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4 Caseアーリア④

 アーリアの寝室に続くバルコニーに大きな鳥が舞い降りた。
 今夜は新月な上に、星も無い。
 その真っ黒な鳥は大理石の柵を両足で掴み、じっと息をひそめている。

「まあ! アーリア様。大丈夫ですか? 傷が痛みますか?」

 寝室のドアが開き、黒髪の侍女が部屋に入ってきた。
 一緒に入室した護衛騎士に医者を呼ぶように頼み、ベッドの側に近寄る。

「お部屋の空気が淀んでいますね。換気しましょうか?」

  アーリアの上半身を抱き起こし、背中を摩ってやった。
 抱き起こされたアーリアは何の抵抗もせず、なすがままになっている。
 その目は虚ろで、口の端が切れていた。
 侍女はアーリアの頬に手を当てて、傷の具合を確認し顔を顰めた。
 護衛騎士はその様子をしばらく見た後、小さく舌打ちをして部屋を出る。
 寝室のドアが閉まったことを確認した侍女は、窓を開け空気を入れ替えた。

 侍女が窓を開けると、黒い鳥は素早い動きで寝室に滑り込んだ。
 うつろな目をして自分の手を見ているアーリアに、侍女がポケットから出したハンカチを口に当てると、アーリアはぐたっと首を後ろに反らせた。

 鳥が立ち上がり羽を広げた。
 その大きな羽の中から金髪の鬘を被ったサシュが現れた。
 侍女は素早く鳥の羽だったものにアーリアを包み、バルコニーの隅に隠す。
 侍女が部屋に戻るとアーリアに化けたサシュがベッドに入るところだった。

 侍女が水差しから水を汲み、偽アーリアに渡していた時、寝室のドアが開いて不機嫌さを隠そうともしない宮廷医師が入室した。
 震えながら一口水を口にしてベッドにもぐりこむ姿を一瞥した宮廷医師は、静かな声で侍女に話しかけた。

「いつものあれか?」

「今日は少し違うと思ったのですが。ほら、今日の夕方に……」

「ああ、皇太子殿下か」

「ええ、今日はララーナ様もご一緒でしたから」

「相変わらずお盛んなことだな」

「ふふふ……まだお若いですもの」

「それにしてもとんでもない性癖だと思わないか?あれはいくら何でも無いぞ?」

「ええ、今日もアーリア様の髪を掴んで無理やり舐めさせておられましたわ」

「愛人と繋がったままそこを正妃に舐めさせる……そりゃ興奮するな」

「お二人の体液でアーリア様が咽てしまわれて」

「でも吐くと殴るんだろう?」

「今日は蹴りでしたわ。お腹だったので少し心配になってしまって……ご足労をおかけして申し訳ございません」

 宮廷医者は皇太子の変態行為を半笑いで話し続け、アーリアを診ようともしない。
 侍女もアーリアに水を渡しただけで、介抱しようともしなかった。
 アーリアは医師たちに背を向けて横になっている。

「君も見せられるんだから辛いよなぁ」

「もう慣れましたわ。お仕事ですし。皇太子殿下が興奮されてアーリア様を殺さないように見張らないといけませんしね」

「ご苦労さん。何度か殺しかけたもんなぁ……。皇太子妃はもう寝ただろう? 俺たちもいつものように楽しもうぜ? さすがに皇太子ほどの変態ではないが、次期皇后の目の前で君を抱くのはなかなか癖になる指向だ」

 そういうと宮廷医師は侍女の後ろに回り、胸を服の上から鷲掴みした。
 侍女は逃げることなく身をよじって見せてから口を開く。

「あら、先生もお好きですわね。でも申し訳ございません、昨日から月の物が」

「そうなのか? まあそれなら……今夜は我慢しよう」

「ご苦労様でした。おやすみなさいませ」

「ああ、おやすみ」

 宮廷医師を見送り、ドアの前に立つ護衛騎士に小さく会釈をして侍女は寝室に引き返した。
 ドアが閉まる音と同時に、ベッドで横になっていた女性が音も無く起き上がった。
 寝間着を脱ぐと真っ黒なタイツスーツを着た男の姿になった。
 そしてその男は静かにバルコニーに消えた。
 ベッドの上に放り投げられている寝間着をきれいに畳みなおしてから、侍女はバルコニーの窓を閉めて水差しを手に寝室のドアを開けた。 
 
「少し熱があるようですが、やっと眠られましたので私は戻りますね。明日から休暇ですので、一週間ほど別の侍女が来ます」

「ああ、俺も来週は休暇だ。お互いご苦労なこった」

 護衛騎士と言葉を交わした侍女は、静々と闇に消える。
 その後ろ姿を見送った護衛騎士は緊張を緩め、ポケットから小さな酒瓶を取り出してぐっと一息に煽ると、寝室のドア横に置かれた椅子に座って、仄かな常夜灯の明かりを頼りに剣の手入れを始めた。
 侍女が部屋を出たのをカーテンの隙間から確認した男は、真っ黒な鳥に戻った。
 その胸にアーリアを抱きかかえ、そのまま手すりを飛び越えて静かに闇に消える。

 それから数分後、下着しか身に着けていない金髪碧眼になったアンが、アーリアの寝室のバルコニーに入った。
 闇に紛れて木に登り、音も無くバルコニーに飛び移る。
 鍵のかかっていない窓を静かに開き、寝室に入り先ほど自分で畳んだ寝間着を身につけて、持っていた丸薬を花瓶の水で飲んだ。
 この女がついさっきまで黒髪で侍女服を着ていたなど、誰も気づきはしないだろう。
 アンは大きくひとつ息を吐いて、意を決したように自分の顔を何度か殴りつけ、口の端を切って頬を腫らした。

(やりたくないけど昨日の傷が無いのは拙いし。ゼロが見たら準備が悪いって怒るわね)

 傷を偽装するメイク道具を準備しなかった自分の落ち度だと諦め、ベッドにもぐりこむ。
 そしてアーリアになり替わったアンは、何事もなかったように静かな寝息を立て始めた。

 バルコニーに黒い鳥が出現してからここまで約30分。

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