九話
彼女は変わらず、淡々と喋った。
『正邪相殺』?
敵を一人殺せば味方も一人殺す? 一体何を……?
「――意味が、解らない」
「聖王教会の司教階級では『独善』を許さない。仇敵には当然の如く報いがあり、復讐者にも当然の如く報いがある。『正義』も『邪悪』も撲滅し、争いが無意味である事を世に知らしめなければならない」
遠い彼方を見据えるように、彼女は語らい続ける。まるで異世界の未知の法則を説明されている気分であり、何一つ納得出来ないし、理解したくもない。
カムイキリトを殺害し、返す刃で自刃した? もし、それが真実ならば――。
「――狂っている」
「宗教など狂っていて当然だ」
「……それじゃ、私の復讐は、どうやって果たせば良いの……!?」
「あらゆる殺害に正義は無い。……個人的に、復讐者の悲哀は理解出来なくもないけど――」
フェルミナ・ストラトスの心からの悲鳴、荒がる感情と共にヴァンパイアパワーで強化された肉体は疾駆して突進する。しかし、司教シスターに蹴り上げられ、宙を舞う。
「人を殺すは悪鬼羅刹の所業。お前も私も、いずれ報いを『刃』で受けなければならない――」
慣性も何もかも無視してシスター服の化け物は飛翔し、一瞬にしてフェルミナ・ストラトスの上空に辿り着き、踵落としを決めて叩き落とした。
地面に叩きつけられ、クレーターが如くコンクリートが陥没した。
「私が、どうなろうとも、構わない。けれども、殺された彼は、何を持ってして報われる――!」
ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!
「彼は、殺されるに足るだけの悪行を重ねたの? 違うッ! ただ一方的に殺された! 無意味に殺された! 『悪』に報いはあれども『善』に救いは無い! それじゃ採算が取れないじゃない……!」
幾千の手が生え揃う黒い影に司教シスターという化物は空から強襲し、フェルミナの肉体を木っ端微塵に蹴り砕く。
その着地を狙って幾十に折り重なった暴力の塊である黒い腕が疾風の如く駆けたが、片手で引き裂く。まるで相手になっていない……!?
「――一体、何をすれば彼に報いれるの……?」
「逆に問わせてもらおうか。お前が殺してきた人間は殺して良い人間だったのか?」
「……え?」
――即座に会話を拒否する。
これを聞いては、今まで誤魔化してきた全てを正視する事になる――!
「お前が魔力供給の為に食い殺させた人間は、死ぬに足る人間だったのか? お前の復讐という大義名分で殺して良い人間だったのか?」
既に復讐の相手はこの世におらず、罪科だけが残る。既に自分は復讐者ではなく、単なる加害者でしかない――心が砕ける音が、自分の中で鳴り響いたような気がした。
「――最早お前は加害者であるが、犠牲者である事は変わるまい。『悪』と断ずるには哀れすぎる少女だった」
シスター服を着た化物から巨大な何かが発せられる。
――来る。今までとは比較にならない、文字通り必殺の一撃が――!
「……あは、ははは。馬鹿みたい。もういない仇敵を求めて、堕ちる処まで堕ちて――救いようが無いよね」
フェルミナ・ストラトスは力無く、涙を流しながら自嘲する。
「エメラルド・グリーン!! 防御の風!!」
ガキィン!! と音を立てて風の防御壁と司教シスターの一撃が正面衝突を起こす。風の防御に包まれるフェルミナ・ストラトスの様子がおかしい。自分と相対した時は狂気と憎悪に支配されていたような有り様だったが、今は正気に立ち戻っている。
そして『もういない仇敵』だと? 何らかの理由で死んでいたのか? カムイキリトを殺害した下手人は――。
「フェルミナちゃん……もう、やめるんだ。もう、帰ろう」
シスター・クレアは壊れ物を扱うかのように、慎重に言葉を選んで告げる。
今のフェルミナ・ストラトスは崩壊寸前のダムのようだ。何かきっかけがあれば、一瞬にして崩れ去るほど脆いように思える。
だが、今ならばもしかしたら説得出来るかもしれない。司教シスターはあくまで失敗を前提としていたが、今は想定していた状況とはまるで異なる。
「……帰る場所なんて、もう無いですよ。こんな唾棄すべき汚物が、教会で一緒に居れる訳、無い」
……何とも痛々しい顔だった。
こんな九歳に過ぎない少女が、此処まで絶望し、此処まで苦しみ、此処まで追い詰められている。
この世界の異常な環境が、彼女という犠牲者を作り出すに至ったのだろうか。それは、一体如何程の業だろうか。
「……クレアちゃん。私は殺したよ。ヴァンパイアの力を維持する為にね、無関係な人を沢山殺しちゃったよ。カムイキリト君の仇を取る為に、それだけ願って、狂った振りして誤魔化して――でも、その仇敵はもう居なくて、私のやった事は無意味で、気づけば私だけが加害者になっていた――」
「……それは! それは……」
――コッケン神父が彼女に殺される事も、無かっただろう。奥歯を食い縛る。
「……ごめんなさい、クレアちゃん。こんな事を私などが言うのも烏滸がましいけど、お姉ちゃんと幸せにね――」
「フェルミナちゃん、何を――!?」
見る側が痛々しくなる笑顔を浮かべフェルミナ・ストラトスは視点が下に移り、自身の右手に輝くナイフに向けられる。
笹瀬川ユウはステルスを続行しながら、即座にエメラルド・グリーンを発動させる。ナイフを持って何をするかわらないが、とにかくヤバイ。
「さようなら」
ナイフをそのまま自らの首へ突き立てようとする。そんなことをすれば再生力にエネルギーを必要として、魔力が枯渇して死んでしまうだろう。
(馬鹿、何て事するんだ……!?)
フェルミナ・ストラトスの行動に内心叫ばずにはいられない。
「エメラルド・グリーン!!」
ステルスで背後からの強襲によってナイフ粉々に砕く。
同時にフェルミナ・ストラトスに風の一撃をぶち当てて意識を奪う。
「ヨシッ!! これで大丈夫な……」
バチ、バチッとヴァンパイアのエネルギーが姿を見せる。背後に蠢いていたエネルギーが意思を持って――フェルミナ・ストラトスを殺そうと動く。
「な、なんてパワーだッ!! エメラルド・グリーンで対処できる範疇を超えているッ!!
「なら、遅れて参戦して正解だったようですね、ユウくん」
無秩序に炸裂するエネルギー攻撃を全て破壊するシスターがいた。そのシスターは巨大なハンマーを持ってた。
「シスター・アルシエル。聖なる炎のクロスハンマー、推参」
――無数の黒い腕が殺到する。
それは一つ一つが人間を襤褸雑巾のように引き裂く暴力の塊であり、人間どころか同種の吸血鬼にとっても致死の猛攻である。
聖なる炎のクロスハンマーはそれらを上回る速度をもって突き刺し、切り払い、両断し、を嬉々と迎撃していく。
「中々やりますね、超能力者というのは能力頼りな方かと思っていました」
「あいにくとゴリ押しできるタイプじゃなかったんですよ」
対する笹瀬川ユウは風の鎧を纏って一撃離脱を繰り返し、圧倒的な暴力を一心に切磋琢磨した武術をもって対抗する。
並大抵の者ならば瞬時に引き裂かれる人外魔境の戦地を、風の太刀とその身に刻んだ技能で渡り切っていた。
「いきなり自害しようとするなんて、予想外だったが、追い風になりましたね」
「それは、どういう事ですか!!」
押し寄せる黒い波に、二人で遅滞戦法を取りながら叫び合う。
吸血鬼が恐るべき化物であるのは卓越した理性をもって人外の力を振るう暴君だからだ。理性を削り取って更に力を向上させた処で、総合的な戦闘力は遥かに下向するだろう。
「ヴァンパイアのエネルギーは自害という単純明快な命令を実行出来ずに、逆にペナルティを受けている。命令を最優先したいのにオレ達と戦っているからな! ほらよっと、要所要所で動きが鈍いでしょう?」
「――っ、なる、ほどッ! 通常の状態なら十回は死んでいた処だ……!」
そう、今のヴァンパイアは絶対的な命令権である主の命令によって、その圧倒的な性能も戦闘目的も縛られている。
フェルミナ・ストラトスの殺害を最優先にしている。その為に目の前の敵の排除を優先せず、フェルミナ・ストラトスの下に馳せ参じようとしている。
――時間稼ぎは想像以上に上手く行っている。
戦っている隙にシスター・クレアが、浄化を行い、ヴァンパイアとのコネクトを解除する。
「浄化完了です!!」
――本来ならば。意識を剥ぎ取り、この世に定着させたエネルギーコネクトをを消せば、ただでさえ魔力消費の激しいエネルギー体だ。消滅するだろう。
魔力枯渇で完全に消え果てるには少しだけ時間が必要だが、それでも性能の劣化は必至だ。しかし――ヴァンパイアは黒い波として押し寄せる。
その猛威は未だに陰りを見せず、この作戦の成否に暗雲が立ち昇るのだった。
「変わっていない……変わっていないぞ!?」
「――嘘!?」
ヴァンパイアのエネルギーは未だに健在、能力値に劣化は見られず。その報告はシスター・クレア、笹瀬川ユウ、シスター・アルシエルに驚愕を齎した。此処まで上手く行って、ぶち当たった壁が想定外のこれだ。
司教級シスターに問いかける。
「意識と接続を断ち切ったのにヴァンパイア・エネルギーが消えない! どういう事だ!?」
「恐らくだが、フェルミナ・ストラトスの最後の行動が拠り処になってしまっているのだろうな。最悪な場合、この世界の依代である『フェルミナ・ストラトス』を取り込まれたら手に負えなくなる。。消えずに現界し続けてヴァンパイアは自然消滅しなくなる」
司教級シスターは冷静に、的確に分析結果を述べる。
「どうすれば良いッ!?」
「どうもこうも、もう答えを言ってしまっているようなものだがな」
答え? 答えだと? 今の何処に対応策があったというのだ!
テンパリながら司教級シスターの次の言葉を催促する。
「――簡単だよ、笹瀬川ユウ。フェルミナ・ストラトスをその手で殺せば良い。それで万事解決だ。欠片も残らず消滅させるのが理想だ、一滴すら血を飲ませないようにな」
「は……? 正気、か?」
「何を迷う必要がある? 躊躇う必要が何処にある? それはコッケン神父を殺した少女で、この都市を死都と化す災禍の化身だ。――小娘一人の生命と街一つの人間全て、何方を優先するべきかは考えるまでも無いだろう?」
――考えるまでもない。此処でヴァンパイア・エネルギーにフェルミナ・ストラトスを取り込ませてしまったのならば、もやは殺害手段は無くなる。
街一つで済めば良いかもしれない。都市が死都となって、死者が侵攻し続け、未曽有の災厄を齎すだろう。
「その少女を殺して、君は英雄になるんだ――」
まるで悪魔の甘言のように『司教級』の言葉は脳裏に響き渡る。
此処で殺さなければ、街一つが死都と化す。
フェルミナ・ストラトスの生命で、全員が救われる。
コイツはコッケン神父を殺した。それは許される事ではない。
彼とは一週間足らずの付き合いだったが、この街で生きる術を教えてくれた。返しきれないほどの大恩のある男を、だ。
(この場においては、オレしか出来ない……)
エメラルド・グリーンを出し、風の刃をフェルミナ・ストラトスの喉元に定める。
相手は気を失っており、避けられる心配はまず無い。
シスター・クレアは力がない。。
阻止は間違い無くされない。速やかに事は成し遂げられるだろう。
(迷うな、殺すんだ……)
道の一角が爆発したように吹き飛び、司教級シスターと聖なる炎クロスハンマーを持ったシスター・アリシエルが後退しながら此方に視線を送る。
その直後にヴァンパイア・エネルギーはあらわれ、幾千の眼は殺害対象になっている己の主に注がれた。
そしてオレは選択を――。