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5話

――かーかーと、鴉の鳴き声が無数に響き渡る。
 小鳥の囀りにしては無粋な鳴き声であり、とても朝を感じさせるものではない。

 結局、あれから一睡も出来ず、時々額に乗せるタオルを濡らし直して眠れるシスター・クレアの看病をしながら早朝を迎えた。

 あれから通信ガラス玉に連絡は無い。当然と言えば、当然だ。神父の通信ガラス玉はヴァンパイアの手に渡り、彼自身はもう――。

 最悪の想像が脳裏に過ぎった時、通信ガラス玉が光る。非通知――即座に部屋の外に出て、通信を開始する。 

「誰だ?」
『笹瀬川ユウ、神父と同じヴァンパイアハンターだ。コッケンの旦那との連絡が途絶えたままだ。昨晩、何が起こった?』

 それはコッケン神父からではなく、彼の仲間のヴァンパイアハンターからだった。
 笹瀬川ユウはありのまま起こった事を話す。強大なヴァンパイアに遭遇し、コッケン神父を囮にして逃げ延び、死なせてしまった可能性が大きい事を――。

『……まだ死亡が確定した訳じゃないッ! コッケンの旦那は存外しぶとい。怪我を負って連絡が出来ない状態の可能性も考えられる。その際に携帯を落とす事なんざ極稀にあるだろう! オレが直接確認しに行くから朗報を待っていろ』

 彼はそう自分に言い聞かせるように通話を切り、放心状態の笹瀬川ユウは再び高町なのはが眠る部屋に戻る。
 責めてくれればどんなに楽だったか。お前のせいで死んだ、そう罵ってくれれば良かった。
 

(くそっ、くそくそくそ――!)

 ユウは項垂れる。あの人に関してはこの異世界来て以来の縁だったか。

 最初から意味不明なこんな俺を受け入れてくれた恩人だった。何か考えあるのだろうと警戒をしたが、その警戒は無駄に終わった。。

 こんこん、と小さめのノックの後、部屋の扉が開き、欠伸しながら眠たそうに目を擦るシスター・アルシエルが入ってきた。

「一晩中看病していたのですか。シスター・クレアが負傷した事に貴方は何ら過失も無いのに。ふあぁ~っと、失礼。これじゃあ私が吸血鬼ですね」
「朝が弱いんだな」
「吸血鬼なもので」

 軽口を叩きながらユウの前で大きく欠伸をする
 そんな彼女は高町なのはの看病をするのではなく、此方側に近寄り、最寄りのテーブルの上に木の籠に入ったパンを差し出した。

「朝弱い私は吸血鬼ということですね。――はい、出来るだけ簡素な食事をお持ちしました。食べないと行動すら出来ませんよ? 良く寝て良く食べて良く悪巧みするのが長生きの秘訣です!」
「……いや、悪巧みは違うだろ。それに吸血鬼が人間の長生きの秘訣語ってどうすんのよ?」

 正直言って食欲が湧かないが、腹は減っているという矛盾状態。少しだけ躊躇うも、パンに手をつけて噛み付く。シスター・アルシエルは一緒に持ってきたティーカップに紅茶を注いでいた。

「逆ですよ、吸血鬼ほど人間が大好きな化物は他にいませんよ? ヴァンパイアの唯一の天敵ですから」

 その理論は相変わらず良く解らない。ヴァンパイアなんてものは不死身で強くて人間など血袋以外何物でも無いと自信満々に思っていそうなものだが――。


「コッケン神父の事で悔いているのですか? 彼は最善の決断を下し、最善の結果を齎した。貴方がとやかく思うのは問屋違いというものです」
「っ、だが、オレも残っていれば――!」
「貴方もシスター・クレアも巻き添えで死んで全滅してましたよ? それはコッケン神父の挺身を無為にする最高の愚挙です」

 
 言われて、反論の余地無く口を閉ざす。
 ……彼の死を、未だに受け入れる事が出来ないのは直接見ていない事と、その死の原因が自分にある事から、だろう。

 此処で足踏みしていても、彼は何も喜ばないだろう。パンに食いつき、紅茶で流し込む。行動に必要な活力を取り込み、そして必要な情報を聞き出す。

 この舞台に自分の役割など見出せないが、まずはやれる事をする――!


「……シスター・フェルミナの言う、カムイキリトとはどういう奴だったんだ?」
「うーん、普通の良い人でしたよ。聖王教会に良く手伝いに来てくれました。シスターに惚れられていた驚きですけど。その結果、救いのない状況になってますけど」
「空気な死人にここまでやられるとは、俺もダメダメだな」
「死人を悪く言うものではありませんよ」
「そうだな、俺にとっては他人でもシスター・フェルミナにとっては大切な人物だったんだから」

 だから、こんな事になっているのだが。
 その時だった。一瞬影が射し――ふと窓を振り返れば、誰かが蹴り破ってダイナミックに侵入し、軽やかに着地していた。

「クレアッッ!」


 咄嗟にエメラルド・グリーンを出し――侵入者が叫んだその名前に硬直する。
 その青年は躊躇無くシスター・アルシエルに小太刀を一閃し、ぎりぎり避け切ったシスター・アルシエルは大層不機嫌そうに口を尖らせた。

「あのぉ~、クルジス・レッドフィーネさん? 正面玄関から入ってくれませんか? 毎回毎回窓をぶち破ってご来館するのは勘弁して貰いたいんですが。妹さん起きちゃいますし」

 レッドフィーネ? 妹さん……やはり、この青年はシスター・クレアの兄、その人なのか!?
 戦闘スタイルに移行した状態の眼で見ていたのに関わらず、その小太刀の一閃は霞むような速度だった。本当に人間なのかコイツ!?


「クレアを返して貰う……!」
「……妹さんをお引き取りに来て下さいって連絡したの、うちらなんですけど? 何か致命的なまでに勘違いしてません?」


 クルジス・レッドフィーネとシスター・アリシエルとの温度差は激しい。
 片や背水の陣で人質の妹を死守する構え、片や全力で脱力して呆れ返っている。
 一体全体、この聖王教会は、いや、何があって教会はクレア兄に此処までの敵対心を抱かれているのだ?


「全く、相変わらず無礼者だね。クレア兄」

 此処に居ない筈の司教級シスターはの声が響き渡る。
 背後の壁から透き通って司教シスターは悠々と現れた。一体何処の吸血鬼の真似してるんだ。


「ッッ、このアバズレめ……!」
「本当に無礼な奴だ、妹の命の恩人に向ける殺意ではないな。異母兄妹だから愛情が薄いのか?」

 司教級シスターはからかうように嘲笑い、クレア兄は更に激発し――一触即発の空気になる。

 二人が睨み合う中、突き破ったガラス窓が自然に復元されていき、散らかした破片すら綺麗に戻る。
 唾を飲み込む。もう此処からは何が開戦合図になるか解らない。
 迂闊に動けない――この時「っ、ぁ……」クレアから声が発せられ、緊張感が一斉に霧散する。


「クレア!」

 怨敵よりも妹の安否を優先するシスコンの鏡で良かった、と安堵する。
 今まで展開していた超能力を消す。

「おはよう、クレア・レッドフィーネ。世界の裏側を垣間見た感想は如何だったかな?」

 クレア兄とは裏腹に、司教級シスターは悪意に満ちた笑顔を浮かべて尋ねる。隣でクレア兄が殺意を撒き散らしているが、何処吹く風である。

「……私、は……何で、此処に、っ! フェルミナちゃんは!? あぐっ……!」
「落ち着け、怪我はまだ完治していない。迂闊に動くと折角塞いだ傷が開くぞ」

 生死に関わる重傷がこの程度に済んだ事は僥倖と言うべきか。いや、今の言葉は激発しそうなクレア兄に対する当て付けか?

「私は司教級シスター、この屋敷の聖王教会だ。君はヴァンパイア化したフェルミナと交戦し、敗北した。殺される寸前にコッケン神父と笹瀬川ユウに助けられ、我が屋敷まで運び込まれたという訳だ。此処までは良いかな?」

「……フェルミナちゃん、は――」
「さて、彼女の行方は私にも解らないな」

 自分が此処まで酷い目に遭っているのに、最初に出てくるのは他人の心配か。

「一体何が起きている? ヴァンパイア? それに昨日から居なくなっていたフェルミナちゃんの行方も知っているのか!?」
「フェルミナ姉経由で聞いていたのか。彼女の行方については本当に解らんよ。――覇王陣営に宣戦布告されてな、此方の監視網はズタズタに引き裂かれたままだ」

 クレア兄はある程度、此方の事情に通じているのか。司教級シスターに対する殺意は只ならぬものだったし、絶対に何かやらかしたのだろう。

「それじゃ順を追って説明しよう。シスター・クレアが巻き込まれ、フェルミナ・ストラスが参加したヴァンパイア・ハンティングについてな」

 まるで司教級シスターは何処ぞの麻婆神父のように嫌らしく笑う。

「――ヴァンパイア・ハンティングとは、ヴァンパイアが行う奇跡を降臨させる儀式を阻止するために聖王教会が行っているヴァンパイア狩りだ」

 覇王教会も強き者を探して独自路線で行っている、と付け足す。

「何処の誰に入れ知恵されたのかは知らないが、フェルミナ・ストラスは自らの意思でヴァンパイア化して、この儀式を完成させるために参加しているようだ」
「……っ、フェルミナちゃん……! 止めなきゃ……!」
「どうやってだい?」

 

 『魔術師』は優しげに、そして残酷に尋ねる。
 笑っているように見えて、普段とは比較にならないほど攻撃的で刺々しい――? 

「ヴァンパイアに対抗出来るのは基本的にヴァンパイア・ハンターのみだ。そして君は既にヴァンパイアに敗れている。つまりハンターたる力の資格を失っている」

 役をまともに出来ない大根役者に舞台に上がる資格は無い、と司教級シスターは厳しめに断言する。

「今夜の事は全て忘れると良い。それで君は日常に戻れる」
「っ、それじゃフェルミナちゃんは……!」
「あれは自らの意思で此方側に足を踏み入れ、ヴァンパイア化して宣戦布告した。もう後戻りは出来ない。別に珍しい事では無かっただろう? お友達の一人や十人が行方不明になる事ぐらいは」


 司教級シスターは皮肉気に笑い、クレアは知らぬ内にその瞳から涙を一滴流した。その反応が大層気に入ったのか、司教級シスターはくつくつ笑い――反面、クレア兄の荒れっぷりは天井知らずだった。


「シスター、アンタはフェルミナ・ストラスに対して、どうす気だ?」
「どうもこうも、何もしないよ」
「何だと?」

 それは危害を加えない、という意味の宣言ではなく、もうどうしようも無いという類の死刑宣告だった。

「手を下すまでもなく近日中に自滅すると言ってるんだ。フェルミナ・ストラスは魔力枯渇して『死』ぬだけだ。そうなる前に彼女を打倒して救命措置を施せば生命だけは助かるだろうが、生憎とそれは不可能だろうね」

 冷然と戦力分析を述べ――その言葉に、クレアがぴくりと反応した。

「……で、でも、それでも私はフェルミナちゃんを助けないと――」
「――それにね、クレア・レッドフィーネ。君が勝機を用意せず、フェルミナ・ストラスと無謀に交戦した結果、一人囮になって死亡した者が居る。そうだろう? 笹瀬川ユウ」

 まさか司教シスターの苛立ちの原因はそれ、なのか――?
 此処で此方にその話を振ってくるとは予想出来ず、沈黙してしまい――それはシスター・クレアにとって、無言の肯定と同意語であった。

 確かに自分もシスター・クレアの無謀な言動には頭に来ていた。それが頂点に達して表に出なかったのは、自分以上に怒れる者が居て、冷静に振り返ってしまったからだ。

「……え?」
「シスター!」

 それでも駄目だ。幼い少女にはその事実の重さを受け止められない。
 怒りを込めて睨むも、司教まで上り詰めたシスターにとってはそんな視線など無いも同然だった。

「解り辛かったかな? 君にも理解出来るように単純な文章に直すと――お前のせいで一人死んだ。瀕死の負傷で足手纏いの君なんか背負わなければ、コッケン神父は笹瀬川ユウやシスター・アルシエルと共闘して生き延びられただろうに。惜しい男を亡くしたものだ」

 心の底から哀悼するように、司教シスターは責め問うシスター・クレアら視線を外し、彼方を見上げた。

「あの人はっ、コッケン神父はまだ死んでねェ――! 絶対に生きている……!」
「それは本気で言っているのかな? 笹瀬川ユウ。自分さえ騙せない嘘は滑稽なものだよ。確かに私自身も彼が殺された瞬間に立ち会ってないから100%死亡しているとは断言出来ないとも。だがヴァンパイア、それも己の制御できぬほどの魔力を暴走させているやつを相手にして生き残れる可能性は一体幾ら程かな? 超能力者で、前世とやらあるがお前ならわかりそうなものだが?」


 未だに認められない自分を嘲笑うかのように司教シスターは目を瞑った状態で威圧し――途端に無表情に戻り、くるりと踵を返した。


「完治するまでは面倒を見るが、此処も安全とは言えない。退去するなら早めに退去しろ」

 それは放心するシスター・クレアに言った言葉であったが、今はその耳に届きすらしないだろう。
 この年頃の少女に人の死を背負うなど不可能だ。今、この自分さえ、醜く動揺して否定しようと藻掻いているというのに――。


「そうそう、クレア兄。フェルミナ・ストラスは自らを維持する為に人間を捕食をしている」
「馬鹿な……! あれほど信心深い子が」
「事実だよ。一般人を殺して魔力の補充をしている。放置しておけば犠牲者はまだまだ増えるだろうね」

 この瞬間、フェルミナ・ストラスは何が何でも排除するべき怨敵となった。自分にとっても街の人々にとっても、そのままにしておく訳にはいかない。


「――司教シスター! この都市の管理者として、それは許されざる行為じゃないのか!?」

 感情的に叫んでしまい、ユウは即座に後悔する。
 この司教シスターがどう答えるかなんて、最初から決まっていた。

「この都市の管理者としてはヴァンパイアの儀式が隠蔽されている限り、何も問題無いよ。死体すら残らず丸ごと喰らい尽くすから行方不明扱いで楽だわ」

 そして司教シスターは来た通りの道を進み、壁の中に消えた。
 シスター・アリシエルは粛々とシスター・クレアとシスタークレア兄の分の紅茶を淹れた。

しおり