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不穏

杉浦について歩いていると、先ほど目にした雑貨屋と似たような店が、殊の外多く並んでいるのが目に入る。
俺が聞くまでもなく、杉浦自ら率先してこの通りについて教えてくれた。
 
「ここ、はるかぜ通り、っていうんだ。ひらがなで、は、る、か、ぜ」
 
 辺り一帯に甘い香りを漂わせている、男だけではとても入れなさそうな雰囲気のケーキ屋から杉浦に目線を戻した。
ここをよく通るらしいくせに、まるで初めて来たような目で通りを見ていた。
それを横目に、俺は一つ頷く。

「ふうん、可愛い名前なんだな」

近くに『あんなところ』があるにしては、随分平和的なネーミングだと思う。
ラブホ街どころか、幼稚園でもありそうな名前じゃないか。

杉浦はここが気に入っているんだろうな、と暗に思わせるような雰囲気をまとっていた。
はるかぜ通りは、学校から俺の家までの道とは反対にある。
俺一人や、琴美と一緒でだって来ないようなところ。
デートの下見に歩いた通りからは少し離れているが、雰囲気と人の数は文句なしの場所だ。
杉浦を追いかけて正解だったなんて、善意の塊みたいな杉浦には失礼なことばかり頭をよぎった。
 
「夜船って、学校からの帰りは何使ってるんだ? 電車?」
 
杉浦も俺に視線を戻して、ふとそう聞いてきた。
よくある通学手段の会話だが、この話をする時の俺は大抵、ふふんと自信ありげに笑うのだ。
俺は、徒歩十分で登下校する生活を送っている。
 
「歩き。最寄り駅とは逆方向に十分。いいだろ」
 
初めて帰る相手とはよく話す話題でもあるのだ、返し方にも慣れていた。杉浦は、少しばかり目を丸くして笑った。
 
「へえ、マジでいいな。まあ、俺も徒歩なんだけどさ」
 
十分じゃとてもたどり着けない距離で通っているか、進学先を距離で選んだ故に近い連中か、俺達の高校の生徒はその二つにはっきり分かれていた。
自転車通学とか、電車で三駅以内とか、微妙な距離の生徒の話はあまり聞かない。
杉浦は続けざまに、愚痴をこぼすように、同時に少しの幸せも感じるような雰囲気で言う。

「片道二十分なのに遠くの店までおつかい頼まれるんだぜ」
 
杉浦は顔を綻ばせて目を細めた。
妹に頼まれたと言っていた買い物の事だろうか。
 
「信用されてんだよ。何人? 上? 下?」
 
聞いているこちらまでほっこりとするほどの空気に、杉浦に対しての興味は尽きるどころか徐々に増してさえいる気がした。
質問を気軽に投げられる勇気も聞きたいことも沸々と湧いてくるような会話は、幾分久しぶりで気分が明るくなった。
 
「あー、俺ん家多いんだ。俺より下が五人。あと兄貴も足して、俺も合わせて計七人」
 
「なんて?」
 
思わず素で目が見開いた。多いというか家計が心配にすらなる人数である。
杉浦は困ったように苦笑いした。
 
「七、ビックリだろ」
 
七は流石に、想像もつかない。
話からすれば杉浦は兄、こりゃあしっかりするわけだ。家では兄弟の世話も焼きながら学校では生徒会もやってのける、生粋の仕事人気質なんだろう。
杉浦は普通の奴だと踏んでいたが、そうでもなかったらしい。
並の人間じゃできないことができるから、放課後の教室で一人ポスターを貼ることもやろうとできるのかもしれない。
意外な事実に驚いていた俺をよそに、杉浦は、瞳をやや彷徨わせるようにしてから顔を寄せてきた。
 
「……夜船、ちょっと回り道してもいいか?」
 
その一瞬前に、杉浦が何かを伺ったように見えた。
何か目的でもできただろうか、寄りたい場所でもあっただろうか。
気のせいだったならいいが、何かを見て用事を思い出した……みたいな雰囲気で、不思議さを感じた。
どちらにせよ、俺は時間に余裕がないわけでもない、むしろ暗くなるほど危ないのは家の遠い杉浦の方だ。
本人がいいと言うなら、付き合って構わないだろう。
 
「ああ、いいよ」
 
俺が頷くと、杉浦は笑う。
 
「サンキュ。ちょっと、着いてきて」
 
そう言って、真っ直ぐに続く道を一直線に歩き始めた杉浦だったが、先ほどに比べると少し歩く速度が速くなったようだった。
心なしか、態度に焦りも感じる。
通りは少しづつ人の多さを増してきて、いつの間にやら結構な人数の中に居たせいで後を追うのが大変なくらいだった。

俺は不思議だった。
何なのか、見ているだけでは読み取れない感情が、今の杉浦を動かしている。
そんな風に見えた。
杉浦は、すぐにでも走り出していきそうで、それは、何かに間に合わないという焦燥でも行き急ぐような風でもない。
 
……まるで、何かから逃げるかのようなのだ。
 
とはいえ杉浦の顔はいたって普通で、多分俺の考えすぎなのかもしれないくらい、平然としてもいた。
俺は昔から人の感情に聡い方とは言われてきたせいで、今、杉浦が急いで逃げているのも間違いではないと思った。
 
……浮かぶのは、澄野先生。
もしかして、澄野先生と何かあって、俺を口実に逃げたいのか?
そうして詮索の意識も強くなってきたころ、杉浦は、少し顔つきが硬くなったようだった。
流石に強く、ひしひしと異様を感じれば、俺は杉浦に声をかけた。
 
「なあ、いったいどこに」
 
言葉は最後まで出ることもなく、杉浦の必死の呟きが被さって消えた。
 
「ごめん、付き合って」
 
意図の察せない言葉に首をかしげる間すらなく、杉浦の手が俺の手首に伸びる。
がし、と強く掴まれたかと思えば、そのまま杉浦の歩く速度に合わせ、どんどん引っ張られていく。
 
「まっ……ちょっ、大丈夫かよ!?」
 
言っておきながら大丈夫じゃないのは俺の方だったが、杉浦はいよいよ前しか見ていなかった。
俺の抗議に反応しない。
人の波をかき分けて器用に進む杉浦は、かなりこの道に慣れているようで、読めないリズムで曲がるその動きだけで酔いそうだった。
 
 今、俺は、何に付き合わされているのか?
 
思わず考えた。
杉浦は、多分ただの用事のために走っているんじゃない。
そもそも、真面目で善良に見えて、ホテル街で先生と会っているような人間かもしれないわけで。
腹に何を抱えているか分からないし、急に腕を引っ掴まれて訳も分からず走らされているわけで。
何か良くないことに触れてしまったように嫌な予感がした。

だが、目の前のこの杉浦という男は、俺に害を加えるようには見えない、思えないのだ。
このままどこかに連れていかれるわけでもないのだろう、多分。
信頼とかそんな大それたものでないにしろ、今はされるがままに身を任せるしかなかった。

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