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【三】初めての料理

「ん……」

 青山がソファで携帯型コンソールに指を走らせていると、そばで寝ていた篝が目を醒ました。そちらを一瞥した青山は、篝についてまとめていたデータを特別警務班のオフィスへと送信して、ホログラフィックモニターを消失させた。

「目が醒めたのならば、服を着ろ。足下に用意してある。体は清めておいた」

 青山が平坦な声で告げると、瞼を擦った篝が頷いた。
 それから喉に手を当てる。

「――、……声、まだ出るんだな」
「ああ。日常生活上は、特に封鎖する必要は無いと判断した。外部に伴う場合は原則封じるが」
「そ、そっか……」

 おずおずと細い指を伸ばして衣類を手に取った篝が、身につけ始める。
 シャツの襟元を正しながらそれを見ていた青山は、着替えが一段落したとき、改めて尋ねた。

「それで、三つ目の希望を聞いておく。何を希望する?」
「……それは、今すぐ決めないとダメ?」
「ああ。先延ばしにするようならば、希望はないものとする」
「……だったら」
「なんだ?」
「私、恋がしてみたい」

 ぽつりと篝が言った。青山が腕を組む。

「恋人役をするような人材派遣サービス業の人間は、基本的に一般市民だから困難だ。誰か適役を探すとすれば、それは刑務官となる。そしてお前の担当をしている特別刑務官は俺だ。お前の恋愛ごっこを手伝えるのは、俺のみだ。それとも肉欲の解消といった即物的な意味合いか? それもまた、俺がケアとして行うが」
「っ、そうじゃなくて……本物の恋!」
「本物? お前は芸術家だ。結婚にすら自由は無い」

 青山はそう答えつつ、少し思案した。そもそも、恋に本物や偽物があるという観点が無かったからだ。告白してきた適度な相手と付き合い、維持できなくなれば別れる。それが過去の青山の恋愛関係だ。そしてそれは、別段珍しい価値観ではない。

 ――これだから、感受性豊かな芸術家は。

 最初に抱いた感想は、それだった。

「私……貴方に恋、出来る自信が無い」
「安心しろ。俺もお前を愛する未来予想図はまるで描けない」
「なら、他の人が良いよ」
「探してみるが、期待はするな。見つかるまで、その希望は保留とする。ところで篝」

 そう告げると、青山はアイランドキッチンを見た。その眼差しは、冷めている。

「家事がしたいのだろう? 食材は補填しておいた」
「あ……うん」
「試しにやってみたらどうだ?」
「う、うん!」

 それを聞くと、篝が大きく頷いた。その顔には表情らしい表情は無かったが、声が僅かにうわずっていた。着替えた篝が、キッチンへと立つ背中を、青山が腕を組んで見守る。これは希望を叶えた形でもあるが、半分程度は観察するという仕事だ。

「ええと……」

 篝はまず、包丁を手に取った。御堂学園の調理実習で、二度だけ触れる許可を得た事がある。それから、流しの上にあったカゴの中から、ピーマンをとりだした。

 まずはそれを切ってみる。歪な形になってしまったが、自分としては上手く切れた。
 続いて、トマトに取りかかると、まな板の上がべちゃべちゃに汚れてしまった。
 それでも気にせず、トマトとピーマンを切り続ける。

「篝、一体何を作るんだ?」
「え? ええと……何が出来るかな? 生じゃ、食べられない?」
「その大量のトマトとピーマンが、そもそも俺達二人の胃に入りきるとは思えないが」
「青山も食べてくれるの?」
「問題点はそこでは無いだろう……」

 青山は嘆息してから立ち上がった。そして切り刻まれたトマトとピーマンを見て、呆れた顔をする。

「トマトはソースにして密閉し、保存しておく。それ以外のソースと、ピーマンでパスタソースを作る。鍋に塩を入れてパスタを茹でることは出来るか?」
「や、やる! 塩はどこにあるの?」
「すぐ目の前に、SALTと書かれた瓶があるだろう。それが塩だ」
「な、なるほど。パスタは? 鍋は?」

 一つ一つ丁寧に、青山は位置を教える。これは、篝の希望を叶えるために必要な事柄だと判断しての行動だ。こうして二人は、なんとかパスタを完成させた。それを皿に盛り付けて、二人でテーブルに並べて座る。

「料理……できた……私、料理が出来た!」
「ああ」
「一紗は絶対に私にはできないって言ってたの。見せなきゃ。一紗は何処にいるの?」
「兄は……病院だ」
「え? 怪我? 病気?」
「――機密事項だ。次に面会に行った時に、機会があれば俺から伝えておく」

 脳死状態の兄の横で、雑談を披露することで、嘘を回避できるのならば、易いものだろうと青山は考えていた。ただ漠然と篝が兄の件を知らないと言うことは、別行動中だったのだろうかとも考える。

「そっか……じゃあ、青山も辛い?」
「ん?」
「兄弟……なんでしょう? 家族が、入院してたら……辛いと思って」

 本当に芸術家は、想像力が豊かで困ってしまうなと青山は考える。
 ある意味において、それは優しさであり弱さである。それらが芸術を生み出すのかもしれないが、優秀な蒐集家であり鑑賞能力を保持する青山には、理解が困難な事項だ。だが、言うことは決まっている。それもまた、ケアの一環だ。

「――優しいんだな、篝は」

 笑顔を浮かべることも忘れない。日常的には笑う方ではないが、表情の作り方の訓練は受けている。唇の両端を僅かに持ち上げて、青山は続けた。

「この世界には、芸術家の手で家族を失い、もっと辛い目に遭っている者が大勢いる。犯罪者の排除に、力を貸してくれるな?」

 バディたる特務級の感情表現者との信頼関係の構築は、特別刑務官の業務の一つだ。内心はどうあれ、と、青山が考えていた時だった。

「別に、そんな事を言われなくても、作り笑いなんかしなくても、私は殺るよ。それしか、私が生き残る術はないし。一紗も最初はそうだった。その顔、決まってるんでしょう? その台詞も」
「――ああ、兄も余計な知識を齎してしまったようだな。その通りだ。では以後、俺はお前に優しくしない。だが、お前は働くように」

 パスタを巻き取りながら青山が言うと、篝が神妙な顔で頷いた。




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