バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

ありえない光景

次の日の学校は、気分が戻らないまま過ごすことになった。
今日彼女は? とか、最近一緒にいるとこ見ないね、とか、友人の何気ない問いが悲しいくらい胸に突き刺さるのだ。
あいにく俺はこういう時、今は気分じゃないから聞かないで、だとか言える器用さはない。
かといって、近頃うまくいってなくて、みたいに気軽に気持ちを話せる相手も居なかった。
というか、悩みを聞いてくれるのは俺の中で琴美の役割だった。
心の拠り所にするには、何故か俺の友人たちは、野次馬精神が豊富で落ち着かないからだ。
だから今日は笑顔のまま、終始モヤモヤを抱えて放課後を迎えてしまった。
 
 今日も送ったメッセージの後、琴美から返事はない。昨日、ちゃんと頼まれ事を果たした旨を送信したら、これまた胸の痛む話、明日も一緒に帰れないから待ったりとかしないでよね、と言われてしまった。
 
徐々に関係が悪化している。
 
そう思わざるを得ない、死にたくなるほど悲しいが、琴美から言われるほどの事をやらかしていたのだろう。
じきに別れを告げられるかもしれないその前に、琴美と仲直りせねばなるまいと今更の奮起をした。
 
 放課後、俺は友人からの誘いを振り切り、琴美を誘うための口実を探しに街まで出てきた。
知り合いにあまり見られたくないので、電車に乗って学校からはだいぶ離れたところまで来ていた。
この辺りの通りは、若い女性向けの飲食店やブランド店が多く、カップルのデート場所としても人気なのだ。
カフェの期間限定メニュー、リニューアルオープンした雑貨屋、恋人割のある映画館。
どれかが琴美の気を引いてくれますようにと、ルートも研究しながら歩き、気づけば辺りは暗くなっていた。
紫と橙がまじりあう夕闇の空に、ふと琴美は暗くなる前に帰ったのか気になり携帯を見てみるが、連絡が入ったならその時点で反応できるはずなのだ。
案の定新しいメッセージは入っていなかった。
気を取り直し、さあ俺も帰ろうかというまさにその時である。
 
街の隅、路地裏に差し掛かる暗い道を、見たことのある姿が歩いて行った。
その背に俺は安堵の感情を覚えた。
たった昨日喋ったばかりなのに、見かけてラッキー、お前ならと、何か期待を寄せている。
杉浦だ。
 
「杉う……!」
 
杉浦、と叫ぼうとして、俺はその息を吸い込み止めることになった。
 
杉浦はその時誰かと話していて、隣に立っていたのは、澄野先生らしき後ろ姿だったのだ。
咄嗟に声をかけるのを止めたのは、 単に声をかけてはいけない空気を感じ取ったからだ。
それは何も、杉浦と先生が話しかけづらい空気を纏っているからというわけではない。
俺が、あの二人を知っているからこそのものなのだ。
あの二人が、姉弟でもなく、親子でも友達でもなく、教師と生徒という関係であると分かるからだ。
異性の教師と生徒が、放課後に2人きり、なんて。
しかも2人は、制服とジャージ姿では無い。
むしろ、ジャージを着ているのは杉浦の方だし、澄野先生はジャージでないにせよ目立たない色のシャツを着ている。
明らかに、教師と生徒だという関係だとしてもおかしくて、声をかけられるわけがないのだ。
あとは度胸のなさと、ちょっとした興味がこの感情を作り上げているに他ならない。
あの杉浦が、何故だか澄野先生と居ると生き生きしている理由が分かるのかもしれない、という興味が。
 
澄野先生も、いつもとはまた違った余裕があるように見えた。
幸い気づかれていないように見えたので、俺はそのまま、二人をじっと見ていた。
こんな質が悪いことを、と自省するには、俺は性格が悪すぎる。
気になるから少し見るぐらい、別段悪いことにも思えなかった。
それが覗きに似た行為なのだとしても。
こっそり見ていると、直に歩き出した二人の姿を、俺は自然に追っていた。
 
 路地裏に入っていった彼らを追うと、そこは所謂ラブホ街だった。
その道を通った先にラブホ街がある、ということすら初めて知った。
刺激の強い経験に、思わず息をのむ。
辺りを歩くだけならばまだしも、今は男女を追っているのだ。
友人になれるかもしれないクラスメイトと、学校の女教師を、大人の遊び場で。

 ――もしかしたら、もしかするんだろうか。

二人は、愛し合っているんだろうか?
慣れたように平然と夕方の街を歩く二人は、逢瀬を楽しんでいるにしてはどこか冷めた顔をしていてる。
わけが分からない、でも、男女でここを歩いている理由なんてどう説明したものか。
この近くに用があるにしても、一緒に歩くくらいなら別のルートを探すはずだ。
見つかったらそれこそ大問題なのだから。

 杉浦、お前はあんなに一緒にいて落ち着くいい奴なのに、まさか、先生と「そういう関係」なのか……?
 
 そればかりが気になって仕方なく、気付けばなんとも必死な顔をしている自分が反対側の窓ガラスに写っていた。
ふと、先生が杉浦に何か耳打ちして、人ごみの中、二人して急に速度を速めてどこかへと足を進めてしまう。
 
「あっ……!」
 
思わず声を漏らして、慌てて後を追った。
2人を追って、周りの風景になど目もくれずに走る。
だがそれもむなしく、はや二人の姿は見えなくなっていった。
いつもより早くなっている心臓の音を聞きながら、場違いな場所にただ1人立ち尽くす俺だけが、人様の通行を邪魔している。

 ――まだ真相なんて分かったもんじゃないのに。
何故だか、本当に自分でも分からないまま、あの二人が、ひいては杉浦の事が気になってどうしようもなかった。
たまらなく、いつもと同じ笑顔の中に非日常を秘めたようなあの空気が、なんだったのか確かめたかった。
今、必死になって歩いて二人の影を探し続けるくらいに。
 
しばらく歩き続けて、きょろきょろとせわしなく眼玉を動かしても、まだ見つからない。
もしかしなくても、もう二人きりになっているのか? そんな風に下世話な思考が働きだしたときだ。
 
「夜船?」
 
その声に、途端に背中に緊張が走った。
ああ、なんでだろう、おかしいな。
昨日聞いたばかりの、杉浦が俺を呼ぶ声。
先ほど追っていたはずの彼の声。
 
「……杉、浦?」
 
振り返ると、いつもと変わらない風体で、驚いたようにこちらを見ている杉浦が居た。

しおり