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法の家.1


 この球形の大地(スフィア)、最大の大陸。

 北方続きに東西を二分する内海を抱いたその陸地のとある場所に、朱鷺色(ときいろ)の壁と蘇芳色(すおういろ)の屋根で(いろど)られた人家の(つら)なりはあった。

 小さな都市ほどの面積の土地に点々と散らばる、印象やわらかな人工物による景観。
 緑豊かな庭や耕作地、林、広野を等分にふくむ、人のなわばり。

 余人を寄せつけぬ森に囲われた広大な草原(くさはら)のど真ん中にあって。
 それは、大小・円形の平地を内に(いだ)きながら、ぐるりと放射状の盛りあがりをみせる凹状(おうじょう)の丘陵として存在し、その中枢から高みまでの六割ほどを占めている。

 三つの円をくの字に重ねならべたような矩形(くけい)平地(ひらち)御園(みその)として中央に残しながら、周辺にあまりある空き地を見て、気のままに外へ外へと土を盛り、整えることで拡張されてきた人工の住処(すみか)

 その人の在所(ざいしょ)郷邑(きょうゆう)は、いっけん、外部の者を閉め出すような門や(さく)をもたない開放的な造りをしていたが、過敏な人間が避けたくなるような異質な側面もそなえていた。

 そういった気配を漂わせているのは、主にその空中や地面・壁、道具類と(まじ)わり(から)みあって存在する異次元的な《()》。

 無数に置かれ、幾何学的な装飾品のごとく(えが)かれているのに、肉眼で見ることが適わない作為(さくい)的な規則性に由来する。

 《法の家》《神鎮(かみしず)めの家》《封魔舎(ふうましゃ)》《天守(てんしゅ)の館》《九翠湖(くすいこ)の……》…

 さまざまな呼ばれ方をするこの組織。居住区。《家》には、人と異なる空域を故郷とするといわれている《闇人(やみひと)》、そして、人に準じるものとして、《亜人(あじん)》と呼ばれる両者の混血種。
 三種の知恵と特性があみだした手法——

 荒ぶる魔的なものと交渉し、関係の融和(ゆうわ)をはかる上で有益(ゆうえき)な、ひとつの手段――(すべ)があった。

 誰が言いはじめたのか不明ななかにも、人々は、それを可能にする技の会得者(えとくしゃ)を、魔神・猛々しい神をも鎮めるものという意味をこめて《神鎮(かみしず)め》と呼ぶ。

 一軒の小さな邸宅が、かつては森だったこの一角に築かれてから、およそ一二〇〇年。

 ほんの数日で円形の草原(そうげん)と化したというこの土地に芽生え、根づいた技術と(きずな)は、大陸の西側に穏健(おんけん)なる秩序(ちつじょ)をもたらした。

 しかし、けっこうな知識量と精神力、人格および能力適性を必須とするその手法を習得(しゅうとく)できる者は、けっして多くはなく、
 それを前線で活用するにも、いつ結実(けつじつ)するともかぎらない条件が存在したため、つねに人手は不足していた。

 人間・亜人・闇人——

 おのおのが生きゆく環境と道徳……ゆとりと(すべ)をもたらした、その叡智(えいち)も万能ではない。

 限られた者が、あっちへこっちへと奔走(ほんそう)することで(たも)たれているその平穏は、いつ失われるかもわからない不安定さを秘めていたのだ。 

 🌐🌐🌐

「髪が水色っていうか、緑っていうかさ…。……青白かった」

「亜人だな。そうでなければ染めてるんだろ」

「ん。でも、うす汚れてて、闇人(やみひと)みたいな……変に赤い目、しててな」

「変化したのか?」

「いや。なにか……ありがちじゃないって いう(ゆー)かな。一色(いっしょく)なのに一色(ひといろ)じゃないような……(違う色が(ふく)まれているような)。とにかく変わってる気がしたんだ。頭の色は間違いなく。目も、変化しないかもわからなくて…――」

 整備のいきとどいた公園めいた敷地に、淡紅(あわこう)色の建物が不規則(ふきそく)にちらばるところ。
 こそこそ、ざわざわと、おちつきのない空気が回遊していた。

「怖い感じはしなかったけど、あんな薄霧(うすぎり)のかかった空とか青磁器(せいじき)みたいな色の髪――、闇人にいるなんて聞いたことがない」

「だから亜人だろ。(亜人は)いろんな色彩(いろ)の、いるじゃないか」

妖威(ようい)じゃないとは限らないだろ。どう見ても、ここに慣れていない感じでさ……。でも、そうだな、……うん。悪さしに来たんじゃなければ、依頼人なのかもしれないな」

「なんで声かけなかったの?」

「なんでって(目が合ったような気もしたけど、講習はじまりそうだったし……)……。安全にみえても危険かもしれないだろ。怪しいしな」

 いっぽう。

 その薄紅(うすべに)色の建物が連なる敷地の北側。

 (むね)(むね)をつなぐ屋根つきの廊下を五〇代なかばほどの中背の男が歩いていた。

 短くまとめられている灰色の頭には、かなりまで白い流れがまざりこんでいる。

〔……。総師(そうし)(※)。敷地に人が迷いこんでいる〕

 彼の背後でなされたのは、そのあたりの人類が使う響きではなく、その種(・・・)が用いる異種言語。
 いつからか男の後ろにいた少年の口から発せられた言葉だ。

 そこで足を止め、ふり返えった熟年の男は、なにを思ってか、これみよがしに意外そうな顔をしてみせた。

 そうして見いだした色白な少年を、挑発しているともつかない態度で意図的に見おろす。

 その男の青い瞳が(うつ)したのは、彼が生きてきた歳月の四分の一の時間も()てないように見える若い個体だ。
 金茶色の頭のてっぺんが、さほど背が高いほうではない彼の肩より、わずかばかり低い位置にある。

〔そうか。君に追尾されるなど、おかしなこともあるものだと思ったら、それが言いたかったのだな?〕

 とうの少年は、問いとも確認とも揶揄(やゆ)ともつかないその追及を興味なさそうに聞いて流した。

 ()えぎわから素直におりている、いくぶん長めの短髪(ショートヘア)。その部分部分には、表層の毛先数センチが頭部にそいながら後方に軽く流れなじむような癖が見てとれた。

 その瞳は、持ち主の気分や状態によって色彩が変化する不思議なものだ。

 半数ほどの闇人にみられるという、色相(しきそう)がいくつか存在する虹彩(こうさい)

 個体によって(そな)える色・発現の傾向が(こと)なり、(ふく)の色を秘めていようと色彩が混ざりあったり重なったりするような場面は、まず見られない。

 例外あるなかにも、通常は個が持ちうる色相(いろ)の内のどれか一色(ひといろ)表面(おもて)に現れるというものだ。

妖威(ようい)ではない。話を聞いてやったら?〕

 いま、そう告げた少年の瞳には、未成熟な外見にふつりあいな智慧(ちえ)(うかが)わせる、琥珀色の光がまたたいていた。




 ▽▽ 注釈 ▽▽

 ――ちょっと紛らわしいかな、と思ったので……

  ※ 《総師(そうし)》は、この組織における総合的な師――この家の代表を示す造語として設けました。
 総帥や総裁やらは、なとなくイメージじゃなかったのです。



 🌐🌐🌐

「――おい、おまえっ」

 声がかけられるのが先か、その子が相手の気配に反応するのが先か…――
 くるりとふり返ったのは、()せこけた十二、三歳くらいの子供だ。

 肩から背中にかけて、そのままにおりている不ぞろいな頭髪はボサボサで、緑とも青ともつかないくすんだ発色を見せている。

 大きく見ひらかれた瞳は、赤っぽい茶色……(いな)、赤紫色で、そのインパクトのある虹彩には、基調色としてある色彩と異なる色のきらめきが確認できた。

 闇人のそれに似通う印象を受けないこともないが、少なくとも一色(ひといろ)だけが表面に現れて見えるという種類のものではない。

 それと目をこらして観《み》れば、地色と思われる赤ワイン色の中に青と灰色と黄色の砂状の斑点(はんてん)が、ラメ片のようにひらめきちらばっているのが見てとれる。

 きらきらと、深くも浅くも推移(すいい)し。基調色としてあるワイン調の色彩に微細に(まぎ)れながら、さして強く主張することもなく虹彩襞(こうさいひだ)(ひそ)み、()けあってるようなのだ。

家長(いえおさ)が呼んでいる」

 声をかけたのは、(ひたい)に白金のサークレットをはめた二〇代後半の男だ。

 たちあがりがちな短髪は明るい金色で、肌はこんがりと日に焼けている。
 その彼が、園内の小道を辿(たど)って、迷いこんだ部外者に近づこうとしていた。

「どういう(ゆう)理由経過(わけ)でここにいるのか、話を聞くと言っている」

 警戒心を働かせたその子が一歩 退()くと、声をかけた男も足をとめた。
 それ以上、距離を縮めることなく、意思の疎通(そつう)をはかる。

「ここは《(しず)めの家》だ。用があるなら聞くが、事情によっては出ていってもらうことになる。北の窓口を通していないな? どうしてもぐりこんだ?」

「しずめ……」

(お…。男の子だな)

 その子の口からこぼれたのは、(かす)かに幼少の響きをのこすテナー。
 男が発した言葉の部分的な復唱にすぎないつぶやきで、問い返しとも独白的な(いぶか)りともつかないものだ。

 いくらか(ほこり)っぽいものの、過分も不足もない水準の衣類は身につけていている。

 手入れが充分とはいえない頭髪が胸までおりていて、遠目には見わけ(がた)かったが、そうして接近してみると、栄養の足りてなさそうな体にも男子らしい兆候(ちょうこう)が見てとれた。
 背丈が伸びるのも(さか)りの年頃の少年である。

「《法の家》は?」

「そうとも言うな。この家の呼び名は少なくない」

「《神鎮(かみしず)めの家》というのと《法の家》は、(やっぱり)おなじ?」

「そうだが」

「ここ、ここにヴェルダ、いる?」

「ヴェルダ?」

「いる?」

「私は知らないが……」

「いないの?」

家長(いえおさ)は知ってるかも知れないぞ…――ここの代表。先導師(せんどうし)(じん)のまとめ役。総師(そうし)老師(ろうし)ともいうが――今代は、そこそこでも、そこまでの(おとろ)えを言われるほどの年齢(とし)ではないな(少しばかり混じっている(・・・・・・)とも聞くし……)」

「そいつがオレを? 呼んでいるのか?」

「そうだ」

「どこ、行けばいい?」

「案内する。ついて来い」

「ん」

 危ぶむ気配をほの見せつつ、いそいそと近づいてきた少年を(なな)め下方に見た金髪の男は、なんとも落ち着かないような顔をして、そっと息を吐くと、宙空(ちゅうくう)に視線をはせた。

「おまえみたいなのを見ると、風呂にほうりこんで、その頭、なんとかして、(はら)いっぱい食わせたくなるな」

 🌐🌐🌐

 ぱっちりとひらかれた青と灰色と、黄の斑点(はんてん)がきらめく赤ワイン色の虹彩。

 そのなかにある漆黒の瞳孔がとらえがちなのは、通された部屋の壁際で、こちらを見るともなく立っているひとりの少年だ。

 人間であれば、十二、三歳の外見。
 そのくらいの年格好の同性を見かけると、つい、目で追いかけてしまう彼だったが、自分と同じくらいの年代だ。

 なんとなく気になりはしても探している人物は、自分より二、三歳上。
 十四か、十五か十六になっているだろうから、それではありえない――そう見当づける。

 それに、あれは……
 闇人だ。

 そこにいるのがあきらかなのに、存在感が皆無といっていいほどに薄い。

 自身の身に()う領域を占めながら隔絶(かくぜつ)されている感じで、まわりの空気が動かない。

 あきらかにそこにあるのに、まったくといっていいほどで、呼吸すらしてない印象をうける。

 どんなに気配を消すのが得意だろうと生きた人間には決して(たも)てない位相(いそう)

 そう認識すると、薄紅色(うすべにいろ)の館に迷いこんだ青磁色(せいじいろ)の髪の少年――セレグレーシュは、もうそちらを見ようとしなくなった。

(ほんとにいっしょに暮らしてるんだな……)

 そう思っただけである。

 いま彼は、再三(すす)められ、しかたなく腰をおろした数人がけの椅子にあった。

 重厚そうなテーブルを(あいだ)に置きながら。むき合う位置には、対面(こちら)(そろ)いのシンプルなソファに座した五十代半ばほどの男の姿がある。

「つまり君は、人を探しに来たんだね?」

「うん」

「しかし、君より()(さん)(とし)が上というだけでは…――」

「オレは、ヴェルダと呼んでいた。髪は……。……たぶん、金か明るい茶か、もしかしたら赤毛……。たしか……、陽色にも見える明るい色なのに、なんでか、ちょっと深い色が入っている感じなんだ。それでいつも顔の下半分を布で隠してた」

「ふむ…。…その響きは記憶にないし、覆面(ふくめん)をする者も、そのくらいの子には知らないが、顔に傷か(あざ)でもあるのかい?」

「ない。でも普段は隠してた」

「そうか。(おお)うていどにもよるが、覆面(ふくめん)をすると、けっこう印象が変わるものだろう?」

「知ってるから、会えばわかる」

 その少年は毅然(きぜん)と断言したが、対面の男はわずかに目を細くしている。

 事情を聞く側としては、それと(ほの)めかし、手ぬるく()さぶりをかけてみたわけだが、そうして返ってきたのは根拠がどこにあるのかも不明な決めつけだ。

 なぜ、そんなふうに探りをいれたのかを言えば――
 心までは読めぬまでも、その少年のしぐさに、いま口にした内容を自問自答しているような迷い、落ちつきのなさが見えていたからだ。

 そんな状態で「会えば(わか)る」と断定できる自信が、いったいどこから来るのか。

 まだ子供である。べつに子供でなくても、話す能力・考え方の癖、進度や体質はそれぞれなので、あいまいな部分は別としても。
 いい加減に対応していれば(だま)されたかもしれないレベルの微妙な変化……気配だろうと、言動に見え隠れしているとまどい・気持ちのぐらつきに気づいてしまうと、その主張が目の前にいる少年の希望的予測、もしくは思い込みとしか解釈できなくなる。

「――ともあれ」

 求めるものをちゃんと把握しているか否かは、つまるところ、その子自身の問題だ。

「そういう(ゆう)ことなら、受講生と、ここを利用する者をあたってみるか」

 懐疑的(かいぎてき)な事情は寄せ置いて――男が対処策(たいしょさく)提起(ていき)すると、そうと聞いたセレグレーシュが、たっと座面(ざめん)をおしやって立ちあがった。

「そうする!」

 そこで、ここの家長だという男は、両の手のひらで自身の左右の膝頭(ひざがしら)をとらえ、かるく突いて放すつような動作のもとに腰を浮かした。

 言われなくても同行するつもりらしい少年を視界に、油断大敵の代名詞のように言われる老獪(ろうかい)な男が、にこにこ微笑んでいる。

「では、少しまわってみるとしよう」

 手招(てまね)きするまでもなくついてくる少年をかたわらに見ながら、()は、それとなく言葉を投げかけた。

「君は、なかなか興味深い気をしている」

「……キ?」

「気配……存在の様式、命としての威力だ。霊力が高ければその容量も()傾向(けいこう)にあるが、必ずしもその方面に伸びるものでもない。(きわ)まるほどに存在感……または鋭利(えいり)さを()し、それを誇示(こじ)するように周囲に拡散(かくさん)する感性やカリスマのようなものと。……いっけん、なにもないようなのに瞭然(りょうぜん)としてくる…――限られた範囲に強い影響をおよぼす、虚無(きょむ)の中の秩序(ちつじょ)定力(じょうりき)……それと根ざした道具を()かせる才能とでも言おうかな。同時に存在もしうるのに、必ずしも均等(きんとう)には(あらわ)れない――似ているようで異なる資質・体質の裏と表と、側面のようなものだ。
 ――どちらも心身の成長にあわせて、(あらわ)れ方・精度……比率、特徴(とくちょう)も変化する。いずれにせよ、気に厚みや深みがある者。あるいは極度に微弱に思える者は、おうおうに強い《心力(しんりょく)》をそなえる可能性があるものだ」

「シンリョク……」

「うむ。(みが)けば光るもの。磨かねばとりとめがなく(さだ)まり(がた)く、ゆがんだり、ひずんだり、ゆるんだりしがちなもの。特殊な製法で造られた素材……《法具(ほうぐ)》と呼ばれるものを()かし、そこに、より思惟的(しいてき)な方向性を与えられるものをいう。一般に言われる人外の超常能力――《念力》《思念力》と反応が似ているようでも、本質的には異なるもので、そのへんにある物質――法具(ほうぐ)ではないもの、物体を(ねん)じて動かせる種類のものではないが……。(きた)え、掌握(しょうあく)すれば、直感、予測力は()ぎ澄まされる。どの方向にどう伸びるかは個人の資質、本人の努力次第だが、武術においても重要だろう」

「……ときどき聞くけど、それ、きたえると強くなるのか?」

「そうだ。君のは、ほどほどに見えながら表層下(ひょうそうか)のガードが固くて、特色を読み(がた)い。そういう(ゆう)(めん)では達人級だな」

 手なずけ顔の組織の代表と、青磁色の髪の少年が部屋から出ていく。

 その場にいたもうひとりの人物――
 金茶色の髪をした闇人(少年)は、さほど興味もなさそうに彼らを見送ってから、ゆるりと歩を踏みだした。

 その足は、十五歩ほどの距離を維持(いじ)しながら先を歩く二人の動きを追跡していた。
 対象の姿が死角に(はい)ろうと見失うことなく、確実に……。

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