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(2)紛争の火種

「おはようございます。騎士団の報告書をお持ちしました」
 朝に城主の執務室に出向いたロベルトが挨拶すると、重厚な机の向こうからカイルが笑顔で挨拶を返してきた。

「やあ、おはようロベルト。そうか、今週からサーディンとアスランは城外で野営訓練だったな」
「ええ。騎士団の半分を引き連れて、嬉々として出かけて行きましたよ。俺に面倒な事を洗いざらい押し付けていきやがって、あの野郎……」
「そう怒らないでくれ、ロベルト。それだけあの二人が、君の統率力と管理能力を認めているわけだから」
「分かってはいますがね」
 愚痴を零しかけたロベルトだったが、カイルに宥められて苦笑いの表情になる。そこで彼が差し出した報告書にざっと目を通したカイルは、満足そうに頷いた。

「騎士団の訓練消化度や規律の構築は問題なさそうだな」
 それにロベルトが真顔で応じる。

「この一年近くで、なんとか鍛え直せました。当初ここの連中、緩みまくっていましたからね。これでよく国境を接しているエンバスタと小競り合い程度とはいえ紛争をしていたものだと、呆れ返りましたよ」
「特にロベルトは、特に規律が厳しいと言われる近衛騎士団第一大隊出身だものな」
「冗談ではなく、この間エンバスタがちょっかいを出してこなくて良かったです。上層部を挿げ替えて内部がごたついている時に、攻められてはかないません」
 ロベルトがそう本音を漏らすと、ここまで無言を保っていたダレンが口を挟んできた。

「向こうは向こうで、こちらの体勢と力量を探っていたようだな。サーディン殿とアスラン殿の勇名が役に立ったらしい。だがそろそろ、向こうもしびれを切らしてきたらしいな」
「ダレン?」
「どういうことだ?」
 カイルとロベルトが揃って視線を向けると、ダレンは主君に向き直って報告する。

「もう少し後で報告するつもりだったのですが、実はこの一か月ほど、ディロスをエンバスタに行かせています。その報告が時折届いているのですが、どうやら不正蓄財や横領を理由に全財産を没収の上、追放した連中の大半が、国境を越えてエンバスタに逃げ込んだのが確認できました。これはディロスだけの報告ではなく、前々から向こうに送り込んでいる密偵達の報告を総合的に判断した結果です」
「それは本当か!?」
「おい、ちょっと待て! 連中はこの城や周囲の構造、騎士の配置人数や伯爵領の生産規模とか洗いざらい知ってるんだぜ!? その情報が無効に筒抜けって、どう考えても拙いだろう!?」
 寝耳に水の話に、二人は血相を変えた。更にロベルトはダレンに詰め寄ったが、対するダレンは冷静に言い返す。

「伯爵が、あの連中を処刑も投獄もしないとの方針を決めた時から、この事態は予測していた。特に狼狽える程のことではない」
「その……、ダレン、ロベルト、すまない」
 そこでカイルが、謝罪の言葉を口にした。それに対してロベルトが言いかけようとしたが、それより早くダレンが事も無げに告げる。

「別に、伯爵が謝罪する事ではありません。あの時点であの罪状における刑罰は、あれが適当だったと判断しております。ですからこの間、領内のあらゆる面で底上げを図ってきました。要は連中の当時の情報よりも、領内をあらゆる面で向上させておけば良いのです」
「あぁ~、それで騎士団の大幅再編と、徹底的な鍛え直しでの実力底上げか……。完全に腑に落ちたぞ……」
 騎士団上層部が一般の騎士達に求めるレベルが高すぎた結果、かなりハードな訓練を指導する立場にいたロベルトは、遠い目をしながらこの間の色々な事を思い返した。そこに満足げなダレンの台詞が続く。 

「街道や宿場町の整備、野盗集団の一掃で隊商の行き来も増え、測量の達人のおかげで今まで掛けられなかった橋が掛けられ、新たな鉱脈を発見し、珍しい薬草の群生地が発見されて不整脈の特効薬が新しい特産品になり、湿地帯の開墾が瞬く間に進んで新たな農地が増え、今年は収穫量増が確実。その他諸々、幸運と人材発掘が重なりまして、財政は完全黒字化で安定しております。連中の知っているトルファンとは、かなり違う代物に変わりつつありますよ」
 ほくほく顔でダレンが列挙した内容を聞いて、ロベルトは何とも言えない顔になって溜め息を吐いた。

「……それもこれも、過去に記録があった加護の内容を伯爵に念じて貰って、他の奴らが散々加護を行使した結果だがな。本当に凄いよな、事実を知っているのは両手の指の数に満たないが」
「だから、ロベルトも駆り出されていたしな」
「ええ、まあ……。衆人環視の中で井戸を掘り当てた後、あちこちの村から『うちの村に井戸掘りに来てくれ』と騎士団宛てに手紙が来たのには閉口しましたが……」
「本当にすまない」
 この間秘密保持の為、どう考えても騎士本来の任務ではない事に対してロベルトに加えてサーディンやアスランが駆り出されており、以前から申し訳なく思っていたカイルは反射的に頭を下げた。しかしロベルトは、明るく笑い飛ばす。

「構いませんよ。人の役に立っているんですから。寧ろその都度、俺達に同行して念じていないといけない伯爵だって、大変だった筈ですよ」
「そうだな。だからこの城近辺にしか足を運べていない。トルファン領隅々まで直に見られれば良いのだが」
 少し悔しそうにカイルが告げると、ここでダレンがやんわりと苦言を呈してくる。

「さすがにそれは伯爵の手に余りますし、本来の業務ではありません。伯爵の意向と施政を隅々までいきわたらせるために、部下の我々が存在しているのです。そこの所はお間違えのないよう」
「分かっている」
 真顔でカイルが頷いているのを見たロベルトは、少し場の空気を変えようと城下の様子を口にしてみた。



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