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「何もかも面倒になったのです。長女にも酷い人生しか与えてやれなかった。次女も王妃とはいえ幸せそうな顔を見せたこともない。その上三女まで殺されそうだと言ってくる……私はどうすれば良かったのでしょうね」

 二人は黙ったまま窓の外に視線を投げた。
 誰一人幸せそうな顔をしていないこの部屋に差し込む日差しは、天使からの贈り物のように輝いていた。

「ロナードは……歪んでいます。手元に居れば少しは矯正できただろうし、私もまだ引退するほどの年でも無いんだ。いくらでもやりようはあった……しかし奴は人としてダメです」

 年を取ってからの子供は特にかわいいと聞くのに、なぜ辺境伯は諦めてしまったのかとシェリーは疑問に思った。

「なぜそこまで突き放すのです? あなたの子供でしょう?」

「ええ、間違いなく私の子です。しかしその中身は粗野で野卑でどうしようもない。いくら愛情を掛けてやりたくても私には仕事がある。彼女はあいつを産んですぐに死んでしまったのです。あいつは人として大切なことを知る前にこの手から離れてしまいましたよ。可哀そうだがどうしようもない。血だけでバローナの王になれると信じている」

 なんとも言い難い感情がシェリーの胸に広がったが、口に出すべきではないと判断した。

「ミスティ侯爵の弟が私と同級です。あいつは良い奴だけど国王の言いなりになるところがあった。あいつが仲介役としてロナードをミスティ侯爵家に連れ去りました。あの日から会ってもいない。何を吹き込まれたのか知らないが……」

「ヌベール領は? どなたが継ぐのです?」

「後妻の兄に継がせます。彼女が嫁いできたときに一緒にこの地にやってきたのですよ。立場としては妻と同じバローナの王子だが、妻と同じ母を持つ彼も虐げられ気にを捨てましたからね」

「黒狼……」

 レモンの呟きが部屋に響く。

「やあ! ご存じだったとは光栄だ。改めて自己紹介しよう。私が今は亡きヌベール辺境伯夫人の兄で、この領の騎士団長を務めているエドワード・ヌベールだ。ああ、苗字が違うのは妹が亡くなった後で養子として迎えてもらったからだよ。だから私が長男でロナードは次男ということになる」

 覆面の男が恭しいほどの態度で礼をした。
 レモンがひゅっと息を吞んだ。

「黒狼エドワード……」

「君のような優秀な騎士に、その名を知ってもらっているのは光栄だ」

 エドワードが覆面を取り払い素顔をさらした。
 レモンの目が見開く。
 シェリーも呆気に取られたような顔をした。
 
「あら! なんて素敵なのかしら。ものすごい美形だったのね。なぜ隠していたの?」

 シェリーが敢えて揶揄うように言った。

「光栄です。皇太子妃殿下。隠していたのは下手に惚れられると困るからですよ」

 シラケた視線を向ける自分の後ろで、口がきけないほどの衝撃を受けているレモンを見て、シェリーは嫌な予感がした。

「レモン?」

 シェリーの声に反応したレモンがゆっくりと顔を向ける。

「……申し訳ございません。取り乱してしまいました」

 エドワードが嬉しそうな声を出す。

「あれ? 惚れちゃった? よくあることだから気にしないで」

 いけしゃあしゃあと言ってのけたエドワードがシェリーに向かって声を出す。

「妃殿下は? お好みではありませんか?」

「ええ、そうね。良いとは思うけれど我が夫の方がずっと好みだわ」

「ははは! それは重畳。しかし皇太子殿下は顔に痣を持たれたとか?」

 シェリーは一瞬迷ったが、冷静な声を出した。

「知らないわ? いつのことかしら。私は長いこと夫の顔を見ていないのよ」

「腹の探り合いはやめましょう。我々の情報網を侮って貰っては困る。あまり時間が無いのだから、無駄な時間は割きたくない」

 ぐっと顔を引き締めたエドワードが低い声で言った。
 シェリーはどこまで信じて良いのか迷い、言葉を紡ぐことができなかった。
 辺境伯が助け舟を出す。

「エドワード、焦るな。皇太子妃をお迎えしたやり方にも問題はあった。まだ信頼関係は築けていない。しかし時間が無いというのも本音だから、まず我らの手のうちから晒そう」

 そう言うと辺境伯は立ち上がった。

「信じてくださいと言っても無理でしょうな。まずは食事をしませんか? 話はそれからということで」

「ええ、そうしましょう」

 シェリーは頷いた。
 準備が出来たら知らせると言う辺境伯の言葉に従い、シェリーとレモンは与えられていた部屋に戻った。
 いつの間にかベッドはふかふかなものに代わり、部屋の大きさも倍になっている。
 移動式の壁だったようで、天井と床にレールのようなものが埋め込まれていた。

「驚いたわ」

 シェリーの声にレモンがコクコクと何度も頷く。
 付いてきていた戦闘メイドが初めて口を開いた。

「ドレスなどのご用意もできております。下着類は全て新品でございますのでご安心ください。私はジューン、こちらは妹のジュライでございます。何なりとお申し付けください」

「あら? 口がきけたのね。安心しました。今度は湯あみができるのね」

「はい、壁を外して本来の広さに戻しましたので」

「手の込んだことをして何が目的なの?」

 シューンと名乗ったメイドが顔を伏せる。
 いつ入ってきたのかエドワードが後を引き取った。

「その質問には後でお応えしますよ、妃殿下。食事の用意が整いました」

 シェリーは頷いてレモンと共にエドワードの後ろを歩いた。
 エドワードが振り向かないまま声を出す。

「着替えなくて良かったのですか? お二人にお似合いになりそうなドレスを用意したのですが、お気に召さなかったでしょうか?」

「いいえ、まだ見てもいないわ。この楽な服に慣れると、今更コルセットをつけようとは思えないし、ここで着飾っても意味は無いでしょう?」

「なるほど、その通りですね」

 食堂に入るとヌベール辺境伯が待っていた。

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