バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

(8)様々な余波

 訓練に出ていた騎士達の部隊は、当初の予定通り城に帰着した。彼らが諸々の後始末や報告処理などを済ませた後、責任者であるサーディンが部下達を引き連れてカイルの執務室に出向いた。

「半月に及ぶ野外訓練、ご苦労だった。何か問題や事故は発生しなかったか?」
「特に問題はございません。充実した日々を過ごさせていただきました」
「それなら良かった」
(帰城した部隊の様子を上から見ていたが、皆、かなり疲労困憊している様子だったが……)
 満面の笑みでのサーディンからの報告だったが、彼の部下達にとってはなかなか過酷な訓練だったのではないかと、カイルはそれを素直に受け取れなかった。

「今回は何度か雨にも降られましたが、あの防水布の効果は凄かったですな。雨具の他にも天幕や兵糧を運ぶ幌馬車の素材にも用いておりましたので、土砂降りの時でも支障なく前進できました。その効果の再確認の面でも、有意義だったかと」
「そうか……」
 軍事用としての有用性については既にディロスからも報告を受けており、カイルは心穏やかではいられなかった。その困惑と不安が顔に出てしまったらしく、サーディンが不思議そうに声をかけてくる。

「伯爵?」
「あ、いや、なんでもない」
「そうですか? それでは次の報告に移りますが、当面の間、伯爵の近辺護衛を固定化いたします」
「え? それはどういう事だ?」
 寝耳に水の話の上、そうする事の必要性が分からなかったカイルは、戸惑いながら問い返した。するとサーディンも、若干困ったように言葉を濁す。

「それがですね……。ディオンが、帰城するなり私に直談判しに来たもので」
「私は何も聞いていないが……。因みになんと言ってきたんだ?」
「『大至急、カイル様の身辺護衛を変えて欲しい。条件はサーディンさんとアスランさんとロベルトさん並に武術と馬術双方の腕が立って、三人並みに度胸があって、家族や身寄りが限りなく少ない人を五・六人固定でお願いします』でしたか」
 言われた内容を頭の中で反芻したが、その意味するところが正確に理解できなかったカイルは、率直に問いを重ねた。

「……色々と突っ込みどころがあるが、それはどういう理由での選抜基準なんだ?」
「申し訳ありません。それは本人に聞いてください」
 サーディンは本気で困惑しつつ、カイルに頭を下げた。するとその背後で、淡々とした声が発せられる。 

「全く、あいつも無茶を言う。フェロール騎士団に二千人は在籍しているが、そんな条件に合致する人間など数える程しかいないのに」
「というわけで、その条件に合致する者を六名選抜し、こちらに同伴しました。当面彼らでローテーションを組んで、伯爵の身辺警護をしてもらいます」
 非常識な申し出だと理解しつつもその通りに配慮したらしいアスランとロベルトに向かって、カイルは不思議そうに尋ねた。

「アスランもロベルトも、こんな無茶振りを了承しているのか?」
「あれは生意気すぎるところはありますが、無駄な事に時間と労力を費やすタイプではないでしょう」
「まあ、何かしら理由はあるんでしょう。必要な事ならそうするべきですよ」
「それなら私も構わないが……。そういえばディオンはムスタから戻ったと思ったら、またすぐに姿を見かけなくなったんだよな」
 独り言のようにカイルがディオンの所在について言及すると、サーディンが表情を改めて言い出す。

「ディオンといえば、こちらもダレン経由で複数方面からの報告を貰っております」
「どう思う?」
「正直に言えば、もう少し時間が欲しかったところですが、贅沢は申しません。この間、ここの騎士達の練度も上げてきましたし、不測の事態に備えるのに問題はありません」
 きっぱりと断言したサーディンに、カイルは少し救われた気持ちになった。

「そうか。ダレンも諸々の準備を進めておくと言っていた。できれば、なるべく領民に被害が出ない方向で収めたいが……。これではディオンの物言いではなく、私の台詞の方が無茶振りだな」
「とんでもありません。事態を主君のご意向に添わせるのが、家臣の務めです。精一杯、カイル様のご要望にお応えします」
「ありがとう。皆、よろしく頼む」
「それでは、これから殿下の身辺護衛を担当する六名を紹介いたします」
 そこでアスランとロベルトの背後に控えていた六人が、サーディンに促されて前に出た。サーディンが一人ずつ順に彼らの名前と所属を説明し、カイルも彼らと挨拶を交わす。
 一通り挨拶を終え、その場で解散となったが、カイルは他の者と同様に退出しようとしたアスランに声をかけた。

「アスラン、ちょっと良いかな?」
「ええ、構いません。何か?」
「その……、もうメリアの所に顔を出したかな?」
「はい、少しだけですが。真っ先にこちらに出向かず、申し訳ありません」
「いや、そんな事は気にしないで良い。それで、メリアから聞いたかな?」
 カイルが慎重に問いかけてみると、アスランは一瞬怪訝な顔になってから、事も無げに言葉を返す。

「ああ……、例の件ですか。聞きました。私もその考えには至りませんでしたので、ロベルトには礼を言っておきました。今度彼に驕りますよ」
「メリアは日中は普通そうだが、夜は少し心配だったから、念の為シーラについて貰っていた。シーラの話では、取り敢えず大丈夫だとのことだったが」
「私から見ても、大丈夫だと思います。シーラにも後から何か、お礼をしますので」
「それなら良かった」
「そういうわけですから、今夜から伯爵の食事の毒見は私がします」
「……どうしてそうなる」
 唐突な話題の転換に、カイルの顔が僅かに引き攣った。しかしアスランは、当然の事のように続ける。

「妻のフォローをするのは、夫として当然です」
「本気で言っているのは分かるが、ちょっと待ってくれ」
「当面は城内に間借りを続けますし、効率的でしょう」
「いや、そういう問題でもないと思うのだが」
「メリアの役目を、他の誰にも譲れません」
「アスラン、それは」
「お優しい伯爵としては、城内で体調不良の者を続出させるのは不本意ですよね?」
(これは……、どう控え目に考えても、自分以外の人間が毒見役を担ったら、相手が誰であろうが何人であろうが、手段を選ばず確実に全員を体調不良に持ち込むって事だよな……)
 アスランのにっこり笑いながらの不穏すぎる台詞に、カイルは頭痛を覚えた。しかしこの異母兄が一度口にした事を撤回する筈もなく、周囲の人間がとばっちりを受ける可能性を回避する為、カイルは頭を下げる。

「…………分かった。よろしく頼む」
「心得ました。他にお話はありますか?」
「いや、大丈夫だ」
「それでは失礼いたします」
 アスランは爽やかな笑顔を振り撒きながら退出していき、その背中を見送ったカイルは溜め息を吐いた。そこでこの間無言を貫いていたダレンが、呆れ気味に感想を述べる。

「結婚して少しは落ち着くかと思いきや、彼の伯爵とメリアに対する愛がより一層重くなった上に、ますます鬱陶しくなりましたな」
「ダレン。面白がっているように聞こえるのは気のせいだろうか?」
「いいえ。気のせいではございません」
 容赦の無い部下の台詞に、カイルは少しだけ項垂れてから執務を再開した。





しおり