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【序】ヨセフからのメッセージ


 ――西暦2217年、第八シェルター・日ノ本。
 第六エリア・旧第三東北市。
 そこにここ、日ノ本国最大の、感情表現者(センシティブ)収容矯正施設・御堂(みどう)学園は存在する。

 AIが全ての芸術作品を生み出すようになって、早150有余年。
 芸術作品は、人間が生み出すものではなくなった。
 人間は、鑑賞する存在であり、芸術を生み出すのはAIの仕事である。今、人間はAIが生みだした芸術作品にしか、感動しなくなった。しかしながら、一定の例外は存在し、彼らはセンシティブと呼ばれている。人格の矯正を行わなければ、将来的には違法な存在である芸術家(アーティスト)になり、犯罪行為に手を染める者が出てくる。

 この御堂学園では、そんな感情表現者だと認定された児童・生徒を収容し、人格的な矯正を行い、犯罪を未然に防いでいる。彼らが決して、自ら芸術作品を生み出す――人間の手で違法な芸術作品を生み出すアーティストにならないように、監視し、教育する機関、それが御堂学園だ。

 一度芸術家になってしまえば、その者はもう二度と、一般市民には戻れなくなる。
 そうなれば、蒐集家(コレクター)と呼ばれる警邏庁の公的な機関に、排除される事となる。待ち受けるのは、基本的に、死だ。

「ねぇねぇ(さく)。聞いた?」

 ぼんやりとしていた朔は、その時隣の席の陽向(ひなた)に声をかけられた。
 顔を上げると、陽向は周囲を一瞥してから、ぐいと顔を朔に近づけ、両頬を持ち上げる。

「また、『ヨセフ』からメッセージが届いた人がいるんだって」

 ヨセフというのは、学校の噂の一つだ。
 なんでも矯正実習中に、この学内の生徒の端末に、古風な手紙の形をした表示が出て、それを開けると『真実が知りたくないか?』というメッセージが届くらしい。そのメッセージの指示に従うと……もうこの場所には戻ってこられなくなると、専らの噂だ。

「どうせ、噂だよ。学園はオフラインだし、外部からのメッセージなんて届くわけがない」
「でも、朔? 内部からなら分からないよ?」
「それなら指導官の先生達が、ログですぐに気づくよ。それより、課題は終わったの?」
「あ……お願い、ごめん、見せて? ね? 食堂で奢るからさ!」

 陽向が手を合わせたので、朔は呆れた顔で頷いた。
 ここ、御堂学園では、矯正の一環として、各々が過去に感じ取ってしまった芸術と向き合う訓練が行われている。朔が収容された理由は、四歳の頃にAIが生みだした絵本を読み、自分でも書いてみたいと、画用紙に空想した文字を書いた結果、顔面蒼白になった両親に通報され、ここへと放り込まれた。芸術家が身内に生まれる可能性は、人々に恐怖以外の何者も与えない。それは実子であれど、例外ではない。もう、朔は両親の顔を思い出せない。同様に陽向も文字で芸術作品を綴り、ここへ収容された。二人は『小説区画』で矯正を受けている。区画ごとに課題があって、今回は漢字の書き取りが二人に与えられた課題だった。

 朔は優秀な生徒だ。
 黒い髪に青い瞳をしていて、容姿も整っている。優等生中の優等生で、誰よりも真面目に芸術と向き合い、自分を矯正している。

 それは、朔から見れば、この矯正自体が――芸術を生み出す事に非常に似ていたからだ。端末を与えられ、そこに好きなように小説を綴ること。それを矯正だと周囲は呼ぶが、朔からすれば、日がな一日小説を書いていられる、幸せな環境に他ならなかった。その他の矯正講義も、漢字の書き取りであったり、文法であったりと、全てが小説に役立つ。

「学食はいいよ。私、少し自習がしたいから」
「そ? じゃあこのノート、借りておくね」

 頷いてから陽向と別れ、立ち上がった朔は自習室へと向かった。そこには、制服姿あるいは入院服姿のセンシティブがいる。センシティブには階級があって、特務級センシティブ、第一級センシティブ、第二級センシティブ、第三級センシティブがいる。特務級は――芸術家と等しい。制服を着ている児童・生徒は基本的にまだ矯正の余地があるとされている第三級の感情表現だ。第一級センシティブと第二級センシティブは、程度に応じて患者あるいは犯罪者予備軍として、治療を受けている。彼らが薄い青緑色の入院服姿だ。

 その中に混じって、朔は端末を起動した。
 そしていつも己が小説を綴ることが許されているIDとパスワードを入力する。
 ――小説ファイルは、保存する事を許されない。だから、先程まで書いていた小説も、フォルダの中にはもう存在しない。起動する度に、ファイルは消失している。しかし矯正課題として、続きを書くというものが存在する。なくなってしまう前の話の続きを、ずっと書き続ける。新作や短編も書くのだが、長編は始めたら完結するまで書き続けるのが課題だ。中には飽いてしまって、途中で打ち切りのように完結させる者も多い。

「……何処に行くのかな、私が書いた小説って」

 きっと機械の仕様で消えるのだろうとは思っている。
つまり自分の頭の中にしか、続きが無いように、前の話も無いのだろう。
 朔がそう考えていた時だった。
 画面に、手紙のマークが現れた。目を疑ってから、周囲に素早く目を走らせて、朔はおそるそろる手紙のマークを選択する。

『君の小説が何処に行くのか知りたいんだね? ならば、真実を教えてあげよう。今から、私が言う通りの路を通って進むといい ――ヨセフより』

 その文面を見て、朔は息を飲んだ。
 本当に、ただの噂ではなく、ヨセフが存在する……? その事にも驚いたが、胸がどくんと啼き、冷や汗をかいたのは、別の理由からだ。

 ――真実を。
 ――小説が何処に行くのかを。

 朔は知りたかった。



 ――三階の校舎の右から二番目の教室に入り、一番左の窓を出て、パイプを伝って進み、理事館の屋上に通じる扉から――

 ヨセフの指示通りに、朔は進んだ。
 そして、到着した先は、理事館の最上階にある、鉄製の扉の前だった。

『鍵は開けておいたよ』

 その言葉の通り、朔が扉を開けると、中に入ることが出来た。

『そこで君は椅子に座り、ヘッドギアを装着すればいい。そうすれば、小説が何処に消えたのか、すぐに分かるよ』

 ――朔は、知りたかった。
 ――そして出来ることならば、過去に生み出した己の作品を読み返したかった。

「……これが、起動スイッチ」

 ヘッドギアを装着し、指でコンソールに触れる。すると周囲の暗がりに、無数の文字が躍った。流れていく活字の波を目で追う内に、朔は気がついた。

「これ……私が考えた話……? そっくりだ。だけど、私はこんな表現はしてない。ここには感情描写を入れたし、ここはこんな漢字は知らない。よく似た話……には、ちょっと思えないよね。似すぎてる」

 手を伸ばすと、文字の波がこちらにやってくる。
 暗い世界で青白く光る文字を、必死で読めば、やはり自分の小説によく似ているのに、どこか違うものがそこにあった。

 ヴンと音がしたのはその時だった。

『最新版データを追加します』

 その声と共に、先程まで朔が打っていたものと同じ文章が流れ込んできた。

「っ、やっぱり私の……」

 今度こそ、間違いなかった。
 いくら似ている作品が世にあれど――ペンネームまで同じだなんて、そんな馬鹿な話があるわけがない。『篝朔(かがりさく)』という筆名が、そこに書かれている。本名はもうない。収容された時点で、名乗ることを許されるのは、管理番号か筆名等のみとなる。

 光のカーソルが、朔の小説の添削を始める。

「あ……」

 朔が力を込めて書いた描写は削られ、起伏は平坦に変えられ、代わりに分かりやすいエピソードが追加され、朔の知らない難読漢字が追加され、書き換えられていく。物語の筋は変わらないが、それはもう、朔の生みだしたものとは異なる。

 ズキリと胸が痛んだ。
 自分の作品が、勝手に改竄されていく。
 そんなものを生み出したかったわけじゃ無い、違う、自分が本当に書きたかったのは、今削られたその場面が絶対に必要で――……

「っ」

 ビリっと、背中から電流が走ったのはその時だった。

「センシティブを確保しました。侵入者です」
「何処まで見られた?」
「今確認しますが――どのみち、ここ(・・)の真実を見たのですから、処刑コースでしょう」
「あーあ。まだ若いのにねぇ」

 朦朧とする意識でそんな声を聞いた直後、朔の意識は闇に飲まれた。



「っ、……」

 次に気がつくと、朔は椅子に座る形で拘束されていた。
 指先を動かそうとしたが、自由にはならない。息苦しさを感じた時、首に何かが嵌められている事に気がついた。冷ややかな感触をしている。

「目が醒めたか」
「……」
「ああ、答える必要は無いというか、君はもう自分の意思では発声できない。今、君の首には、管理ツール・塩の柱が嵌められている。機能として、顔及び足以外の全ての身体動作をこちらで任意に管理し、声帯を封じ、飲食を禁じ、代わりに栄養素を補給、他には有事に備えて君を気絶させる電流と爆発物が内蔵されていて、位置管理をするGPSも仕込まれているんだ。これは――特務級感情表現者、即ち芸術家への処置ツールだ」
「……」
「もう君には、自分の意思で許される事は何も無くなった。以後、君は芸術家として、警邏庁付属特別刑務官――通称コレクターの管轄下におかれる」

 朔は、何を言われているのか理解が出来なかった。
 瞬きをした時、ズキリと頭が痛んだ。

 ――そうだ、AIが自分の小説を……盗作していた。
 それを見た直後拘束されて、どうなった?

『助けて、朔!!』

 陽向の声がする。自分は、陽向の首を刎ねた。足下には無数の遺体。手だけ、あるいは足だけ、もしくは――陽向のように首だけになった、矯正施設の生徒達。何が起きたのかは分からなかったが、自分が殺した事だけは理解できた。だが、いつ? 自分の記憶は、捕らえられた次が今だ。

「篝朔。君は、猟奇的な小説作品を執筆し、その空想世界に浸るあまり、己の芸術を現実に再現しようとし、小説の中の通り、多くの人々を殺害して、自分の芸術を外に表現した。立派な芸術家――即ち犯罪者となったんだ。御堂学園の生存者は二名。それ以外の全てを君が殺戮した。覚えているかね?」

 ピーピーピーピーと音がした。
 そうだ、AIの活字を見た後、連れて行かれて、一度目を醒ました。
 するとヘッドホンが嵌められていて、そこから音がした。それを聞くと、体が勝手に動いた。

『今より矯正学習システム・殺戮の天使の挙動を確認します』

 そう声がした直後、勝手に動き始めた体が――全てを、殺め、壊した。

『ああ、凄いな。これなら、“狩り”にうってつけだ』
『早く“ヨセフ”を名乗る者を排除しなければ』

 何年、あそこにいたのだろう。
 ずっと、人を殺す訓練を受けていたのでは無かったか? 自由にならない体が、人殺しの手法を覚えていくのを、その内遠くなった理性で見ていて、最後には耐えられなくなって内にこもって、心はもう壊れてしまったと思っていたのに。

「篝。今日から、君は警邏庁所属、特別刑務官の管轄化に入る。そして、君と同じ特別指定表現者である――芸術家を捜索・逮捕・排除する任務についてもらう。拒否すれば、君は処刑される。人間は芸術家の作品には感動しない。芸術家が芸術家であると見分けられるのは、同じ芸術家か感情表現者のみだ。君は刑務官の手となり足となり……武器となり、盾となり、以後、芸術家を排除してもらう事になる」

 そう言うと、黒いスーツに黒いネクタイをした青年は、立ち上がった。

「私は、青山一紗(あおやまかずさ)。君を担当する特別刑務官だ。まだ混乱しているのだろうが、君は今特別治療院で観察下に置かれている特別指定表現者の中では、比較的意識が清明だ。少しずつ薬が抜ければ、もっと思考がはっきりするだろう。それを見守り、今後の仕事を教えるのもまた、私の仕事だ。なにも、心配する必要は無い。さぁ――立つように」

 足首の拘束が外れた。
意識的には、前に倒れそうになったというのに、青年の声に従い、体が勝手に立ち上がる。朔にとっての――篝にとっての新たなる始まりは、紛れもないこの時点だった。





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