バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

六話

「笹瀬川ユウ、だったか。クレアを助けてくれて、ありがとう。そして、すまない……!」
「顔を上げて下さい、オレは何もしていない……」
「君がいなければなクレアは死んでいた。オレが出来る事はこれぐらいしかない」

 

 一旦部屋の外に出てから、ユウとクレア兄は会話を交わした。

 今、シスター・クレアの目の前で喋るのは、非常に酷な話である。抜け殻のように涙だけを流す彼女の姿は弱々しく見るに耐えない。

 

「貴方はフェルミナ・ストライプを探す気ですか?」

「……ああ」


 それでもそれは愚挙であり、無謀であり、単なる自殺に過ぎない。一人で行かせる訳にはいかなかった。

 

「居場所は司教級シスターが知っています。今のフェルミナ・ストラスはコッケン神父の携帯をほぼ確実に持ち歩いています。其処から現在地を逆探知出来る事ぐらい司教級シスターは気づいているでしょう」

 

 あの司教級シスターは、虚言は余り喋らないが、意図的に隠したい事は自分から喋らない。聞かれたらある程度答えるだけに性質の悪い。

 クレア兄は驚いた顔をする。とりあえず第一段階、フェルミナ・ストラスの居場所はこれで掴んだ。問題はこれからであり、大積みされている。

 
「問題はフェルミナ・ストラスを止められない事です。あのヴァンパイアの力は異常です。千の眼を持ち、大河の如く押し寄せた。見た目通りの質量・耐久ならば斬った傍から復元するだろうし、長期戦は必須です。万が一の僥倖が叶って長期戦に持ち込めたとしても、あるのはフェルミナ・ストラスの魔力枯渇という死の末路だけです」

 

 まともな戦闘になっても長期戦になり、長期戦になれば勝手に自滅してしまう。諸刃の刃とはこの事だ。それを念頭に置いた上で作戦を練らなければ万が一の勝機も掴めない。いや、違うか。最初から勝機を用意した上で挑まなければ話にならない。


「――やるからには短期決戦。力を抑え込み、フェルミナ・ストラスを即座に無力化出来る、そんな方法が必要です」

 まさしく無理難題である。ただでさえ暴走したヴァンパイアの相手は手に余る。

 あれを一瞬見ただけで底は掴めてないが、目の前のクレア兄でも数秒持てば良いレベルである。故にまずは一手、ヴァンパイアと互角に戦闘出来る者が必要となる。

 
「そしてその作戦の鍵はやはり司教級シスターが握っている。彼女は相手の全力を大凡で推測していると思われます。どの道、やるからには彼女の協力は必要不可欠でしょう」

 

 彼に彼女の必要性を説くが、露骨に嫌な顔になる。

 彼一人なら間違い無く司教級シスターに頼るという選択肢は最初から無かっただろう。ヴァンパイアの天敵は人間だ。更にはここにはヴァンパイアハンティングなんてものをする人間の巣窟の上位者である司教の位置にいる。
 

「そして、フェルミナ・ストラスを唯一生存させる方法は、貴方の妹と、シスターは・アリシエルが握っています」
「クレア、が……?」
「ええ、フェルミナ・ストラスを無力化するには殺すしか方法がありませんが、彼女達ならばヴァンパイアのパワーを病気として祓う事ができる……筈です。司教シスターにもできるでしょうが戦闘要員である彼女を、回復要員にはできません」
「……それは、シスター達にしか出来ない事なのか?」
「……ええ、現状では彼女達のみです。私と貴方では戦闘員にはなれても救うことは出来ない」

 と、そこでふわり、と司教シスターはが現れた。

「――問題点は二つもあるな。まずは私をその気にさせる事。もう一つは精神的に再起不能のクレアをどう立ち直させるかだ」
「……アンタって暇人? というか、その挫けさせた最大の原因が言う事かよ……」
「それに私とて人間だ。感情的にもなる」


 ひょっこり出現した司教シスターは腕を組んでその壁に背中を預けて伸し掛かる。全くもって忌々しい笑顔だ。此方がどう出るのか、愉しんでいる。

「一つだけ此方から問おう。何故フェルミナ・ストラスを生かす方向で話を進めている? 君にとっても仇敵だぞ、アレは」

 初めから傷口の急所に塩を塗り込んで言葉の刃を抉り込む一撃である。

「それともたかが一週間程度一緒だった人間などに掛ける情は無いか?」
「――復讐なんて、そんな小さい事、冬川が望む訳あるか……! 舐めるな司教シスター、確かにオレは奴とは一週間程度の付き合いでしかなかったが、その程度の事ぐらいオレにだって解るッ!」


 他人に自分の復讐を願うような凡用で卑屈な人間が、率先して我が身を犠牲にするか……! 亡き尊敬すべき神父を貶すな、と一喝する。
 同じ感想に至ったのか、司教シスターは堪え切れずに高らかに哄笑した。


「アイツは人を見る眼だけは確かだったな」


 それは『魔術師』には珍しい、穏やかな微笑みだった。悪い憑き物が落ちたかの表情に、意表を突かれたのはクレア兄だけでなく、此処に居る全員だっただろう。

 

 

「笹瀬川、君……」


 部屋に入ると、シスター・クレアが上半身だけ起こし、赤く腫れた眼で窓の外を眺めていた。
 涙は既に枯れ果てた、という酷い有り様だ。これをどうやって立ち直させるのか――。

 

「ごめんさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい……! 私の、私のせいで……!」

 

 もう心が折れて、粉々に砕け散っていた。眼が死んでいた。

 考えてみれば当然か。彼女はシスターになる事で、自分の存在意義を形成して行った。それ以前はごく普通の少女に過ぎない。
 強靭な意志を形成する最初の第一歩を最悪な形で躓いたのだ。今の彼女に強さを見出す事は出来ない。


「フェルミナ・ストラスを助けたい。その為にはシスター・クレア、君の力が必要だ」


 今の自分が掛けられる慰めれる言葉はこれぐらいであり――シスター・クレアは泣きながら首を横に振った。

 

「……駄目。無理、だよ。私なんかじゃ、何も出来ないよ……!」

 

 嗚咽を零し、シスター・クレアは弱々しく泣き伏せる。



 ……無理だった。彼女はオレと違って正真正銘の十数歳の少女だ。その彼女を再び戦場に駆り立てるのは酷な話だった。

 プランに修正が必要か。シスタークレア抜きでフェルミナ・ストラスを救う方程式が――。

 諦めかけたその瞬間、ばたん、と勢い良く扉が開いた。空気を読まずに現れたのはシスター・アリシエルだった。

「失礼しまーす。包帯替えの時間です。男性は廊下の外に立って、待ってて下さいねー」
 「え?」と言う間も無く手を引っ張られ、ドアの外まで押し出される。それもぽーんという勢いで。

「な、ちょ――シスター・アリシエル、ちょっと待て!?」

「もう、エッチだなぁ、ユウさんは。若い衝動を抑えられなくなって覗いちゃ駄目ですよー」

 
 反論する間も無く閉められ、かちっと鍵が閉められる。



「はいはーい、包帯を替えますねー。脱ぎましょうね」

 言われるがままにシスター・クレアは自分と同年代のシスターに身体を委ねる。

 昨日受けた傷とは思えないほど身体に残った傷は浅く、その反面、心は罅割れて崩壊寸前だった。

 その何とも言えない外見とは裏腹に、鮮やかな手並みで包帯を綺麗に丁寧に迅速に巻いていく。自分では到底此処までの芸当は出来ないだろう。

 自身の存在価値を限界まで下向させ、シスター・クレアの精神は終わりの無い悪循環に陥っていた。
 本当に彼女を助けられる人は、必ず何処かに居る筈だ。自分以外の誰かが――。


「昨日貴女が運び込まれた時点で居なかったです。後で探しておきますよ」

 

 一応尋ねてみたが、彼が此処に居る筈が無いと自嘲する。
 包帯が巻き終わり、シスター・アリシエルは二人分の紅茶を淹れて、ベッドの近くの机に置き、彼女自身も近くの椅子に座った。

「貴女本人だけの過失では無いですよ。ぶっちゃけ舞台が最悪だっただけですし。初舞台があれじゃ同情物です」
「わ、私は、助けられる力があるなら助けたかった。でも、私にはそんな力が無くて……!」

 一瞬で涙腺が決壊し、枯れ果てたと思った涙は止め処無く流れ出る。

 シスターの少女は立ち上がり、ベッドに腰掛けてクレアを抱き締め、頭を撫で続ける。

 自分と同じぐらい小さな少女は、まるで母親のように泣く子を優しく宥める。また自分が情けなくなって、クレアは脇目も振らず、大声で泣き続けた。


「世の中、最善の選択が最善の結果を生むとは限らないのです。其処が難しい処ですからねぇ」


 正しい事をしても正しい結果になるとは限らない。シスターの少女はよしよしとあやしながら悲しげに語る。



「それに私達は子供です。失敗して当然ですし、失敗して良いんです。大人に迷惑を掛けて当然ですし、頼って良いんです。これはコッケン神父の口癖でしたでしょう?」

 コッケン神父は二人を引き取り、聖王教会で育てた父親のような人物だった。ヴァンパイアと異教徒には厳しいが、それ以外では不器用なお父さんだった。

「で、でも、私は、取り返しの付かない失敗、を……!」
「――自らのツケを自分で支払ってこそ大人なのです。子供のツケを代わりに支払うのもまた大人の義務なのです。これもコッケン神父の言葉です」

 自分の失敗の為に死んだ顔も知らぬ誰か、その誰かは見知らぬ自分を命懸けで助け、その結果死なせてしまった。
 その負債をどうやって穴埋め出来ようか? 否、出来よう筈が無い。それに匹敵する光などあろう筈が無い。

「コッケン神父はあの場に置ける最善の選択をした。その何よりも尊く高潔な意志をもって貴女達二人を生還させた。貴女がそれを悔やむのは、コッケン神父の意志と誇りを穢す事に他ならない」


 厳しく、けれども優しく抱き締めながら少女は詠う。

 「――失敗した。それで貴女は嘆いて終わりですか? 生きている限り、次があります。真の敗北とは膝を屈し、諦める事。諦めを拒絶した先に『道』はあるのです。貴女は彼から次の機会を授かった筈です。そして受け取った筈です。――彼の意志を受け継ぐ権利が貴女にはあります」

 ――彼の、意志?

 解らない。私を助けて死んでしまった人の意志なんて、私なんかが解る筈が無い。
 私が死ねばそれで良かったんだ。それなら素晴らしい人が死なずに済んだ。こんな無意味な私の為に死なずに済んだのに――!

 ――いいえ、と少女は首を振る。
 まるで聖母のように慈愛に満ちた笑顔で、彼女は魔法の言葉を教える。

「貴方の、シスター・クレアではない。神から与えられた『洗礼銘』を今一度唱えて御覧なさい。貴女の力の『銘』を――」

 彼女の視線の先には、テーブルの上には彼から貰った紅色の宝玉があった。変わらぬ光を宿し、シスター・クレアは自然と手を伸ばして、その『銘』を唱えた――。

「……不屈の、心。レイジングハート」

 少女は不屈の心と共に、再び立ち上がる。

 
 
 

しおり