今度フライドポテトに醤油バター味が発売されるのご存知ですか?」
「えっ、本当ですか?」
「はい、とても楽しみですね」
私たちは軽い会話をした後にとても楽しみながらそのフライドポテト、醤油バター味を想像して、黙想して、期待感で思いがいっぱいになって、心の底で枯れた井戸が水を出して蘇生したような感覚を覚えた。ああ、フライドポテト醤油バター味……。
食事を終えると、地下鉄の駅まで歩いた。途中にコンビニによって夜の晩酌のウイスキーを買う。店内はジャズが流れていて、つい口ずさんでしまう。懐かしい。月社会でも音楽が重要な地位を占めていて、コンサートが盛んに行われている。ふと、自分がこの社会での立ち位置を考えてみた。インターネットでのライターとして、人の役にはたっているのだろうか?この仕事は必ずしも人々にとって必要とはいえない。いや、それは間違いかもしれない。何かの役にはたってはいるのだろう。しかし、生存していく為には必要なものだろうか?でも生きていくにはなりふりかまってはいられない。したたかに泥水をすすっても、いや、そこまではどん底に落ちてはいないけど、生き残る為には相当の苦労がいる。月に住む人たちはエリートが多くて貧しい生活をしている人はいないけど、それでも人が本来持っている悩みはきっと地球人と同じだろう。でも地球のような美しい惑星に住んでいて、それでも犯罪や戦争、自殺する人がいるというのは驚きだ。なぜ、月人のようにお互いに尊重しながら生きられないのか?それがとても不思議だ。でも、それは永遠のテーマだろう。結局人はたくさんの知識を自分の心に取り得て、それを人に伝えること、そして死んでいくのだ。今まで多くの人がそうやって人生を送り、そして死んでゆく。何かそれは当たり前のことだけど、とてつもなく虚しい思いを抱くのだ。そのことをできるだけ真剣に受けとめていかに自分を見つめることができるのか、それが将来に向けて、多くの人に影響を与えることこそが課題であり、使命でもあると思う。ライターという仕事は究極に煮詰めれば、人に対する愛情がなければ駄目だと思うのだけど、それをそのまま『あなたのことが大好きだよ』そういうふうに言えればなんて素晴らしいのだろうと思うことがある。記事1面に愛に溢れた広告や、情報として人の役に立つものばかりなら、なんて素晴らしいのだろうか。なぜ、みんな助け合おう、協力し合おうという文面が見られないのだろうか。この社会は共存や一致といった人と人が結びつくことではなくお互いに一定の距離を保って近づくことができないように細工しているような感じがする。みんなを繋ぎ、協力といった関係を構築できない、それは言ってみれば主導権を人民の側に、渡さず、これからも国が、そして権力を持っている側が、人々を導いていくといった構造が崩れないようにしていくということなのだろう。でもそのスタンスはネット社会によって崩れるだろう。結局、最終的には1市民が勝利を治めることになるだろう。ネットの普及は革命的な行動を人々に促して真に人々を導き、啓発し、強力な作用を及ぼしていく。それは特権階級の人にとっては恐れとなるであろう。フランス革命のように。私たちはその真の革命を行おうとしている。最も底辺にいる、今まで奴隷のように這いつくばっていた人々が、新しい社会を創るべく、活動を始めていくのだ。それは今までの物質的なものから精神的な物へ、想像力こそが最も崇高な飛翔へと羽ばたいていくのだ。その中でも月に住む人が書いた小説には感心させられた。実直さと雄大な雰囲気、孤独としたたかさ。そして誰よりも淋しさと切ない思いを実直な文体。この世界に生きていてたくさんの人に囲まれているのに自分はひとりぼっちだということ。それを体現できるだけの技量を持つ人は少ないけど、そういった思いを計算して自分の手足としてまとめ上げている人もこの月にはいて、そんな言ってみれば感傷的なともいえる、微妙な線上をフラフラしながらもバランスを保って前に進んでいる人もいて、いや~なんか凄いなあって関心することもある。これこそプロの作家だと、ある意味自分も人生において見習わなければいけないことってたくさんあるんだなあって頑張るように励みたいと思う。文章の中にもその人が味わった経験だとか苦悩や辛さ寂しさが滲み出ていくし、どんな経験も無駄になることは無い。むしろ、そういう下積み生活が長ければ長いほど、スルメのように噛めば噛むほど味わいが出てくるのだろう。一気に頂点に達すれば、やすやすと滅びの道へまっしぐらに落ちる可能性がある。だから自分を必要以上に低めて地を這うような慎重さをもって行動することが大切だ。今まで栄光の頂点に達した人が容易に身を破滅させたという経験は山ほどある。
ウイスキーは地球で作られている、『ボウモア150年』と『グレンリベット135年』を買った。つまみには、干しイカとナッツ類をチョイスする。ああ、家に帰ってその香りを嗅ぐのが楽しみだ。そして妻のヒロコに熱いキスをすること、これ以上の最高の与えられたプレゼントは無い。今、妻は妊娠中で、愛するベイビーに会える日を楽しみにしている。仕事をしている時も、想像力をはたらかせて、子供を抱きしめて頬にキスすることを1日何百回も想像する。こんなに幸せで良いのだろうかとつい贅沢な悩みを抱えているのだけど、地球圏では争いごとが絶えないという。月自治政府みたいに全く争いごとが無い世界をどうして作れないのだろう?こんなに自然豊かで、たくさんの動植物が繁栄しているのに不思議だ。未だに人種間のわだかまり、お互いの文化の違いから憎しみ合っているなんて、ほんと残念だ。でも、中には心を通わせて理解しようとする人たちだっているはずだ。私はその為に、地球に行ってみようと思う。できるだけ多くの人と知り合って相互の気持ち、相手をインスパイアすることが、知識を交換することを目指したい。
家に帰ると妻の奈緒子と娘のココロの頬にキスをした。この瞬間はどんな喜びにも優る最良の瞬間だ。なぜだか自分が生きていると感じるし、自分は1人で生きているんじゃないとも実感できる。
「お腹の子供は元気かい?」
「うん、動くのを感じる。ほんと人間て、神秘だよね」奈緒子はお腹に両手をおいてさすった。不思議なものだ。生き物っていう奴は。そして神秘的だ、奈緒子が言うように。世界中の生き物が、または植物が自分の子孫を残せる。何故にそんな行動を起こすのか?ほんとそれは驚嘆すべき事柄だ。でも、その行為が当たり前のように感じて、感動が希薄になっているところが問題だ。生き物というのは崇高なものだ。その肉体に生命が宿っていること自体がかけがえのないものとなっている。たとえ単細胞動物でも、世界最高のスーパーコンピューターでさえ到達することはできない。それほど生命というのは希少で尊いものなのだ。それなのに人は自分たちよりも価値の無い物をとても希少と見なすことがある。例えばダイヤモンドや絵画といったものだ。それは何十億、何百億円もする。そして何故、人は自分と違う文化や言語を持った人たちと仲良くすることができないのだろう?ほんとイカれている。今までその言葉を多くの人が言っている。でもそれを実行しているのはほんとに少数だ。他の人に配慮を払うこと。人を純粋に愛すること。たとえ生き方が違うとしても尊重すること。考えてみれば当たり前のことだと思うけど、それを実行する人はどれくらいいるのだろう。でも人は自分の近親者には愛情を注ぐ。どんな悪党でも、どんな凶悪犯でも自分の妻や子供には偽りの無い感情を持つことがある。その思いが周りの人たちに伝播していけばいいのに。民族間でも同じようなことが起こっている。例えばユダヤ人とイスラム社会の関係だ。お互いに憎しみ合っているけど、民族内ではとても愛情のある社会が形成されている。この小さな惑星でいがみあっているよりも愛しあうことのほうが良いとどうしてわからないのだろう。ほんと不思議だ。仲良くしたほうが楽しくて感慨深いのに。今自分にできることといったら身近な人たちに感心を向けることだ。
窓から外を眺めていると宇宙船が見えた。静かに航行している。きっと地球から来たのだろう。いつか地球に行くことはあるだろうか。私はこの月に住んでいて、結局、たとえ何処に住んでいたとしても、人間の根源的なものに変わりはないことに気づいた。この世は洗練されていって、古臭いもの、田舎的なものは嫌悪される。都会的なものが流行って、土俗的なものは避けられていく。でも、私にだって古臭いもの、流行遅れなものを避けているだろう。けれど、そういう考えは本来、そういった思考そのものが古臭い幼稚的なものだと言える。外面的な、そんなものはどうでもいい。私は人の内面的な、心を深く覗きたい。世の中はますます洗練されていって、外面ばかりを見て、古風なものを侮蔑していく。
明日は月に住む人との、これからどうしていきたいか、どのように社会を形成していくことができるかをディスカッションしていく。心が凍結していくような社会がこれから何処へ向かっていくのか、何処へ向かう必要があるのか、そのことを語る場となる。でもそれは堂々巡りをして終局的に解決することはできないだろう。でも、私たちはその中で生きていかなければいけない。解決策が無いまま私たちは何処へ向かって歩まなければいけないのだろう?この社会において、人による承認とか是認というのは絶大な成果を生む。でもそんなことはどうでもよくて、ひょっとしたら1人の人生を変革するようなことだって起こすことができるのだ。

翌日、1000人ほどの人たちがいる会場でのディスカッションが行われた。みんな隣同士で会話を交わし、静かな熱狂が辺りを包んでいる。地球圏とは違い、重力の拘束は遥かに少ないのだけど、心の底に溜め込んでいる疑問は地球人であろうと月人であろうと変わりはない。つまり、私たちは生きていく中で何を指針として生きたら良いのかということだ。それが今回のメインテーマだった。ステージに座る5人が司会者と対座している。その中に私もいた。
「では始めましょう。まず最初に私たちは地球から離れてこの月社会に生活して1世紀が過ぎようとしています。図らずも、この月連邦には犯罪がほとんど起こっていません。殺人はこれまでに1度も行われていません。でも、遥かに自由度の高い地球では、毎日多くの犯罪が行われています。どうしてでしょう?」司会者は私たち5人に向けて言った。1人の女性、若くて旺盛そうな、まだ学生かなといった人が挙手した。
「細川興子さん、どうぞ」
「まず最初に私たち住んでいる月での環境から話したいと思います。私たちは1世紀前に月へ住むことを決めました。その当時はまだ入植したのは僅かでまさか100万人もの人が住むなんて考えてもいなかったでしょう。月へ住む人たちは選別されていました。いわゆる特権階級の人ばかりで多くは科学者でした。高級官僚や政治家、または月で農業をする人や医療事務者などもいました。何も不安が無いって言ったら語弊があるかもしれませんが、多くの場合、自分は選ばれた人種だと感じていたでしょう。アジア人、アフリカ人、ヨーロッパ人、アメリカ大陸の人たち、様々です。でも多くの人は英語と中国語を話せる人たちです。お互いのコミュニケーションがとれる立場にいました。人種が違ってもお互いの文化を理解できる、そして純粋に相手の気持ちを斟酌することができる、能力の高い人たちでした。子供の頃から、いろんな性格の人たちと交わり、相手の考え、趣味を尊重することを無意識的に学んでいました。その結果、どんな問題が起きても自分1人ではなくて周りにいる仲間たちに相談して、自分だけが難しい状況ではなくて同じような問題をみんなが抱えているんだと気づく。それでお互いにディスカッションして、共通する気持ちから最大限のパワーを、相乗効果で乗り越えていく。私たちは産まれてから今に至るまで、いろんな教育を受けてきて限りない人たちを見てきた。見てきただけでなくて人から感化を受けて、吸収して、心を動かされてきて、たくさんのエネルギーを発散させて自分と同じように苦しみ、涙を流し、それ以上に喜んだ経験があるはず。きっと私たちには元々、本来遺伝子の中に組み込まれた共感という特質を持っていて、相手の心を洞察することのできる能力を有しているのだと思う。でもそれは地球人にも必ずあると思うし、地球で起きている悲惨な状態を凌駕していくには、相手のことに寄り添う必要があるけど、それは絶対にできると思うんだけれど、でも、今までいろんな人たちがそれを達成しようとしても結局到達することはできていない。だからいくら、私たちこうして対話を重ねていくとしても、それは無意味なんじゃないかと思う。人の心にポッカリと空いた暗闇の暗さと言ったら、それはとてつもなく大きくて、そこが見えないブラックホールのようだと思うんです。私たちにも同じような暗黒というのはあるはずだし、いつかそれが表に現れるということを私は懸念しています。地球人も月人も基本的には同じ思考を持っている。そして自分の心を覗くのを恐れて見まいとする傾向がある。それを改めるには自分が多くの事に依存している、自分1人では生きていけないということを知る必要があります。つまり私たちには謙遜さと従順が求められます。今この社会で生活していて、有意義な人生を送っている人にはその特質が見られるのではないでしょうか。自分は多くの事柄から影響を受け、依存していると。でも自分勝手というのでしょうか、好きなふうに、やりたい放題している人にはそのような兆候は見られないと思うのです。私には結局何処に住んでいようとも人間の本質というものは変わらないと思うんですけど、一番重要なのは教育だと信じています。それも幼少期から教え導くことの大切さ、自我が芽生える前に教えることがとても重要だと感じているんです。あと、マスメディアも悪いと思うんです。お金持ちがもてはやされていて、お金があれば自由とか地位とか名誉が得られると考えてしまう。有名人がきらびやかな生活をSNSやニュースなどで披露して注目を浴びている。でもそんな芸能人のことなんてどうでもいいんじゃないのかな。私はそう思います。月で生きていて、映画を作ったり小説を書くことで注目されるのは仕方がない。でもだからといって私たちが有名人を偶像視するのは幼稚で芸能人をおごらせるだけだと思います。人はひとにすぎません。有名人だって私たちと同じ人間です。どこも変わりはありません。だからもっと冷静になることが大切なんじゃないのかな。テレビやネットで話題になっている人たちに衝撃を受けるのは分かるけど。私たち全ては1人1人貴重な存在なんです。みんな著名人です。全ての人をそんなふうに見れたら世界はもっと暖かく平和になるに違いありません。私が望むこと、それだけです」細川興子さんは満たされたように息を吐き、締めくくった。会場の人々は呆けたように演台にいる私たちを、もしくは細川興子を見ている。私は手を挙げた。細川興子と同じ思想を持っていることはこの際関係ない。ただ、これから先、彼女ともっと関係を深めたい、彼女のことを知りたいという思いだけが自分の心を充満しているのだった。このシンポジウムを聴いている人のことなんてどうでもいい。私はなんて不実な人間なんだろう?まあ、いいさ。これが私だ。誰よりも熱情に溢れている人だと知れ渡ればいいのだけど。
「人は、地球人であれ月人であれ火星人であれ根本的には変わらないと思います。これは細川興子さんの言っている通りだと感じます。過去から現在に至るまで、人は自分がなぜ生まれ、何をして、何を遺していくのか、そんなことを考えて生きてきました。でもその答えが分からないまま、世代は進んでいます。いつの時代にも頭の良い人は現れてきて、例えば発明家によって人は暮らしの中で便利さを追求してきました。その結果、肉体的、精神的な負荷が軽減されてきて、自分の心の内面を探求する気持ちが芽生えてきました。自分は今、何をするべきなのか?何処へ向かって歩むべきなのかを考える必要が表れたのです。より自由度が高まって人に影響を与えることを覚えたり、自分の欲求を満たすために人の心を都合の良いように操作する人たちも出現してきました。でもそこからは本当の幸福が築かれることは無いので、無感覚になって、あちこちに自分の心の中に不具合が生じることになります。ネットやニュースなどによって不均衡な報道がなされて人々に影響を与えています。多くの人たちが、大金持ちや有名なインフルエンサーによって、目に見える物、物質的な物やお金が自分を幸福にすると信じ込まされています。でも結局物質的な物からは真の幸福を得ることはできないので、多くの人に失望や落胆などの気持ちが植えつけられるのです。ほんと、人間って、地球人でも月人でも目先の幸福を求め過ぎです。大切なのは大局的な幸せです。つまり自分の幸福ではなくて他の人に喜んでもらいたい。そう考えることなんです。プレゼントを愛する人に捧げる感じです。みんながそういう精神を抱いているなら世界はそれこそ本当の幸せで満ちるでしょう」
「でも、私たちは物質的な物を求めてやまないからこそ、ここまで反映してきたと思うんです。これからも人々を魅了する製品を作って暮らしに役立つ物をみんなに提供するべきです」答えたのは地球新聞の春日龍彦という人物だった。
「なるほど、確かに人類が繁栄したのは人々に自由と喜びをもたらせてきました。そのお陰で私たちは情報化社会で様々な事柄を成し遂げてきた。自由度が増して、いろんな世界を垣間見ている。この世界にはいろんな社会があって、その地域からたくさんの興味深い料理や文化を吸収再統合して新たな物とへ生まれ変わった」司会者は言った。
「そうです。私はこれから社会は成熟に向かって進んでいくと思うんです。人間の力というものは、それこそ際限のない、強力なものであると信じている。人と人との関係性、今、色々と難しい状況かもしれませんけど、終局的には相互に理解の道へと向かっていくのではないか、これは確実です」春日龍彦は自信に満ちた声で言った。
「でも、それはいつになるでしょうか?何億年も彼方になるのか。これだけ情報が広がるスピードが増す中、人は繋がり合うというよりも分断されているように思う。こんなにも情報が共有されてきた時代は無い。でも、結局、人は超有名な人の食い物にされている。この連鎖を絶たなければいけない。でもそれは不可能に思える。人が本来持っている、人を崇拝したいという気持ち、それはどうしようもない。これからもそれは変わらないと思う」私は言った。
「ではこれからどうしていけばいいでしょうか?何か名案はあるでしょうか?」
田中クリスティーナというファッションモデルが手を挙げた。
「田中クリスティーナさん、どうぞ」
「わたし、なんかよく分かんないけど、毎日を楽しくハッピーでいればいいんじゃないかな〜。美味しいもの食べて、仲間と馬鹿話して、ジョークを言って、みんなを笑わせれば、最高だと思う。あんまし深刻になっても鬱になるだけだし。結局人間って自分勝手な生き物だし、欲望のままに自分が信じる道を歩めばいいと思うんだよね。意味深長な会話っていくら話しても無駄だと思う。正直、愛とか友情だとかふざけんじゃないよ!って感じ。言葉ではいくらでも語ることができるけど、そんな薄っぺらな会話ってムカつくだけだし」
私は彼女の言葉にも一利あることに気づいていたけど、引っかかることがあった。それで手を挙げた。
「直江隆嗣さん、どうぞ」
「クリスティーナさんの言っていることも分かります。今の世の中殺伐としているのに確かに薄っぺらな言葉や標語が多く見られるから。みんなそういうお互いに、感心を払うことや愛や友情といった言葉を出さなくても、そんなこと、とっくに分かっていると思うんだ。言葉で表すほど、陳腐になってしまうからね」
「そう、私は自分の欲望に正直であった方が良いと思うの。人のことなんかどうでもいい。自分らしく生きること。それが一番大事なことなんじゃないかな。美味しいもの食べて、友達とくっちゃべって、綺麗な服を着飾って、そして人に笑顔を振り撒いて、最高だよね、生きていることって!みたいに生きるの」彼女は正直な子犬みたいだ。私には彼女の生き方に反論できなかった。そしてその美しさにうっとりしていたし、自由の女神のような天真爛漫なスタイルには芸術性があって、魅了されていた。でも、これ以上頭から彼女のことは振り払わないといけない。私には最愛の妻と子供がいるのだから。危ない危ない。
「でも、クリスティーナさんのような自分らしくって言う生き方、カッコいいし、自由とか解放とかそんな標語を掲げて結局は人の好奇心を惹きつけるだけで今までに多くの人が騙されてきたと思うんです。そんな死語になっている言葉の響きだけで人を魅了するってどこまで人類は馬鹿なのか。人はもっと利口にならなければいけない。これからは思考力を働かせて舌先三寸の人には要注意するべきです」東亜大学の名誉教授、白崎俊夫は言った。
「えっ?私馬鹿にされている?私のどこが舌先三寸なの?」
「あなたの幼稚な言葉には呆れ果てた。私は色んな人と対談してきて、人の奥底に眠っている黒い塊を白日の元に晒(さら)してきたんだ。結局人は自分が大好きで自分が尊敬され褒められることが第一で他人のことなんてお構い無しなんだ。自由を謳歌しようとか、愛とか平和とか、カッコいいことを持ち出しては自分に酔いしれている。本当に心から人を思いやる人なんてほとんどいないんだ。私だってこんなカッコいいことを言って、本心では自分が一番で、このシンポジウムでお互いに話し合っても、どこにも進まない、熱心に語り合ってもどこにも埒が明かない。人はただ単に自分の言葉に陶酔するだけで一向に相手の考えとは正反対な言葉を述べるだけなんだ。この世界の中にどれだけの人が真実を知っているんだ。この混沌とした世の中には真理というものがあるのだろうか?みんな思い思いの考えで真の答えが見つからない」
「確かに世の中は衰退していると感じるかもしれない。それこそたくさんの思想が巷に溢れ返っています。あまりにも多いので自分の考えが埋もれていると感じることがあるかもしれません。その中で自分が自己主張しても人々の心を汲み取ることができないと思うこともある。でも一滴一滴が小さくても絶えず送り続けるなら、それは大河となる可能性を秘めているのです。でも、まずは自分の心を、内面を研ぎ澄ます必要があります。自分の内に耳を澄ましてその小さな囁きをしっかりと最大限に聞く必要があります。なかなか自分の良くない所って見つけることはできないし、それに焦点を合わせるのは自分自身を否定しかねない。自己否定に繋がる恐れがある。それに比べれば、自分の良い点を注目して、そこを伸ばすことの方が、都合が良いとも思う。ここには塩梅が求められるけど慎重に歩を進むしかない。難しい舵取りかもしれないけど一歩一歩味わうかのように進めるべきだ。しかし、信じている事柄が正しいのか、平行のとれた見方を探索することが求められる。私は思うんだが、人という生き物は面白いもので矛盾とも言える事柄を世代ごとに繰り返す傾向がある。愛を叫んだと思えば、手のひらを返すように平気で人の死を喜ぶ。これは極端だと誰が言えるだろうか。多くの人が内面では有害で邪悪な心を隠し持っている。しかし人前ではにこやかな微笑みを浮かべて平気でいる。それが人間というものだ。自分の心とその心の中の葛藤を抱えながら生きていく。欲望と純情さという相反する気持ちを持ちながら、不安と喜び、利他的な愛と嫉妬というものを心の内に巣食っていることに驚きを感じながら生きていく。人間とはほんと不思議な生き物だよ。なぜこんな興味深い生命体が誕生したのだろう?動物界で最高度の知性を持ったもの。でもお互いに殺し合うことのできる特異な存在。私も期待しているんだ。世界中の何処かで本当の意味で人の幸福を願っている人が必ずいると。私自身も努力しなければいけない。こうして皆さんの前で語ることができているんだから、この機会に声を大にして言わなければいけないな」白崎俊夫は自分に言い聞かせるように言った。彼の心からの気持ちが表れていた。
「確かに人ってユニークな存在だ。いや、矛盾に満ちた存在と言ったらいいのかもしれない。白崎さんが言っているように。私も人の覚醒を期待している。地球にしろ月にしろ、人が本来持っている思考形態には変わりがないと思う。でも人が産まれて色んな経験だとか教育やどんな人と付き合うかによって人格が形成されていくというのが真実だろうと思います。それは自分が選択するというよりも、あらかじめ決められているような感じがする。元々それは時計仕掛けのようにね。自分が物事を決定しているというよりは、もうすでにあらかじめインプットされているみたいに。それは信じられないと思うでしょう?私も以前は自分の力で全てを操れると思っていた。でも、自分の見えない所で全てが決定されているようなそんな感覚を覚えているんだ。なんて言ったらいいのかな?人は1人じゃないって、必ず自分のことを気にかけている人がいる。そんなふうに思うんだ。何故そう思うのか理性では分からない。でも本能でビンビン感じることができる」私はこの会場にいて、不思議な感覚を覚えたし、喉が渇いていた。このシンポジウムが終わったら、中華料理を食べながらビールを飲もう。そのことを考えると気持ちが高ぶってきて、もっと会場にいる人たちを楽しませたいという思いが溢れてきた。この世界の中に、多分ほとんどの人は心から幸せになりたいと思っているに違いない。でも自分優先の生き方が心に巣食っていて、自分の周りだけの幸せを求めているに過ぎない。人はみんな俳優なのだ。それは人を楽しませることを目的としている。そう、人はみんな、アクターだ。それを一人一人の心に植え付けないと。それが今日私の役割だ。
「私たちは月に産まれて地球のような自然が豊かで鉱物資源には恵まれてはいないけど、人と人との結びつきが強いという利点があります。共感と言った表現が妥当でしょうか。同じ地球から離れて月で暮らしているという。この静かな土地には僅かな物しかありません。月の表面に這いつくばっているような巨大な建物に私たち人間の生活を支える様々な工場が私たちを潤しています。地球に存在している多国間の問題、紛争、人種差別、または地球汚染からは距離をおいて、私たちは有意義な生活を送っています。人は1人では生きていけません、当然ながら。いろいろなものが人の力によって成し遂げられています。でも、そのはずなのに私たちは自分1人の力で生きていると思っている。それは私も同じです。なぜ、そんな自爆的な想像力で生きているのでしょう?生きていられるのでしょう?私たちはもっと謙虚にならなければいけない。私が言うのもなんですが……。でも人はみんな不完全です。不完全な人間が人を教えなければいけない。導かなければいけない。何とも自己矛盾を形成していることですが……。だからこそ、もっと人は自己否定するぐらいに自分を打ち叩き、叱咤して、歩まなければいけないのです。この世の中には、全ての人が自分を真正面から見つめることができていない。鏡で多分1千年くらい見つめて初めて自分がどんな顔だったかを理解することができるだろう。また、まだ私たちには不可思議な事柄がいっぱいある。例えば男女の営みだ。2人が愛することによって生命が誕生する。それは最も大切なものだろう。私たちはその営みによって世界を広げていく。それなのにその行為、セックスは人目に晒すことは無い。ある意味破廉恥な行為のように思われている。最も偉大な行為が最も卑屈であるかのように思われている。これほど崇高で偉大なことがやましいと世間一般では受け止められている。この世の有り様を嘆いても仕方が無いのは百も承知だ。でも嘆かざるおえないのも確かだろう。どうか考えてほしい。今世界は混沌としていて連鎖が断ち切られていこうとしている。月とは違って地球ではお互いに憎しみ合って分断が進行している。この月から人は孤独ではないと発信して、何とか対立を解消できる手立てを得たいのだ。地球を、人類の希望となる、困難を克服することが今、求められている。それは月に住んでいる人たちによって達成できることなのかもしれない。私は近いうちに地球に行きたいと思う。何か私にできることがあるはずだ」社会学者のヒロ・松本は言って会場の観客からさざ波のようなうねりが起こってきたことを受け止めている。
「何故人は自分勝手な行動を起こすのだろう?人の幸福を願って、人の喜ぶ姿を思い浮かべること、これ以上の快感はないと思うんだけど……。ほんと不思議だ。今の人類を総して枯渇という言葉が適当なのかもしれない。あまりにも飢えすぎてなりふり構わず何でも吸収していくみたいに。まるでドラッグだ。気持ちいいのかもしれないけど、その後に副作用が生じて苦しみ悶(もだ)えあげく。人は何処に救いを求めたらいいのだろう?教えてほしい。私たちのプレゼンテーションは結局のところ、行き着くところなんて何処にもなくて、ぐるぐる井戸の周りをまわっているだけなのではないのか。そう、私たちは盲目で手探りして歩いているようなものだ。静かに自分の心を深く覗いてみると、そこには傷ついた細胞で溢れていて、修復できないままに私の嘆きを待っている。そんな自己愛の塊みたいなものがずっしりと沈んでいるんだ。たとえたくさんのお金を持っていても、数十億円の高級車を乗り回していても、私の心には平安が訪れない。ただ唯一私のことを愛してくれる妻と息子の存在が苦しい状態から解放してくれていると感じるんだ。しかし、この喜びも、私がなぜ生きているのか、なぜこの世の中には苦しみや悲しみがあるのか、その悩みを解消するものではない。誰がこの無知を解決してくれるだろう?この世界にはたくさんの優秀な人間がいる。でも1人としてこの苦しみを解消してくれる人、癒やしてくれる人は1人もいないだろう」



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