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浮かれ心地に


「……杉浦か!」
 
作業がてら色々と話して、名前を聞き出すことができるととてもすっきりした。
 
杉浦 柊。
 
サ行の人には悪いが、出席を取る時なんて一番興味も失せている頃に呼ばれる苗字じゃないか、通りで覚えてないわけだ。
まあそれでも、名前を聞いたら思い出せる存在ではあったが。
思わず聞いたその名を叫ぶと、当の彼、杉浦は苦笑いした。
 
「はは……一応、覚えててくれてたんだな」
 
ポスターを貼り付けるためのテープを切り取りながら、杉浦は仕事を続けつつ口を開く。
 
「俺も君の名前覚えてるよ、夜船だろ。話すことはなかったけど、印象的な奴だったからさ」
 
杉浦は、媚びた風でもなく、自然な口調で言った。
一年の時同じクラスだったよな、という俺の切り出しから、ずいぶんスムーズにいったものだ。
相手もこちらを覚えてくれていたから、それが意外だった。
全然タイプが違うし、それこそ軽い奴だと思われてそうだったのに。
 
話によると、杉浦は俺に割と好印象を抱いてくれていたらしい。
明るくて節度があって気遣い上手、だとか。
小学校の通信簿に書かれていそうな言葉で褒めてくれるから、思わず笑ってしまったほどだ。
しかし、優しい態度を意識するのも表情を出せるよう心がけるのも、そうあれるようにという日頃の努力だ。
周りから見た印象が俺の理想に近いと分かると、報われた心地がして暖かい感情が胸中を染めた。
杉浦はきっと本心で言ってくれているから、それも含めて少しばかりくすぐったかった。
 
しばらく話しながら作業をしていると、手の中にある紙の枚数は減って軽くなってきた。
特に苦があったわけでもなかったので、感覚的にはあっという間だった。
 
杉浦という人物は、話せば話すほど、驚くほど真面目でお人好しな性格であることが分かった。
別に八方美人に振舞っているわけではないのに『良い人』に見え、嫌いなものや苦手なものもはっきりと口にする一方で、全くそれに嫌味がない。
ただの真面目君、と言い切ってしまうにはそぐわない、不思議な魅力があるようだった。
 
「案外優しいんだな」
 
ポスターもあと一枚という時、ふと隣を歩く杉浦が言った。
 
「え?」
 
思わぬ言葉に、杉浦の顔を確認すると、杉浦は、目が合った途端はっとした様子で苦笑いした。
 
「いや、悪い意味で言ったんじゃないんだけどな」
 
そりゃあ悪い意味で言う奴だとももう思ってないが、褒め言葉でいいんだろうか。
まだ半信半疑でいる俺に、杉浦は聞かせる。
 
「もっと、他に友達とか彼女を優先するというか……大して仲良くないやつに都合よく手伝いとかさ、断られるかと思って。何でそんなことしなきゃいけないの? とか言われてもおかしくないし」
 
言葉を選ぶ様子を見せつつ、偽りのなさそうな態度で、杉浦は申し訳なさげに言った。
 
「あんまり困ったもんだから、最終的には声かけたけど。夜船がそんな酷い奴じゃないのは分かってたし……ただ、きもがられるかと」
 
なるほど。
杉浦の方も、俺と同じように、そういう懸念を抱えて躊躇していたわけか。
こいつもそういうことを考えてしまう奴なんだと分かった。
あと、声をかけるくらいなら嫌な顔はしないし、割と話しやすい奴だということも分かった。
俺は笑うと、共感するように話す。
 
「俺も、きもがられるかと」
 
杉浦は驚いた顔で目を丸くした。
 
「そんなわけないだろ……!」
 
「その言葉を俺もお前に言いたかったけど。最初は勇気いるもんだよな」
 
笑いながら言うと、杉浦は目をぱちくりさせて、やがて納得したように笑う。
 
「ああ。勇気出して良かったよ」
 
二年にもなって、あまり話したことがない同級生とこんな話をしているなんて、正直驚いている。
学年が上がってから、俺の周りに居る友人は固定化されてきて、新たな友人を作る機会はあまりなかった。
茶化し、茶化しあい、時にふざけ倒すような、明るいグループに属している。
だから、杉浦のように落ち着いた良い奴と話ができるのは、何だか心地よかった。
こちらが気を使うばかりではなく、相手もこちらとの距離を測り方を考えながら、少しづつ近付いてくれる。
当たり前のようで難しいやりとりに飢えていたんだと痛感した俺は、最後の目的地である図書室までの道を、タンタンと軽快に下りていくのだった。

 図書室に着くと、杉浦は静かにドアを開ける。
 
「さて、どこなら貼っていいか……」
 
杉浦の後ろについていきながら、その仕草を真似るように掲示物の多い図書室の壁を見渡した。
以外にも図書室は張り紙が多く、貼れそうにないくらい壁が埋まっている。
入口に二人で立ち尽くしていると、室内から女性の声がした。
 
「なに、なんか用?」
 
どうやら俺達にあてられているらしいそれに、二人で振り向いた。
ああ、どこかで聞いたことがあるなと思ったら、古典を担当している澄野先生だ。
授業中もそうだが、野暮ったいジャージ姿で、色々適当なところのある人。
いわゆる、残念美人だ。
国語系の教科を受け持っているとは言え、お世辞にも読書しそうなタイプには思えないが、何故図書室に居るのだろうか。
 
「あ、澄野先生……」
 
杉浦も驚いている……わけではなさそうだ。
杉浦は名を呟いてすぐ、先生の方へ歩み寄っていくと、用件を話し始めた。
 
杉浦は随分と先生と話すのに慣れているようだ。
言葉遣いや会話運びに迷いがなく、丁寧で、同年代として素直に感心した。
それに比べて先生は、話を聞く間も自分の耳に指を突っ込んでいて、気だるげな態度でいるから苦笑いものだ。

澄野先生は、杉浦から用を聞き終えると入口付近の壁にある別のポスターを指して言った。

「んじゃ、そこに貼ってあるやつはがしな、もう掲示しなくていいやつだし」

「わかりました、ありがとうございます」

礼をした杉浦に倣って俺も一礼すると、ひらりと手を振る先生を横目に、俺たちは顔を見合わせて作業に取り掛かった。

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