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(21)裏設定

 ダニエルと別れて執務室に戻ったカイルは、何食わぬ顔で幾つかの仕事をこなしてから腰を上げた。その少し前、仕事の目途が付いた時点で侍従に連絡させており、カイルが応接室に入った時、ソファーに落ち着いていたケーニスは優雅にお茶を飲んでいるところだった。

「男爵、お待たせしました」
「いえ、寛がせていただきました。お忙しそうでなによりですな」
「はい。次から次へと処理しなければならない事案がでてきておりまして、申し訳ありません」
 微妙に嫌味が含まれた台詞を、カイルはさらりと受け流しつつソファーに座る。すかさずカイルの来訪を予想してお茶の準備を進めていたメリアが、すかさず目の前のテーブルにカップを置いた。それと同時に、ケーニスが話題を繰り出す。

「なかなか良い茶葉をお使いですね。このような僻地で入手するのは、なかなか難しいのではありませんか?」
「確かにそうですが、最近は他領との交易が順調なものですから。より付加価値の高い物と交換できる場合が多いと聞いています。更にそれを現金化するのも容易になっておりますので」
 カイルは平然と答えたが、それを聞いた時のケーニスの表情には僅かに羨望が現れていた。

「そうですか。我が領内とこちらの取引は、それほど無いように見受けられるのですが」
「仲介の商人達に任せておりますので、実際の取引がどこでどのくらい行われているかは完全に把握していないのですが、そうでしたか」
 真顔で返されて、ケーニスは舌打ちしたいような表情になってから、単刀直入に尋ねてくる。

「こちらの領で売られている、防水布。あれはどうやって作っているのですか?」
「どうやって? さあ……、どうやって作っているのでしょうね?」
 小首を傾げながらしらばっくれたカイルだったが、さすがにそれで誤魔化されるケーニスではなかった。

「はあ? 作り方をご存じないですと? あれは、ここの城で作っていると聞き及んでいますが?」
「城でというのは、些か語弊がありますね。正確に言うと、城に勤めている洗濯担当の下働きの女性が作っています」
「洗濯担当の下女が作っているですと? フェロール伯爵、変な冗談は止めていただきましょうか」
 カイルの説明を聞いて、ケーニスは気分を害したように疑わしげに言葉を返した。しかしカイルは真実を語る様子で説明を続ける。

「別に、冗談ではありませんよ? 男爵も覚えがありませんか? 泥や血、油などの特殊な汚れがついた時には、普通に洗濯してもなかなか汚れが落ちません。その汚れごとに、適合した洗い方を選択しなければいけません。それともご存じありませんか?」
「え? ええ、まあ……。特殊な洗い方をするくらいは存じていますが。それが何か?」
「長年様々な汚れと格闘してきた彼女は、ある日、異様に水を弾く汚れに遭遇したわけです。それをどうやって落とすかを考えているうちに、『こういう汚れを付けたら水を弾く布を作れるのではないか』と思いついたのです。実に素晴らしい、逆転の発想ではありませんか」
(カイル様って、意外に演技派だったのね。事前にダレン様の指導がかなり入っていた筈だけど、どれだけ練習したのかしら)
 感激しきっているカイルの演技に、給仕の為に部屋の隅に控えていたメリアは必死に笑いを堪えた。しかしケーニスはそんな彼女の様子には気づかず、呆気に取られた表情でカイルを見返してから、渋面で感想を述べる。

「……汚れを付けるという発想は、どうなのかと思いますが」
「勿論そうです。当初の思い付きはそれでしたが、彼女はその後、どういう加工をすれば水を弾くのかという方向で考えていきましたから。それで家族で、空き時間にコツコツ試行錯誤を繰り返して、やり方を確立するまでに数年かかったそうです」
 そこでケーニスは、意外そうに確認を入れた。

「数年? そうなるとその下女は、伯爵がこの地にお連れになった者ではないのですか?」
「勿論です。ずっとここに土着の者です」
「けしからんですな。そんな有益な発見をしたのなら、すぐさま上に報告するべきでしょうに」
 そうすれば目の前の小僧に利益をもたらす事も無かったのにと、ケーニスは腹立たしく思いながら正直に口にした。そこですかさずカイルは、裏設定として用意していた嘘八百を伝える。

「実は彼女、かつてこの地の管理者だったニール・フォイザーに、『水を弾く布を作れた』と報告したそうです。ですがフォイザーが『洗濯女風情が何をほざく! それにそんな物、役にも立たんわ!』と一蹴されてそれきりだったそうですね。彼は実に、残念な事をしたものです。その数年後に私が領主としてやって来た時、実物を見せてくれて、ようやくそれが日の目を見ることになりました」
「……それは存じませんでした」
 水面下で手を組んでいるフォイザーが、暗に先見の明がない者だと公言され、ケーニスの顔が僅かに引き攣った。それに気付かないふりをしながら、カイルは尚も口から出まかせを繰り出す。

「実は他にも色々と、同様の事が城下の商人とか農民から城に報告があったらしいのです。どうやらフォイザーという男は公金を横領するだけあって目先の金勘定だけに気を取られ、領内の展望などを考えられない浅慮で短慮な人物だったと言えますね。今では彼が管理をしていた事が、この領の発展を阻害していた最大の要因だと断言できます」
 そんな事まで断言されてしまったケーニスは、心底フォイザーを忌々しく思いながら声を絞り出した。

「そうなると……、伯爵がこちらにいらしてからの新たな鉱脈の発見や農作物の収穫増や、新商品の開発など数々の恩恵は……」
「ええ、お察しの通り。その殆どが、以前からこの領内で発見、試作、流通していたものを表に出しただけに過ぎません」
「そうでしたか……」
(フォイザーの奴はどこまで無能なんだ!? あいつがこちらの味方になったとしても、足を引っ張るだけのような気がしてきたぞ。大して役に立ちそうにもないのに、過分な分け前を要求してくるような気がして仕方がない。利用するだけ利用して、決着がつくまでに後腐れなく消してしまうのが一番だな!!)
 心の中でケーニスがフォイザーをこき下ろし、早くも仲間割れが確定した。しかし密かに相手を罵倒した事で彼はなんとか平常心を取り戻し、自らのするべき事を思い出して口を開く。

「それでは是非とも、その偉大な発見をした女性にお会いしたいものですな。今日も城で仕事をしているのでしょうか? それに実際に作っている所も見学させていただきたいのですが」
(中年男の猫なで声って、想像以上に気持ち悪いわね)
 メリアがケーニスの台詞に内心で辛辣な感想を抱いていると、その要請に対してカイルが冷静に答えた。

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