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 皇太子の自室はきちんと整えられているが、どことなく違和感を感じた。
 片付きすぎているのだ。
 普段は大人しく従順な皇太子妃だが、実は天真爛漫なお転婆娘のシェリー。
 その本性が顔を出してしまったのだからもう止まらない。

「あら? どこかしら……」

 本なんて貸していないのだから探してもあるわけがない。
 シェリーはチラッとオースティンの顔を盗み見た。

「無いわね……ああ、そういえば皇太子殿下は読み終わった本をクローゼットに入れる癖があったわね」

 そう言いながらベッドの奥にあるクローゼットに向かった。

「お待ちください! 私が……私が探しますので!」

「でもあなた、どんな本かわからないでしょう?」

「しかし、女性が男性のクローゼットを開けるなど……」

「夫婦よ?」

「しかし……」

「変なことを言うのね」

 シェリーは困った顔をしながらも、横目でクローゼットの方を見た。
 予想通り、扉の間から真っ赤なレースがはみ出している。
 ふっと一つ溜息を吐いて、シェリーはオースティンの顔を見た。

「そこまで言うならあなたが開けなさい」

「はい、畏まりました」

 あのはみ出し方なら、ドアを開けた瞬間にドレスが零れ落ちるはずだ。
 シェリーは笑わないように歯を食いしばり、体を少しずらした。
 説得に成功したと信じているオースティンが、本棚の方に向かったシェリーをチラチラと伺いながらドアを開ける。
 急いで片づけたのか、ただ突っ込んだのか、真っ赤なドレスがオースティンに覆いかぶさった。

「あっ!」

 オースティンの声に、シェリーは慌てて駆けつけたような演技をした。

「どうしたの? 大丈夫?」

「何でもございません。大丈夫です。大丈夫ですから!」

 ここで突っ込むのは容易いが、今はその時ではない。
 そう思ったシェリーはテーブルの前に急いで移動してから声を出した。

「大丈夫? 私は本棚を探していたの。変な声が聞こえたけれど、手伝いましょうか?」

「いいえ! 結構です。大丈夫です」

「そう? 本はこちらにあったから私はもう行きます。戸締りはお願いしても良いかしら?」

「もちろんです。どうぞお気をつけて」

「ええ、あなたもいろいろ大変でしょうけれど頑張りなさいね」

 シェリーはさっさと部屋を出て自室に向かった。
 自室のドアを閉め、ひとしきり笑った後でシェリーは自分が泣いていたことに気付く。
 なぜ泣けるのだろう。
 愛してもいない男が、誰を抱こうと関係ないのに。
 執務室で何をしようが、自室に着替えを置かせようが何の興味も無いはず……そう思おうとするのだが、なぜか涙が止まらない。
 シェリーは自分の気持ちが理解できなかった。
 荷造りをしていたメイド達が心配そうに見ている。
 きっと母を想って泣いているのだと勘違いしているのだろう。
 作業の手を速めて、すぐにでも出られるよう気を遣っている。
 
「では後はよろしくね」

 見送りに来たメイド長と侍従長に別れを告げ、シェリーは馬車に乗り込んだ。
 それでも見送りには来るだろうと思っていた夫は来ず、見舞いの言葉も無い。
 それが今のシェリーの立ち位置なのだと、改めて乾いた笑いが込み上げた。
 王宮の門を出る時、シェリーは宮城を振り返った。

「戻らなくてもよいなら戻りたくは無いわね」

 目の前に座っている侍女は、シェリーの独り言を聞き流してくれた。

「姉さん! お帰りなさい。思っていたより早かったね」

「ただいまブルーノ。お母様は?」

「母上は部屋におられるよ」

 そう言うとブルーノはシェリーに従って来た騎士や侍女に声を掛けた。

「皆も忙しいのにご苦労だったね。食堂の方にお茶の準備をさせているから、ゆっくり休んで欲しい。この屋敷の中では我が家の使用人が姉の世話をするから、君たちは王宮に戻ってくれて構わない」

「……畏まりました」

 全員を代表するように護衛騎士が礼をとったが、納得はしていない様子だ。
 シェリーが声を掛けた。

「殿下から何か言われているの?」

「いえ、そういうわけではありませんが、国王陛下よりシェリー妃を必ずお守りするようにと……」

「まあ! 国王陛下が? 恐れ多い事だわ。でも実家だし、そこまでしていただくわけにはいかないわね。では数人の侍女達は残しましょう。そして騎士の中からは二人残ってちょうだい。それでどう?」

「仰せのままに」

 そう言うとブラッド侯爵家家令の案内で、全員がぞろぞろと食堂へ向かった。
 ブルーノが小さく口笛を鳴らしてシェリーを揶揄う。

「さすが皇太子妃殿下だ。オーラが違う」

「そんなことよりお母様よ。お父様はご在宅なの?」

「うん、揃って待ってるよ」

「では行きましょう」

 勝手知ったる我が家だ。
 シェリーはブルーノより先に歩き始めた。

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